教養、倫理めぐる大学の役割とは 連続公開シンポ終幕(2009.04.01)

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京都大学百周年時計台記念館国際交流ホールで3月22日、連続公開シンポジウム「倫理への問いと大学への使命」の第4回目(今回で最終)となる「市民倫理の形成と教養教育」がひらかれた。

関西大学教授の竹内洋氏は「ひけらかす教養とじゃまをする教養」とのタイトルで講演。教養ある人間として、ミルの「すべて(everything)について何事か(Something)を知り、何事かについてはすべてを知る人間」という言葉を引用。1970年代まで大学にあった教養主義は、たしかに虚栄心などがさきにたつものではあったが、その分向上心を内包していたと語り、京大の自学自習の伝統を、江戸時代からの私塾や職人の弟子の「盗む」という態度から、「日本には元々教えるより、自分で学ぶという習慣の方が強かった。昔の大学の読書会などもその流れ。」としたうえで、学力低下→授業増加という昨今の流れはいかがなものか、と指摘した。

続いて小川侃・人間環境大学学長が講演。昨今の社会状況を倫理や規範の崩壊という言葉で悲観的に分析したうえで、ソクラテスなどの言からこの時代のいわく「治療法」が見出せるとし、最後はとにかく身体をうごかすことが重要、との結論に至った。

地球環境学堂の柏 久氏は全学共通科目における毎回の学生とのメールでのやりとりから倫理、教養というものを捉え、京大の環境が「研究重視で教育をないがしろにしている。自由の学風という言葉が教員・学生双方の甘えを生んでいる」と指摘した。

教育学研究科の鈴木教授はまずそもそも人間が人間形成・倫理教育を行うことができるかどうか、という問題設定をし、近代教育の前提として「計画的な教育は可能であり、結果は測定できなければならない」という考えを指摘。だからこそ教養や道徳の教育は近代の教育にはそぐわず排除されてきたなど持論を展開した。

続いてパネルディスカッションでは、講演者同士あるいは観衆との間でのやりとりですすめられた。その中で竹内氏は現在の大学教育への不満を「大学教員の人事の一元化が諸悪の根源」との言葉で表し、教員らの画一的な評価は排して教育・研究のどちらかにある程度特化した教員育成システムの構築を訴えた。

かくして07年7月の第一回から始まった公開シンポジウムは第4回をもって終幕した。


《本紙に写真掲載》

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