〈新刊紹介〉 中村文則著「世界の果て」(2009.07.01)

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「僕は、これまでに幾度か、幽霊を見た」、「妻が死んでから、男は動かなくなった」、「……部屋を、探してるんですが」、「後ろをつけている人間がいる」、「部屋に戻ると、見知らぬ犬が死んでいた」。

それぞれに印象的な書き出しで始まる5つの短編集。語り手は2005年に「土の中の子供」で芥川賞を受賞した中村文則である。限られた紙面で5つの作品全てを紹介することは難しいので、ここでは、「部屋に戻ると、見知らぬ犬が死んでいた。」から始まる表題作、『世界の果て』を紹介しよう。

この『世界の果て』は全編100ページ弱の短編であるが、にも関わらず作中ではそれぞれの章のストーリーが独立しており、さながら短編小説の中にさらに短編小説が内包されているかのような構成になっている。絵を描くことしか考えられない無職の男、引きこもりの高校生、フリーの記者……それぞれの章の登場人物は年齢も置かれている立場も異なっていながら、皆、一様に「世界の果て」を求めて懊悩する。

「世界の果て」とは決してアフリカの密林であるとか宇宙の果てにあるブラックホールといった距離的、物理的な「果て」ではない。彼らが求めるのは、精神的な意味において現在の自分がいる所とは根本的に違う世界に辿りつくことである。違った精神世界に辿りつくと何が起こるのか。違う世界に辿りついた後どうするのかといった話題に、ほとんど注意は払われない。彼らはただただ己のいる世界からの離脱のみを思い、離脱への入り口である「世界の果て」を追い求める。

さて、作中の人物のうち、例えばある者は「世界の果て」を飛び立つ巨大なカラスの群れに見出し、例えば別の者は断崖絶壁の下に広がる暗闇に見出すのだが、そうして幾度か描かれる「世界の果て」は、いずれの場合においても圧倒的な暗闇であり、また暗闇を作る黒である。人は皆、暗闇で包まれた母親の胎内から「世界」へと生まれ出てくる。だからこそ、新たな場所を追い求め「世界の果て」を目指す彼らの脳裏に去来するのもまた、黒に包まれた暗闇であるのかもしれない。無を連想させる暗闇の黒は、一方では誕生への希望を抱かせる。

ここまで読んで、「なんか難しそうな小説だな」と思われた方も多いかもしれない。そう、極めて難しいのである。観念的な描写が多く、内容も暗い。しかし、だからこそ私はこの小説を推そうと思う。

たいがいの場合、部数が伸び、多くの人に読まれる小説というのは、物語の運びが明快でわかりやすいものが多い。そのことを否定はしない。小説という媒体そのものの体力を失わせないためにも小説の娯楽性は大切にされてしかるべきである。しかし、単純でわかりやすく、朗らかな娯楽小説ばかりが、よく売れる「商品」として読者という名の消費者に提供され、読者は自分の求めている形の小説だけを「消費」するという極端な商業主義(これを私は「楽しけりゃ何でもいいじゃん主義」と呼んでいる)に文壇が塗りつぶされてしまう事態は避けるべきである。あまり多くの人を引き付ける要素のない堅い純文学作品から、それまで読者がまるで思いつきもしなかったような、文学の新しい可能性が生まれるということは往々にして見られるが、前述したような極端な商業主義は、そういった文学のダイナミズムを殺してしまう恐れがあるからだ。

少し難しい純文学作品に頭をひねるというのは、今までの自分が知らない新しい「楽しさ」の可能性を探すという、生産的で有意義な行為なのである。まだ梅雨明けまでわずかに間がある7月上旬。毒を食らわば皿までで、『世界の果て』を織りなす中村文則の黒のイメージについて、ジメジメと考えてみてはいかが?(47)

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