文化

京都大学新聞文学賞 受賞作品発表&最終選考評

2009.03.11

大賞:
 『リンゴ』 森いの助
準大賞:
 『人間機械』 井上剛
編集部特別賞:
 『京都大学新聞文学賞だから、あえて書く』 大岩和也
最終候補:
 『白い光』 中沢旭
 『平安のロマンス』 中村百折
 『やさしい夜』 柴田佳子

最終選考評

 今回、全体では109編の応募がありました。選考委員の方にはそのなかから編集員の選考した6編を読んでいただいたわけですが、まず6編全体の感想から伺いたいと思います。

吉村 「効く」小説期待と書いていましたが、どれも「効く」小説でしたね。非常にバラエティに富んでいて、それぞれに面白かったです。
谷崎 どれも個性的というか、型にとらわれていないというか。いい意味で切りっぱなしで、新鮮で、読んでいてこっちも元気になるような小説が多かったです。
若島 10年前も京大新聞の文学賞の選考をやりましたが、あのときは吉村さんしかいないという感じだった。200編以上の応募から残った作品なのにあまりにもひどいから「落ちたやつはもっとひどかったのかね」と聞いたら「そうです」と。すごく驚いて「こんなもんかなあ」と思った。でも今回はそんなことはない。

【人間機械】



吉村 個人的に好きです。人間の知的な歴史を心と体の二元論に代表させて語っているところと、それに囚われている自分を相対化させて笑うところのあいだで、いったりきたりしているんですけど、語り口の距離感がうまくて気持ちいい。全く意味のない過剰な譬えも絶妙で、何回も笑いました。多分意味のない小説だと思いますが、その意味のないところが人間じゃないのっていうメッセージ性もあると思う。
谷崎 哲学的な内容を論文のように追いかけながら、微妙なバランスで文学の言葉になっているところがすごい。
若島 おそらく作者は心=機械と書いてみたかったんでしょう。つまり、心というとどうしても文学寄りになってしまうが、それを破ろうとしている。通常、心=機械と考える人はあまり悩まないけど、この語り手は悩んでいる。人間機械なのかどうかと悩むことが文学になっている感じかな。そのときの語り口がとてもおかしくて、実をいうと非常に笑わせてもらいました。よく書けてる。比較的ポイントが高い。
吉村 誠実なんですよね。真剣で、自分を突き放しても必ず戻ってくる。
若島 これは割と理系がはまりやすい問題で…
吉村 この人の職業もソフトウェア開発ですか。
若島 そう。この人も明らかに理系の人間。理系的に「人間とは」を突きつめていったときにはまる問題で、よくわかる気がする。

 作中では作者による「省略」が何度も登場します。

吉村 いくら省略したことになるのか、気になって計算してみたんですよ。だいたい原稿用紙56枚ぐらいの小説ですけど、省略なしだと157枚になる。
若島 信じるとすればね。
吉村 まあ実在するかについては、クエスチョンですね。ただ、省略したことで構成的にはガタガタ。序ばかりが長い。でもそれを含めて意図したものと考えることもできる。古代ギリシアのときに答えが出ていて、それ以降人間の歴史は尻つぼみ、語る必要もないという。
谷崎 本当に書いてあるなら省略しない方がよかったと思います。意図したものと見ることもできますが、それにしては鼻につく。「応募枚数を満たすため」という理由もそう。
吉村 でも本当にそうなら理由とか書く必要ない。僕自身、昔書いた小説に手を入れて発表したことがありますが、省略ということはせず、わからないようにならした。
若島 97年にこの小説を書いたという脚注も気になるところ。それまで必死な感じで書いているのに、ここですかされてしまうから。最後の方が恥ずかしいというのはわかるんだけど。
谷崎 作品自体の価値とは無関係かもしれませんが、この作品のためにも当時の自分に対する今の作者の切実さをそのまま出してほしかった。初めにパッと見たとき、えっと思った。30歳の自分が20歳の自分にひどいことをしているような。メタフィクション的なものかもしれませんが、過去の小説と書いたということが、とくに効果を上げてはいないし。
吉村 「こんなことを考えていたために俺は今や廃人だ」という偏執かも。でも本当に当時に書いているとしたら、たいした書き手ですよね。

【平安のロマンス】



若島 「新説古今和歌集」という感じ。大学教授ということですが、おそらく専門の人でしょう。楽しく読める部類だが、あまり好きではない。面白いでしょという身振りが目についてしまうから。そう言われると読者は「いや、そんなにおもしろくないよ」となる。わざとらしい目配せが読者に送られてくるので、あまり反応したくない。
谷崎 若島先生の言われたことなのかな…。何か距離があるというか、『人間機械』とは対照的に「面白いから楽しんでください、私は傷つきません、私はこの外にいますから」というのがさみしい。タイトルもそう。
吉村 この人は作家になりたい人みたいですね。だから安易に賞を与えるわけにはいかない。力はある。まだお若いし、精進してほしい。会話の運びにいいものがある。飲み屋のおっさんのような意味のない会話で、こういうの大好きなんですよ。衒学趣味に走る必要ない。この作品の面白さは新釈のところにない。
若島 確かに。これを読んで『古今』を読みたくはならない。
吉村 せっかく会話が面白いんだから、知的な香辛料はいらないよって言っておきます。

