文化

NF鼎談連動書評 猪熊建夫・著『新聞・TVが消える日』(集英社新書)

2009.10.18

連続書評第2回目の今回は猪熊建夫氏の『新聞・TVが消える日』を取り上げる。本書で主に論じられているのは、ここ10年前後で急速にインターネット(以下「ネット」)上の情報量が増えたことにより、現在最も中心的なメディア媒体である新聞とテレビは衰退を余儀なくされるのではないかという内容である。『新聞・テレビが消える日』というやや大胆なタイトルではあるが、ネット上の情報量がこの10年間で15000倍に膨れ上がったことや、2008年9月の中期決算で日本テレビ放送網とテレビ東京が赤字に転落してしまったこと、さらには10歳から29歳までの若者に行った調査で「平日1日の新聞を読む時間は0分」と答えた割合が1996年時の15.4%から2007年時には 47.7%まで跳ね上がっていることなど、具体的なデータが次々と提示されるので、読み続けていくうち、しだいにこのタイトルがそう突飛なものではないのだと納得がいくだろう。落ち着いた考察や分析が光る堅実な評論書である。

さて、主に新聞とテレビの退潮ぶりが説明されている本書だが、説明を読むとどうやらテレビよりも新聞の方がより深刻な状況にあるらしい。たしかにネットの規模が急速に拡大した影響で、企業広告がテレビからネットにシフトし、その結果テレビ局の収益は大きくダウンしているが、ネットには回線のパンクやサイバーテロなどの潜在的なリスクがあるため、どれだけ多くの人へ瞬時に、かつ安全に動画を送り届けられるかということについては、まだテレビがネットよりも優位に立っているという。一方、新聞はネットに対する強みをほとんど持てずにいる。ヤフーなどのニュースサイトを利用すれば、新聞に載っているようなニュースはすべて読めてしまうため、ネット上でニュースを見るのが当たり前になっている若者を中心に、すべての世代で新聞離れがおこっており、早ければ今年にも新聞業界の広告収入はネット業界の広告収入の後塵を拝することになるという予想まである。筆者の言葉を借りるなら「日本の新聞は落城前夜」なのだ。

そういえば私自身もこの数年間で、テレビを見たり新聞を読んだりする機会がめっきり減り、代わりにネットサーフィンに費やす時間が大幅に増えた。テレビや新聞に接する時と違い、ネットでは自分の知りたい情報だけを検索してアクセスできる。その利便性にどうしても抗えず、ネット漬けになってしまうわけだが、よく考えてみると、自分の欲しい情報しか受け取らないのではいつまでたっても知識や視野を広げることなどできないわけで、新聞やテレビに触れず、ネットにばかり頼っているというのは極めて有害な習慣であるように思う。無論、ネットの利便性を否定する気はないし、ネットが全世界でその領域を拡大し続けているという現実に目を向けずにただ、「ネットなんかやめろ。新聞を読め」などと金切り声をあげていても仕方がない。我々はこれから否応なくネットが支配する社会へと足を踏み入れることになるのだ。京大生だってKULASISにアクセスせねば履修登録さえできない。ネットに触れずに生きていくことなどできないのだ。その事実を直視した上で、ネットとの上手なつきあい方を真面目に考えねばならないのだ。吹き荒れるネットの暴風の中に立ちすくむ新聞、テレビの未来はどうなるのか。そして我々はネット社会をどのような態度で生きていくべきなのか。本書を開けば、自ずと考えが深まることだろう。(47)

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