渡辺文樹 上映会実録(2009.02.16)

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おどろおどろしいポスターが町の電柱を埋め尽くす時、あの男がやってくる。

かつて映画の世界で名を馳せた男は、日本の閉塞したマスコミに離縁状を叩きつけた。選んだ道は、全国行脚をしながら自作の映画を公開すること。差別、天皇制といった取り上げるのがタブーとされる題材に踏み込んだ作品群は各地で賛否両論を巻き起こす。結果として公安に上映を差し止められ、監獄にぶち込まれることになる。だが彼は表現で戦い続ける覚悟を一層固めた。映画という身近な娯楽だからこそ伝えられるメッセージの可能性を信じて。

なぜ彼は映画を作り続けるのか。そして何を伝えるのか。これは、プロの興行師と呼ばれる男の上映会の記録である。(如)




2009年1月9日、クレオ大阪中央。14時から予定される上映会を前に周辺は異様な雰囲気に包まれていた。上映阻止を主張する右翼の街宣車が会場を取り巻くように巡回し、背後を尾行するパトカー。入口には警備員が張り付いている。11時を少し過ぎた頃、ようやく上映機材を乗せたトラックが到着した。助手席から白髪交じりで小太りの男が降りてきた。渡辺文樹である。

―反権力と言っても日本人はおとなし過ぎる。戦う人が少ない―

彼は単なる映画監督ではない。脚本・編集・撮影から宣伝・興業まで自らで行うプロの「興行師」だ。しかも全国をトラックで巡りながらである。上映一週間前になると会場周辺の電信柱に宣伝ポスターが貼り出され、独特の色彩で描かれたその表面には「失神者出た」「ゲロ袋用意してます」という謳い文句(通称「煽り文字」)が躍り不気味さを醸し出している。ファンの間ではこれも含めて一つの作品として捉えられることが多い。

当初の予定より数分遅れで上映会は始まった。この日は「ノモンハン」とその姉妹作の「天皇伝説」の2作品を上映する。「皆さん、手間取ってすみません。本日は私の上映会にご来場くださりありがとうございます。会場周辺に警察がいましたがこの(施設の)中には警察はいませんのでご安心ください」とアナウンスをすると会場から笑いが起こった。照明が消え、しばしのポーズの後に俳優の顔がスクリーンに浮かび上がった。監督本人だった。制作だけではなく自らも役者として出演しているのにはこだわりを感じる。 音声は同時再生のDVDから出力しているので時々タイミングがずれる。「デジタルだけでなくてモノラル独特の音も好き。映画ってもっと個性があっていいと思う」

(「ノモンハン」あらすじ) ノモンハンは中国北東部、モンゴルとの国境に近いハルハ河周辺の地域である。日中戦争の続く1939年5月、日本軍はソ連との国境紛争から発展し戦火を交わすこととなる。数多の犠牲者を出し戦況劣勢の日本軍は状況を打開するために大軍を投入する方針を固めるも、突然の「攻撃中止の大命」が下る。軍司令部以下が自らの首を賭けてまで大反撃を奏上した以上、この大命を下したのは昭和天皇以外考えられない。背景にはソ連軍に拘束されたある皇族将校の存在があった…

ストーリーの多くは出演者の回想がメインとなっている。出演者には大学生も多く、素人臭さも残るものの演技以上に短期間で役者一人一人が持つオーラを最大限に引き出す監督の能力には驚かされる。特徴は監督演じる陸軍大佐が他の出演者と差し向かいで話すシーンが多い点だ。この間、監督と相手のカットが交互に挿入されるだけであるのが逆に臨場感を引き出している。

登場する上映と上映の間にインターバルを挟むとはいえ、機材のメンテナンスなど心の休まる暇はない。この日4回目の上映が終わった時、時計の針は夜の9時を回っていた。

上映会を終えた監督の話を聞くことができた。

今の若い人はおとなしいよね。おれは今55だけど映画などの表現で戦う人が少ない。昔なら左翼の独立プロなどもあった。でも今は何だよ。今日来てた右翼の街宣車もそうだ。会場の周りを警察に守られてくるくる回って。情けねぇよ。