【白い夜】



谷崎 熟読前に通しで見たときに印象のよかった作品のひとつです。書き出しや雰囲気がいい。しかし、全体としては弱い。自分が実は死んでいる話だと最初から予想がついてしまうわけですが、それに気づくまでの描写や展開はよかった。「右手に握っている黄色い菊の花束を代わりに持ってやるべきではないのか」とか「この草むらに巣食う一匹の昆虫に変成しても、だれにも、もちろん自分自身にも、けして恥じることはない」とか部分的にはすごくいい。ただまだ何か足りなくて、もう少し頑張れるはずだと思います。好きな作品であるには違いないのですが。
若島 この他にもうひとつ語り手が実は死んでいるという話があるのですが、これは面白い傾向かな。だれしも死んでからのことはわからないし、私自身、死んでからの話に興味がある。ナボコフも書こうとしていて、どういう風に書けるか実験している。確かに面白いネタで、臨死体験のようなありきたりの形ではなくそれを書ければとんでもないものになるかもしれない。読み始めたとき期待があった。死の世界のトポロジーをなぞっているようなところは面白い。ただ、それほどその先に行かない。結局、白い光で終わってしまう。部分的に面白いところがあるのに、もうちょっと何とかならないのは何でだろうね。テーマ自体の難しさかもしれない。最初に出てきた黒い箱とか、せっかく出したのだからもっと活用してほしかった。
吉村 白い光というラストは確かに定型的ではあります。でも、濃い小説ではないだけに、老人の枯れた死が出ている。静ひつで、人の死ってこんなものじゃないかなと思う。それほどドラマチックでもなければ、ちょっと物足りない感じを伴って訪れる。個人的に老人の書く小説を楽しみにしていて、かたやすごいドロドロしたものが出てきてほしい反面、こういう老人にしか書けない世界を期待している。一番まじめな意味で死に接近していて好感。この作品だけ読んだ後に背筋がすっと伸びた。ただ、他の作品もいいので、それに比べるとおとなしい。
若島 気になるのは、最後に出てくるのが家族ということ。私は死ぬと家族なんて関係なくなって、全く見知らぬ者たちの群れに行くような気がするんだけど。部分的にお葬式になっている。そういうもんかな。
吉村 でも家族の会話はドライですよね。
若島 そこはいいですね。
吉村 ああここで家族を切ったんだなあって思う。家族愛とか出てきたらどうしようと心配してたけど、そんなことなかった。

 中沢さんからは2作品の応募があり、もうひとつも「意識の死」というテーマでした

吉村 なんかあるんですよ、この人。大病されて、大きな手術をされて、臨死体験的なものをされたと思う。そういう気がする。立花隆さんの『臨死体験』を読むと、共通して見るみたいです。トンネル体験だったり、白い光に吸いこまれたり。だから何か体験をされて、それをどうしても書いておきたかったんだと思う。

【やさしい夜】



吉村 すごく上手。登場人物の性格が行を追うごとにくっきりする。「わたしはつま先の開いたサンダルの先っぽを床に押し付けて、曲げたり伸ばしたりしている」こういう描写は上手ですね。「わたし」が「ろうがんなの」という春ねえの言葉を反芻するところあたりは、失恋によって春ねえの理解が深まっていることがよく出ている。なんせ寂しい感じがよく出てます。「ひとつのことで悲しいわけじゃない」とか。失恋物語だが、失恋から、さみしさ、彼氏と会えなかった悔しさとかないまぜになって、人間存在の悲しさまで入っていってるような。そういうの好きなので楽しめました。ただ、「どれくらい? 死ぬほど。」の「死ぬほど」は無いほうがよかったし、最後の曲はビートルズでよかったのかというのもあるし、タイトルも悪い。
谷崎 読みにくいところもないし、楽しく読みました。でもどこか足りない。このスタイルで行くことじたいはいいと思うんですけど。物語として孕んでいるごちゃごちゃした要素をもっと出してほしい。春ねえの不倫の恋人が出てきて、おっと思ってもそれほど深まらないし。優等生的で、タイトルを含めてきれいすぎる。
若島 今回の候補作の中で一番買わない。最初のページを読んで想像した最悪のコースへ行ってしまう。寂しい話ではあるが、読者としてはかなりフラストレーションがたまる。小説よりもテレビドラマになりそう。
吉村 そうですか。僕がひかれるのは、この手の小説が書けないからかなあ。
若島 そういうことかもしれませんね。書き手の立場と読者の立場の違いでしょう。
吉村 小説に何を求めるかでしょうね。確かに予測可能な流れなんだけど、ストーリーは気にならないし、不倫の内実を知ろうとも思わない。自分が悲しいときにこれを読んだら、多少はほっとするかなという気がした。この小説が、自分の負っている傷に寄り添ってきそう。
谷崎 私にとっては今回の候補作中、一番自分と立場が近いわけですが、それで普段の女子の生活にある要素を使っているから、よくわかると同時にちょっと物足りないです。自分にそう書けるという意味ではないんですが、こういうものができていく過程もすごくわかる。わかるだけに。
吉村 僕なんかはかけ離れているだけに、いいなって(笑)、単純に思います。縁のない世界で。
谷崎 こういうスタイルで、こういう内容の小説って割と流通していると思うんですよね。そのなかで読者に選んでもらうにはまだ足りないものがある気がします。

