犯罪から考える人間の闇とは 大澤真幸×作田啓一「アキハバラから見る『今』」(2009.07.01)

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6月20日、人間・環境学研究地下会議室にて、「アキハバラから見る『今』」と題された対談が開かれた。主催は総人人環同窓会。社会学的な見地から2008年の秋葉原無差別殺傷事件を考察し、そこから現代の問題点を考える、という趣旨。講師は京都大学名誉教授の作田啓一氏と、人間・環境学研究科教授の大澤真幸氏。まず両氏がそれぞれ約30分講演し、その後意見交換した。

作田氏の講演では1999年の池袋通り魔事件以来の「不特定多数を狙う犯罪」が取り上げられ、秋葉原無差別殺傷事件もその1つとして位置づけられた。作田氏はこれらの事件の特徴として、計画的で演出的であることを挙げる。また動機についてもいくつか共通する要素があるとする。自殺願望や自己顕示、世俗的価値がすべてであるという一次元的階層体系が広がり果失敗を補償するものがなくなった社会への恨み、などだ。作田氏はさらに、犯人の動機はこれらの要素の複合体であるが、その背後にまだもう1つの動機があると指摘する。「犯行直前に彼らを動かしたものは無をめざす破壊への意志だったのではないか。人間は象徴のネットワークの中で位置づけられるが、彼らは肉体の破壊を通して象徴の覆いも破壊し、生身の他者を露呈させたのではないか」として、講演を終えた。

一方の大澤氏も、現在の日本の犯罪には「動機のよくわからない事件」の系列があるといい、そのいくつかは宗教的側面がある、とした。一見まったく世俗的な動機に突き動かされているような印象を与える秋葉原の事件も、実はその1つで、これら「動機のよくわからない事件」の背後には、世界の普遍的な価値からの疎外があり、そうした疎外の状態からの脱出のために、犯人は神(あるいはそれに近いもの)に認められたいと願ったのではないか、と指摘。秋葉原の事件の場合には、犯人によるネットへの大量の書き込みが、ネットの闇の中に潜む神(の機能的な等価物である「不特定多数の具体的な他者たち」)への呼びかけであった。しかし、神は呼びかけに応じないので、犯人は絶対的な悪を行うことで自分の存在を神に認めさせようしたのだ、と結論づけた。

講演後の対談では、作田氏の「生身の他者」と大澤氏の「神」という概念について意見交換が行われ、両氏がそれぞれ独自の視点から、共に常識的な動機解釈とは別の解釈を追求している点が確認された。

会場にはおよそ50人が詰めかけ、最後の質疑応答の時間には「刑罰は社会の承認たりえるのか」「秋葉原事件の加害者は同時に犠牲者でもあるように見えたとの見解に関心をもった」「社会学以外のアプローチもあるのではないか」などの意見が提起された。

《本紙に写真掲載》

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