〈寄稿〉 笠木丈 「カメラのまなざしと開かれた寮、 その葛藤はあったのか」—熊野寮監視カメラ報道の違和感—(2008.12.16)

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11月1日付けの京大新聞紙上に、「【ルポ】防犯カメラ設置の熊野寮で起きていたこととは」と題された記事が掲載された。熊野寮の「防犯カメラ」導入という事態に兼ねてから注目していた私は興味を感じて読んでみたのだが、何点か違和感を覚えざるを得なかった。それについて、以下の文章にて所感を述べたいと思う。

まず、この文章を書こうとする筆者のスタンスを明らかにしておきたい。私自身、熊野寮を訪れたことはあるものの、実際に住んでいる人間ではないので一連の不審者事件のリスクを被るものではない。この文章は所詮、「安全地帯」からの発言にすぎない。結局、カメラに関して判断を下すべきは現実の危険に曝されている熊野寮生自身であることは言うまでもない。とはいえ、京大新聞の記事を読むかぎりでは、熊野寮の議論においてカメラの導入が含意する事態について十分に自覚されていたのか、疑問に感じざるをえなかった。そのうちには、寮外に居住する私に関わる問題も含まれている。あくまで寮生ではない立場として、しかしカメラの視線を浴びうる個人として、この文章を綴る次第である。

なお、熊野寮自治会は12月14日現在、対外的な公式見解を表明していないため、以下で俎上に乗せるのは、あくまで京大新聞の記事である。熊野寮自治会ないし熊野寮に関わる諸個人が、同記事に収まらない認識や見解を持っている場合にはぜひとも反論されたい。

1 カメラの視線の持つ性質

1―1 警戒し、威嚇する視線

そもそも、防犯のためとして設置されたカメラの視線は、実際にはどのような性格を持つことになるのか。

まず、抑止効果を期待されるかぎり、カメラはトラブルが起こる以前の時点からすでに作動している必要がある。すなわち、カメラは実際に起こったトラブルを記録するだけではなく、トラブルを起こす可能性のある人物に対して警戒の視線を向けているということができる。

とはいえカメラの側がただ警戒しているだけでは、抑止力は発揮されない。まずトラブルを起こしうる人間がカメラに気づき、続いて「カメラに記録されることで自分は不利益を被る、だから思いとどまろう」と判断する必要がある。そのために、カメラは相応の存在感を持っていなければならない。害をなす人物が躊躇する程度の強さで、「何か良からぬことをすると不利益を被る」というメッセージを送っていることがカメラには要求される。「不利益を示唆して行為を規制する」という点で、このメッセージはまた威嚇的であるということもできる(もちろんこの「規制」の目的、たとえば「暴力事件の防止」といったものは十分に正当であるだろう。けれどもそれと無関係に、「メッセージ」そのものは威嚇的なものとなってしまう)。

このように、抑止効果を発揮するかぎりで、カメラは警戒し、威嚇する装置となる。では、「トラブルを起こしうる人物」とは誰を意味するのだろうか。

1―2 視線の無差別性

カメラは寮にとって好ましくない行為を抑止する意図で設置されている。したがって、そのような行為を意図していない人間にとっては無関係なのではないか―このように思われるかもしれない。しかし、カメラの監視対象は無差別的であり、必然的にあらゆる訪問者と関わりを持つと考えられる。このことは次の理由による。

繰り返すと、抑止力を期待されるカメラはトラブルの事後ではなく事前から作動していて初めてその意味を持つ。だが、事件が起こる以前には、誰が害をなすのかあらかじめ確定することはできない。したがって、カメラは、だれか特定の人間をピンポイントに監視するわけではない。つまり、監視は無差別なものとなるのである。

このような「警戒する視線」が「無差別」に向けられることによって、誰もがカメラの前では潜在的な「不審者」となってしまう。しかも、カメラはそういった「不審者」に対して抑止が効く程度の執行力を威嚇的にちらつかせてもいる。これはあたかも、何も疚しいところはないのに、前を通りがかるだけで槍を持った門番に睨まれるようなものだ。しかも、その門番はまさしく「機械的に」どんな人間をも区別せず睨みつけてくるのだ。