内容が天皇制の問題を扱っている作品もあるだけに上映拒否をされることもある。今までで20回はあるんじゃないかな。直前になって断られたらこちらとしても(金銭的な意味で)やっていけないからその都度裁判を起こしている。基本的に今日のような公の施設だと地方自治法で国民の利用を認めることになっているから裁判だったら勝てる。ところが九段会館のように民間の施設だとそうはいかない。この時ばかりは負けてしまうのも仕方ない。

裁判だけじゃなくて逮捕されたこともある。全部で20回くらいかな。去年の逮捕(※)は違うけど、ポスター貼り程度で拘留されたことがある。 身体の拘束は精神の抑圧に他ならない。苦痛だったね。だから檻の中でで同じ体験をした受刑者には出所後も手紙を出すようにしている。直の手紙というのはやはり力づけられるね。ヤクザが牛耳っている刑務所内の人権問題の作品もいつか撮ってみたいね。ちなみに売名行為のために自ら逮捕されるなんてバカな事はしないよ。時間の無駄だからね(笑)

映画監督の多くは幼い時期に(芸術に触れる意味も含めて)環境が充実している。山田洋次、大島渚もしかり。おれもそれにあてはまる。アメリカ映画で育った世代だから当時の感性も今の土台になっていると思う。小学校の頃は自分の「分」をわきまえて行動しているのが嫌だったね。後に家庭教師の仕事を通して感じたんだけど、親っていうのは子どもの資質を穿って見ていると言うか、尺度に当てはめようとしているんだよね。本当に親はバカだなぁって思ったよ。おれはいわゆるお山の大将と衝突する子供だったから、その頃には既に反権力の気概はにじみ出ていたのかもしれない。

高校に入学して、映画研究会を創立した。その頃には将来映画で飯を食いたいと心のどこかで決めていたんだろう。大学に上がって相当自由になったと思うね。東京の大学に入らなくてよかった。福島からの産地直送映画だからこそ今でも自由にできることがあるんじゃないかな。

最初の方はパッションや自己顕示欲と言うか気取っていた。自分の目指すものが映画での表現だとしたら、その対極にあるのが文学だと思うし、いい意味での競争を目指している意識はある。おれの映画プロダクションは「マルパソプロダクション」って名前なんだけど、これはイーストウッドにあやかってのもの。彼は映画という媒体を通して紹介をするのが上手いと思うね。通俗的な娯楽映画の中にメッセージを盛り込む点はおれも日頃から意識しているところではある。けれども映画の娯楽性も忘れてはならないね。自分が映画を作る側になってもレンタルでハリウッド映画を借りてくることもあるよ。最近ではデ・ニーロやクルーニーとかを見たね。良い監督は良い鑑賞者であるとまでは言わないけれど、制作意欲があるなら作品を撮り続けなければダメ。10年沈黙したら死んじゃう。そういう人は実は心の底で映画が好きではないんじゃないかな。

若い頃は上映会をやるたびに見せて、叩かれて、恥をかくことの連続。満場一致で評価される日もあれば、お客さんから金返せって叩かれる日もある。でもそれが成長につながるのが自分でも分かるから遣り甲斐があった。そして映画を作るからにはいつかは東京でロードショーをやりたい思いがあった。そこで池袋文芸坐の大林宣彦も使った立派なスクリーンのある部屋でジャーナリスト向けの試写会を50回から60回、1年近く行った。もちろん自費。そこでスポンサーが付くと「福島の産地直送映画」としてマスメディアに売り出すんだけど、ある日気付くんだよな。それは欺瞞の世界だって。デスクの反応を伺って俺はこの辺まで書いていいのかなって遠慮する。そんなのジャーナリズムじゃねぇだろ。表現の自由なんてみんな言ってるけれど嘘ばっかり。当時の映画雑誌を読んでいるとうかうかしてらんねえ、東京に行くべって気持ちになったね。

