インタビュー

竹内洋 京都大学名誉教授 「いかにして大学で学ぶか」

2009.09.25

大学の在り方というのは時代とともに変遷を遂げてきた。学問の場であるのは言うまでもないが、人材養成機関、文化発信の拠点であると同時に政治の舞台に引っ張り出されたこともあった。とりわけ、近年大学を取り巻く動きは目まぐるしく変わっている。法人化、大学院重点化など真新しいトピックが絶えない。これから大学はどこへ向かうのだろう。 

今回は高校生にむけて、大学でいかに学ぶかについて、教育社会学者である竹内洋氏に話を伺った。進路を考える高校生の参考になれば幸いである。(如)



教養は「広がり」と「深さ」

―「教養ある人」の定義について教えてください。

J・S・ミルの言葉を借りると、教養のある人とは「自らの専門について全て知っており、それに加えて専門外の知識についても何がしか精通している人」であると思います。例えば、有能な経営者でありながら音楽にも造詣がある、といった具合です。反対に、自分の分野以外は生噛りな人は「教養の足りない人」と言えるでしょう。

以前、ある臨床心理士の先生とお話しする機会がありました。臨床心理の世界では、先生とクライアントさんは向かい合ってカウンセリングするものですが、これは自我と自我が向かい合うヨーロッパ的なコミュニケーションの表れなんですね。これに対し日本型コミュニケーションは居酒屋的と言いますか、小津安二郎(※1)の映画の1シーンのように、二人が隣り合って座って月を見ながら語り合うとものだと思うのですね。こういった話をその先生にしたところ、彼は私よりずっと若い方だったせいか小津安二郎についてご存じないんですね。これでは話が深まりません。広がりと深さの両面で知識があるというのが教養なのではないでしょうか。

―京大に限らず日本の大学の知的レベルが低下していると思いますが、いかがお考えですか。

たとえばイギリスだと大学入学試験にあたるものとしてAレベル試験(※2)が存在します。この試験は教養レベルにしては「第二次世界大戦以降のヨーロッパ外交について」など深く掘り下げた内容が出題されます。そのため、18歳でも専門書片手に受験勉強をしている光景がよく見られます。果たして日本はどうでしょうか。「ものすごく勉強ができる学生のレベル」が幼稚にさえ見えます。日頃から学問に対して深い洞察を持てるような教育がなされていない結果の表れだと思います。

その風潮の中で、京大の入試問題は考える力を問うと言われてきました。確かに知識偏重というよりは考えさせる問題もあります。ただ問題の難易度が適切ではないこともあります。たとえば数学の100点満点の問題でやたら難易度が高く受験生の多くが10点や20点しか取れないようなひねった問題が出題されたとします。こうなると数学で点数を稼ごうとしていた受験生にとってはショックが大きいものがあります。

「ミニ東大」はある、だが「ミニ京大」はない

―私は地方出身なのですが、当初抱いていた京大のアカデミックなイメージと現実とのギャップに今でも戸惑っています。

夏目漱石の「三四郎」では、「驚いた」という台詞が何度も登場します。熊本から東京の帝国大学に出てきた主人公がカルチャーショックを受けるんですね。それに対し今の大学では、どこも平板化しています。いい意味ではエリート風を排除しようとする動きなのでしょうが、悪い意味ではどこか大切なものを失っていくのだと思います。それでも、今でも百万遍界隈は京都の町にありながらその独特さを醸し出していますし、授業のいい加減さもある気がする。森見登美彦(※3)の「太陽の塔」にはその独特さが描かれています。

大阪の公立進学校では、従来成績トップ層は京大に進学する流れがありました。最近では東大に流れる傾向が表れているようです。それに伴って今の東大と京大のレベル差は、帝国大学の時代並みに広がっています。とはいえ、それでも京都大学というステータスはどこかに存在しているとは思います。東大を真似した「ミニ東大」と呼ばれる大学はあちこちにありますが、「ミニ京大」というのは聞いたことがありません。おそらく真似したくないんちゃうかな(笑)

―高校も大衆化してきたということなのでしょうか。

もっと学生が主張するようになれば変わるかもしれません。昔はもっと高校そのものも自らのカラーを押し出していましたから。

「イカ京」という言葉があります。いかにも京大生、の略称です。この言葉には非常識やKYといったニュアンスが含まれているのですが、今の時代だとそれは異端呼ばわりされる風潮があります。だから、公立高校にはイカ京という存在はいません。きっと隠れイカ京の状態で、京大に入ってから真性のイカ京としてデビューするのではないでしょうか。役人を目指して東大に入学する学生は昔からいたでしょうが、役人の世界はエリートですが浮き沈みが激しいものです。それに対し京大は会社のポストで言うと社史編纂室の担当のような存在で、昇進はないが自分の好きなことをやっていられるし、不可欠な役職だから他の部署のようにリストラされる心配があまりない。その意味で、京大は出れば出世はできなくとも幸せになれる大学と言えるかもしれません。

「好きなこと」の難しさ

―教養を育むには、どうすればよいのでしょうか。高校と大学それぞれの場に分けて教えてください。

高校の進路指導の場では、「好きなことをやりなさい」と先生は言うでしょうが、高校生の時期というのは自分の好きな事柄についてまだ十分に分かっていないのではないでしょうか。「ハンバーグが好き」というのは、ステーキなどをいろいろ食べてみないと言えませんよね。それと同じです。だから大学受験にしても、単なる知識の習得にとどまらずその中で興味を持てるかだと思います。そのためには、新書を読むことをお勧めします。新書と言ってもいわゆる「下流新書」はダメです。例えば受験の歴史にリンクしている一冊を読む中で、論文や現代文にも役に立つところがあるはずです。そこから興味を膨らませ、大学の学びにも役立てば言うことなしです。

次に大学に入ってからですが、アメリカのロースクールやメディカルスクールでは、大学課程ではまず初めに教養教育が行われています。 専門化していくのはそれから後なのですね。だから学部の教養化を図るには4年のうち3年を教養教育に充ててもいいと私は思っています。教養とは自己教育で全身を使った行為だと思います。たとえば読書会や勉強会をきっかけとして、自分たちの中で教養に触れる機会を醸成していくことが大事なのではないでしょうか。

―ありがとうございました。

(※1) 小津安二郎…映画監督。「東京物語」「麦秋」などで知られる。

(※2) Aレベル試験…イギリスの公立学校に入学するための試験。イギリスの高等学校には「卒業」という概念は存在せず、卒業時にこの試験をパスすることが卒業に相当する。内容的には大学の専門教育初期課程に匹敵し、英語・数学といった基礎科目の他、法学や社会学といった専門科目から自分の志望する学部の科目を選択し受験する。

(※3) 森見登美彦…作家。京都大学農学部卒業。


たけうち・よう
1942年新潟県生まれ。京都大学教育学研究科教授などを経て、現在関西大学文学部教授、京都大学名誉教授。専門は教育社会学。「教養主義の没落」「学問の下流化」(いずれも中公新書)など著書多数。

《本紙に写真掲載》

関連記事