インタビュー

小野寺史郎 人文科学研究所助教 「『第一次世界大戦と中国』 国内対立をめぐる歴史学的評価の変容」

2009.11.08

欧州を戦場として「総力戦」が繰り広げられた第一次世界大戦。では東アジアの大国・中国にとって大戦はどのような意味があったのか。人文研の小野寺史郎助教に聞いた。(義)

-大戦中の日本の山東省占領、二十一カ条要求といった個別のテーマはともかく、「第一次世界大戦と中国」という枠組みではなかなか研究のイメージがわかないのですが、大戦が中国に与えた影響についてどのようなことが考えられるでしょうか。

たしかに「第一次世界大戦と中国」というテーマは研究しづらいところがあります。第一次世界大戦自体、ヨーロッパ人にとっては“World War”だったのでしょうが、当時の新聞などで「欧戦」と表記されていたように、中国としてはやはり「あちら」での戦争という意識が強かった。

大戦後の五・四運動は中国共産党の成立にとって非常に重要な出来事とされましたのでこれまで研究が盛んでしたし、その歴史的評価に関しても論争があるのですが、大戦そのものと中国という問題設定はあまりなされてこなかったというのが実情です。

ただだからといって影響が小さかったということはないと思っています。例えば中国共産党成立への影響です。大戦中にはフランスに大量に中国人労働者が派遣されますが、それが遠因となって「勤工倹学」と呼ばれるフランス留学が盛んとなり、その中から周恩来に代表される共産党の主要メンバーが現れてきます。

また中国をめぐる国際関係は、元々勢力均衡の上で各国が抜け駆けしないということで一定の安定が保たれていたのですが、欧州列強が大戦に力を割かれたためにそれがくずれます。日本の山東出兵が可能になった理由にも、そういう突出した行動をしたときにそれを牽制するヨーロッパの国がなかったということがあります。そういう面において第一次大戦が中国に影響を与えたのは間違いないだろうと思います。

-その際、日本に対する危機意識だとか反日意識、その裏返しとしてのナショナリズムの高揚というような影響もあったのでしょうか。

あったと思います。特に、それまでは中国にとって日本は数ある「帝国主義」の一つだったのですが、この時期以降「日本」が中国の国民意識の上で突出して大きな比重を占める存在となった。少なくとも知識人のレベルではそういう転換はあったといっていいでしょう。

-中国国内での第一次大戦へのスタンスはどのようなものだったのでしょうか。

大戦勃発当初、中華民国政府は局外中立を宣言しますが、アメリカの参戦などもあり1917年にはドイツ・オーストリアに対して宣戦布告します。その際にあったのが、中立を貫くか、協商国側に立って参戦するか、という論争です。

-開戦当初はドイツを中心とした同盟国側が勝つという見方が強かったし、(オスマン帝国が同盟国側だったため)協商国側での参戦による国内の回教徒の離反、ウイグル民族の反乱への危機感もあったようですが、同盟国寄りの主張はなかったのでしょうか。

どちらの側で参戦するかといったときに、そもそも東アジアでのドイツ・オーストリアの勢力が弱かったということもあって、あまり同盟国側に立つという選択肢は考えられていなかったようです。同盟国側に立った場合、日本が名分を得ていくらでも攻めてくることになりかねないという考えもあったのでしょう。

当時の中華民国政府は北京にあったのですけれども、そのトップにいたのが段祺瑞という人で、一般に親日派といわれます。それに対して孫文を代表とする反段祺瑞勢力があり、両者が国内対立の軸となりました。政府は参戦の方にかたむいていたわけですが、戦費や前述の国内ムスリムの問題などを理由に孫文らは参戦に反対していた。

ただちょっと複雑なのは、その後共産党成立の立役者となる陳独秀という人などは大変な参戦積極派だったんですね。ここで列強に肩入れしておけば戦後有利だという外交的配慮、そして協商国の方に「公理」があるという認識によるものです。

-では国内ではまず政府と反政府派の対立があったけれども、だからといってそれがそのまま参戦か、中立か、というように簡単に割り切れるものでもなかったということでしょうか。

そう、だから分かりやすいストーリーにしづらいんですよ。結局のところ現在の研究でも、この後の国民党政権についての研究は非常に盛んなのですけれども、その前段階の1912年から1920年代前半の中華民国北京政府については、二十一カ条要求の交渉過程やパリ講和会議の中国代表団についてといった個別のテーマについての研究は深まっているわりに、全体像をどう描いたらいいのかというのが非常に難しくなっているんですね。

日本のいうことをなんでもきく「傀儡」とされ低い評価しかされてこなかった当時の北京政府も、実は中国の国益を守るためにそれなりにきちんと仕事をしていた、と近年では評価されはじめています。ただそうなるとそれを批判していた孫文らをどう評価したらよいのか、ということになってしまうんですよ。

-従来の第一次世界大戦と中国をめぐる研究では、日本の傀儡とされた北京政府との対比で孫文を中心とする反政府勢力の評価が高かったけれども、その評価の見直しが起きている、と。

そうですね。ただ厄介なのはそういった認識が現在の中国の政治状況からも影響を受けているということです。特に1989年の天安門事件以来、そういう反政府運動や五・四運動の評価は非常に微妙な問題となっています。