長い間続けて取り組んでいるのは日本の皇室の問題だね。具体的には原爆投下と天皇の関係、天皇家の血の問題。今も昔も天皇が政治に関わっているシステムは日本のガンだよ。それが原爆投下にも繋がったんじゃないかと思っている。だから日本の皇室のシステムはイギリスの王室のようにしたい。殺すのではなく、政治と関わらないようにするべきだ。それと、「天皇伝説」にもあるように今の天皇は直系の男子ではないと思う。こんな内容を日本で取り上げようとすると公安にチェックされるからアメリカの現像所に持ち込まないとマスターを形に出来ない。皇室だからダメとかじゃなくて、もっと色んな考えがあっていい。

映画にせよテレビにせよ、みんなで見る面白さがあるんじゃないかと思う。パッパッパと展開が進むのがアメリカ映画だとすると、耐えて見ることで最後に感動がどっと来るのがヨーロッパ映画。子供の時イタリア映画を見に行って、帰りのバスの中で内容を思い出して感動したのを覚えている。今は見る側もチラシを先読みしたり見る側も情報に対して請求的に変わってきている。見る側がこのような心境にあるからこそ、イマジネーションで対抗することは大きな意味を持つと思う。体の続く限りこの仕事は続けたいね。


(※注 昨年3度の逮捕はいずれも無銭宿泊による「詐欺罪」である。ところが逮捕以前に旅館から監督本人への連絡も不十分である上に別件逮捕が繰り返されている点から、公安による弾圧と指摘する動きもある)






わたなべ・ふみき 略歴 

1953年、福島県いわき市に生まれる。幼い頃から映画に慣れ親しむ環境に恵まれ、福島県立磐城高校に入学後映画同好会を設立した。これが映画監督人生の始まりである。福島大学教育学部卒業後、家庭教師で資金を稼ぐ傍ら実費で映画を撮り続ける生活がスタートする。この時の生活を綴った自叙的作品が「家庭教師」である。やがて福島県内ではアマチュアの映画監督としてローカルテレビで作品が放送されるなど名の知られた存在になる。転機は「家庭教師」であり、これを境に念願の一般公開がスタートする。90年の「島国根性」ではカンヌ国際映画祭に出品し、日本映画協会新人賞(奨励賞)を受賞した。尚、この年の同奨励賞受賞者には北野武がいる。波風の立たない「普通の」映画監督人生が一変したのは92年の作品「ザザンボ」がきっかけだった。制作過程において知的障害の少年の死の真相を追うため彼の墓を掘り起こした渡辺の行為が糾弾され、配給を予定していた松竹から契約を打ち切られる。その後はスポンサーとの契約もなく撮影・脚本から上映までを全て自らで行うスタイルが確立していくことになる。99年の作品「腹腹時計」では昭和天皇の暗殺計画という内容を扱い、日本の報道における皇室タブーに挑戦した。このため公安による上映差し止めなどの妨害を受けたものの、制作意欲は衰えることなく次回作の「御巣鷹山」では日航ジャンボ機墜落事故の裏に隠された秘密を題材に取り上げた。今回の「ノモンハン」および「天皇伝説」は日ソ間の国境戦争として知られるノモンハン事件における皇族将校の奇行、更には天皇家をめぐる血の争いを描いている。

渡辺の撮り上げるテーマは多岐に渡るが、一貫しているのは反権力というアンチテーゼである。過去の作品を遡っても、福島のアマチュア監督時代の作品「福島県庁汚職」が公安により上映差し止めになっている。上述の「腹腹時計」「ノモンハン」では昭和天皇の戦争責任を問うているし、ジャンボ機墜落事故への中曽根内閣の関与説があるとも言われる「御巣鷹山」などが知られている。既に創価学会と暴力団の癒着を描いた「阿鼻叫喚」が完成しており、近々公開予定の「三島由紀夫(仮題)」では右翼テロを独自の視点で描いている。本人曰く、いずれ形にしたい題材としては米国小倉キャンプ集団脱走強姦事件などがあるという。

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