【京都大学新聞文学賞だから、あえて書く】



若島 何とも言いがたい。小説の場所に入ってこないから、他の作品と並べてものを言うのは難しい。ただ、かなり笑わせてもらった。しかしものを言いにくい。この人に、頑張ってね、とも言えないし、どう言ったらいいのかな。
谷崎 ヘタウマな感じというんですかね。。面白かった。最初のほうはマジメだけど、だんだん変になっていって…。始めは告発小説かなって思ったんですが、そういうものを書こうとして、作者自身でもわからないうちにわからないものになっていったのでしょうか。
吉村 はじけてますね。失業中とのことですが、ここに書いているような職場で働いていたのでしょう。機械は流れ続けて止まらないし、標準労働時間内にやらないといけないし、ガーッとなったものがあって、それがそのまま出ていて、切迫感がある。それでいて傑作な…始まってすぐの「俺の作業服が無い!」。ここでまず爆笑しました。ほかのところの言い回しも最高。おさるさんのところだけ冗長だったかな。最後はひこにゃんで盛り上がったし、ここさえ締まっていればかなりの迫力だったと思う。タイトルも好き。ブルーカラーの底力というか、エネルギーのあるやけっぱちの笑い。おさるさんの失速がおしい。
谷崎 私はおさるさんパート、割と好きです。トランス状態に入っているような。幸せなような、幸せじゃないような。ラリッてるような。トムとジェリーのような意味のない繰り返し。
吉村 トランス状態って、そうかもしれないなあ。まあ酔っぱらっていることは確かですね。
谷崎 そういえばこれを読んで、中原昌也さんを思い出しました。繰り返しのせいですかね。
吉村 まああの人もちょっとやけっぱちですからね。でも、ごく普通の人が思っていることを代弁できているところも結構あると思う。だからスカッとする。ただ単に叫んでいるだけなんですけどね。恨みはあると思いますけど、「確かにそう言いたいやろな」というのは伝わってくる。そういう意味で本気で書いてらっしゃる。国家によって殺されていくような腹立ち、苛立ちはやっぱりあるんでしょうね。それがないと富士山削ったりしない(笑)。富士山削るって素晴らしいですね。何かを象徴したのかなとか考えたりしたんですけど。世界一のトヨタを削って、変なカタチに直して、謝っているとか。そんなの全部合わせて、今の日本を象徴しているような気がする。