-ほかに、第一次大戦中の世界的な事件としてロシア革命があります。当時の段祺瑞政権は親日派で、日本はロシア革命に危機感をもってシベリア出兵にも積極的に関わっていくわけですけれども、中国政府としての捉え方はどのようなものだったのでしょう。

先ほどあったように北京政府は「親日」といっても、国際情勢に対する認識の下、ソ連に対しても独自の論理・判断で行動していました。今後、非常に長大な国境を接しているソ連という国にどう対するのかという問題に関しては日本よりもずっと慎重だったと思います。

ソ連は成立後、カラハン宣言以前からすでに、領事裁判権の撤廃、租界の返還、義和団事件(1900年)で中国に課された賠償金の放棄などを北京政府に打診していました。これは非常に大きなインパクトがありましたので、北京政府はソ連に対して中立方針を採り、シベリア出兵にも一応参加はしたもののあくまでも限定された範囲でした。ソ連について肯定的とはいかないまでも、その方向性を見定めようとしていた、というところでしょうか。

-第一次大戦前後で中国の国際的な立場に変化はあったのでしょうか。

中国の立場そのものはともかくとして、中国をめぐる国際情勢が変化したのは間違いないと思います。大戦前は日独英仏露の借款団という中国に資金を提供する国々が影響力をもっていたのですけれども、そこから独・露が脱け米が新たに入ってきて、日英仏米の4カ国が発言権をもちました。

特に大戦後、1920年代以降の中国においてはアメリカという要素が非常に大きくなります。日本に対する反発も背景にあるのでしょうが、当時のアメリカが(清華大学などを通じて)大量に中国人留学生を受入れたことが大きかったと思います。そこから帰国した人々が、その後国民党政権の非常に重要なポストに就いたり、各界で活躍するため、非常にアメリカの影響が強くなるんですね。中国に対するものに限らないのでしょうが、やはり大戦を経てアメリカのプレゼンスが非常に大きくなるということがいえると思います。

-19世紀後半から中国は列強に実質的に分割支配されていたわけですが、第一次大戦後まがりなりにも民族自決の思想が唱えられた中で、中国の国際的な発言権が高まったり、主権回収が実現したり、ということはなかったのでしょうか。

1920年代前半、中国は工業・経済の面で大きく成長を遂げますが、政治的には非常に混乱した時期でした。明治日本と同様、この時期の中国にとって最大の外交問題は不平等条約の改正だったのですが、欧米や日本からすれば中国国内の混乱は条約改正を拒否する理由として充分でした。

私は中国近代史において一番大きな分水嶺となるのは1920年代後半の国民党政権の成立と考えています。条約改正という課題は最終的にこの国民党政権の下で成し遂げられることになります。だから主権回復云々というのは話としてはもうちょっと後の時代になるんですよね。

-では第一次世界大戦はそこまでの契機ではなく、その後の産業の発展と国民党政権樹立・条約改正によりはじめて主権回復まで至ったと。

そうですね。ただ国民党政権はソ連の大きな支援をうけて成立したものですから、たどっていくと第一次大戦にたどりつくのですけれども。なのでやはり間接的にみた場合に色々影響があったのは確かなのですが、「第一次世界大戦と中国」という問題設定をしたときに何がみえてくるのかというのが今後この共同研究で考えていきたいところですね。

-具体的にはどのようなテーマが考えられるでしょうか。

直接第一次大戦と関わることで一番大きなテーマであれば先ほども話にでたフランスへ渡った中国人労働者の問題がありますね。正確な統計がないのですが20万人ともいわれています。西部戦線、東部戦線、さらにフランス植民地のあった中東の方にも行っていたそうです。そもそもフランスが労働者不足で外国人労働者の募集をした際に、参戦以前の中国政府が、中立国の範囲内での貢献を図って派遣したものです。

先行研究としては陳三井『華工与欧戦』(台北:中央研究院近代史研究所、1986年)という本があって、そういう労働者がどういう生活をしていたのか、給料はどれくらいだったか、どんな博打をして遊んでいたかまで調べています。この人たちが戦後、帰国した後の状況や、それぞれの背景などについて研究ができたら面白いと思います。

また、たとえば私の所属する現代中国研究センターの所蔵史料を利用することで、同時代の中国の人々の大戦認識をより詳しく検討することもできるのではないかと思っています。

-ありがとうございました。

《本紙に写真掲載》


おのでら・しろう
京都大学人文科学研究所人文科学研究所附属現代中国研究センター 助教
専門は中国近代史。研究テーマは「近代中国におけるナショナリズムと政治シンボル」

〈本コーナーについて〉
本紙では2007年5月1日号にて関係者へのインタビューをして以来、人文研の大型プロジェクト「第一次世界大戦の総合的研究に向けて」に関わるインタビューを連載し、様々な分野の研究者の皆さんがどのような興味・関心をもって参加しているのかについて語って頂く試みを行ってきました。このたびしばらくお休みをいただいていた連載を再開し、引き続きこの共同研究プロジェクトの軌跡をおっていこうと考えております。どうぞご期待ください。  (義)