 編集部では一番ウケがよかった作品です。もし賞をとらなければ、特別賞という形ででもぜひ掲載させてほしいのですが。

若島 そんな感じがいいですかね。ほかのと並べて論じたらおかしい感じ。
吉村 特別賞枠があればいれたいですね。

【リンゴ】



吉村 最初の「ろろろろー」まで読んで、トイレに行ったんですよ。帰ってきて置いてあるのを見たら、これがすごい不気味で。何だこれって、最後まで読んだんですけど、何とも言えん小説ですね。これ、何なんですか。映画館「ラ・パロマ」に青年と魑魅魍魎がいて、映画のなかの登場人物もいるんだけど、うまく整理ができない。
若島 スクリーンの世界と現実の世界が入れ替わったりしてますよね。映画に出ている人物が観客となって出てきたりもしている。
吉村 ですよね。それからもややこしいところがある。で整理しようとするんですけれど、でも、こういうことを読み解くことに、果たして意味があるんでしょうか(笑)。でもこれすごい好きなんですよ。はじけている。不気味な存在感がある。まず擬音が不気味。おそらく作品には2種類あって、まずひとつが『平安のロマンス』のような読者を楽しませる小説。そしてもうひとつが異様な存在感を持ってそこにある小説。これは後者ですね。分析を受けつけず不気味に存在している。という評価はできるんですけど、言葉ではちょっと言い表せられない。
谷崎 初めて読んだときこれしかないって思いました。本当にすごい。全部好きです。読んでいて泉鏡花を思い出しました。何が書いてあるかわからないけど面白い。
若島 そうでしょうね。泉鏡花の他に、場面の切り替えや枠組みからすると、鈴木清順の『陽炎座』みたいな作りですよね。
谷崎 作者の森いの助さんをインターネットで調べてみると、どうも劇作家の方のようですね。劇団を主宰されていて、一人何役もするような劇を書いてらっしゃるのかもしれない。それでこういう書き方なんだって納得しました。結構問題作っぽいですが。ところでこの導入、いいですね。
若島 何で「遠くに見え隠れする」と書いているのかなって思って読んでると、要するに亡霊たちからの視線で見ていることがわかる。非常に上手い入り方。
谷崎 この枚数でこれだけのものをギュッとまとめて詰め込んでいるのもすごい。上手かつ個性的。
若島 私もこれが飛び抜けていいんじゃないかと思います。そうとう技術点高い。文章上手い。いろんなことが全部詰まっている。一例として、現在と過去をつなぐとき、『平安のロマンス』だと「未来記風に記すと」と現代語風にしてつないでいるのが、こっちは現在と陰間という江戸時代の歌舞伎の男色の話がわざとらしくなくつながっている。切り替えは割と強引なんだけど、読んでいて違和感ない。話は、横溝正史の『八つ墓村』みたいな田舎の村の血の話。入れ子構造にもなっていて、自由に枠のなかにはめたり出したり。はっきり言ってたいしたもんだと感心しました。一番楽しめた。よく考えたらややこしいことになっていて、物語がどうなったのかよくわからない。でもあまり気にならない。ある程度わかりますから。ラ・パロマの話を除いて、人名とか地名とかも全部フィクションで、完全に虚構の世界を作っている。それでいて妙にリアル。私の実家は京都ですが、うなぎの寝床式で子どものころ夜にトイレに行くのが気味が悪かった。トイレもくみ取り式で、ウジ虫がうじょうじょ蠢いているこの穴に落ちると、永久に助からないんじゃないかって、すごく怖かった。そんな感じ。有象無象の亡霊たちがうじょうじょしているような。
吉村 この原稿をポンと置いたとき、そこにくみ取り便所が現れるような怖さがありますね。
若島 ぼこっと落ちてしまいそうなね。まあ穴の話、生き埋めの話が出てきますけどね。
吉村 男色の話で舞台を映画館に持ってくるっていうのも非常にぴったりしている。実際映画館にこんなのはいっぱいあるので。そこに見にきているゲイのおっちゃんはこんな感じですよ。
谷崎 そうなんですか。
吉村 そうなんです。面白いですよ、新世界なんて。また今度ご案内します。
谷崎 やった。
吉村 女性は珍しいんですけどね。それにしても、そうか、あんまり深く筋を考える必要なかったのか。
若島 一応あとで考えてみましたけどね。やっぱり部分的にわからないところがあるので。でも読んでいるときは全然気にならないですよね。
吉村 僕も1回目読んだときは全然気にならなかった。
若島 2回目読み返してもやっぱり面白かった。で、細かいところを見ても、うまくできてる。
谷崎 亡霊の人たちもすごい元気で楽しそうですよね。

 『リンゴ』が高評価ですね。受賞作は『リンゴ』でしょうか。

吉村 『人間機械』もありますよ。
若島 そうですね。実は私も、1位『リンゴ』の次の2位は『人間機械』です。3位が『白い光』。『だから、あえて書く』はランク付けできないので、ひとつだけ欄外です。ただ、『人間機械』もよく書けていると思う。笑えるし、読んでいて退屈しない。一見難しそうに見えるんですが実はそんなことはなくて笑えるんですよ。有難いタイプの小説です。
吉村 これはなさそうですか。
谷崎 『やさしい夜』ですか。
若島 吉村さん、やっぱり好きなんですね。
吉村 まあ平凡は平凡やな。
谷崎 佳作ぐらいですか。
吉村 佳作か、まあちょっと休んどいてもらおうか。受賞作はひとつ?

 そうですね。ただ特別賞みたいな形は可能かもしれません。

谷崎 吉村萬壱奨励賞はどうです。
吉村 それだったら『人間機械』ですよ。いや、僕お金は出しませんよ(笑)。
谷崎 『やさしい夜』を推してらっしゃるから。
吉村 これは個人的に大事にさせてもらいます。
谷崎 私も好きは好きなんですよ。
吉村 ちょっと落ち込んだときなんかにね。
谷崎 そうですね。

 それでは受賞作は『リンゴ』ですね。

三人 そうですね。

 そのほか『人間機械』『だから、あえて書く』にも賞を贈呈したいと思います。本日はどうもありがとうございました。


《本紙に写真掲載》