カメラの視線がこのようなものであるかぎり、当初の目的がトラブルの防止であったとしても、そして来訪者に悪意がなかったとしても、カメラはどうしても排他性を帯びるように思う。これは寮内ですでに検討されたという「プライバシー権の侵害」とは別の問題であるが、同様に十分考慮されるべき論点ではないだろうか。というのも、この排他性は熊野寮の自治と、ある部分ではそぐわないように感じられるからである。では、なぜ熊野寮が排他的であることが問題とされるのか。そのことを考えるために、自治とカメラの関係についてさらに考える必要がある。

2 寮自治とカメラの関係

2―1 寮自治と場所へ問い

そもそも寮自治とはどのように捉えられるものなのか。京大新聞の記事はこう述べている。「〔カメラの導入によっても〕「自分たちが生活する場のことは自分たちで決める」という自治の精神は今後も衰えないであろう事は確かだ。」この記事は自治の内実をもっぱら自己決定という性質のうちに見て取っている。そして、それが維持されているかぎり、カメラの導入は自治という理念を損なうものではないことが主張されている。しかし私は、寮自治とは自己決定という形式に尽きるのではなく、それによって「どのような場を目指すか」という問いと切り離せないように考えている。

例えばこう考えるとする。仮に、自己決定という形式だけを自治の内実とみなし、「自分たちはいかなる場所を作るか」という問いかけ、言い換えれば、場所に関する理念の模索が放棄された寮自治のあり方を想定してみよう。その場合にもなお残っているのは、「学業のための福利厚生施設」という意義だろう。だが、このような寮は自治寮であるよりもむしろ、大学当局によって管理された寮であるほうが、好ましいのではないか。そうすれば第一に、自治活動に割く労力が不要となる。寮生が払うべきコストが低減すれば、それだけ勉学へと向けるエネルギーも増すことになるだろう。そして第二に、管理者が門限や消灯時間を設けることによって、規則正しい生活が可能になる。私自身ずいぶん身に覚えがあるが、学業にとって肝要なのは「正しい」生活習慣であり、それが外部の強制力によって保証されるなら、研究能率や講義の出席率は上がること請け合いである。それは、さぞかしつまらない日常だと思うが。

ともあれ、こうした想定からも伺えるように、大学当局ないし文部科学省によってお膳立てされた「学業のための厚生施設」という側面だけではなく(もちろんそういった側面は一方では確かに存在するし、それ自体は正当である)、寮生自身で寮という場所に何らかの意味づけをしないのならば、寮自治そのものの意義が見失われるように私には思われる。

2―2 自治寮を開くということ

そのうえで、「学業のための厚生施設」という以上の意義を寮自治に見いだすということ、この作業と同時に要請されるのが、寮を外部へと開く志向であると私は考えている。「学業のため」という論理だけに依拠はしないにしても、そのうえで自分たちだけにとって有意義で豊かな場を持つのであれば、寮という場所を占有することになるのではないか。言い換えれば、「自分たち(だけ)のため」と銘打ち、「学業のため」という世間的な大義名分からすれば明らかに過剰な営みを行っているにも関わらず、しかもそれを「寮自治」の名の下に居直ることになるのではないか。このとき、「寮自治」という理念は、もはや占有の正当化以上の価値を持たないように思われる。もちろん私はただ「学業のため」だけの寮に魅力を感じないし、それ以上の場所を作ろうとすることの意義を積極的に擁護したい。ただそのうえで、自治によって作られた場所は占有されるのではなく、外へと開かれるべきだと強く思うのである。

あらゆる人に、ということはもちろん現実的に不可能だろう。けれども、寮を運営するなかでおのずと繋がる関係性があるのもおそらく確かである。自治寮を維持する運動のなかでも、日常の生活のなかでも、寮が外部の諸個人・団体と寮が関わりを持つことは自然と生じると思われる。熊野寮、もしくは他寮の廃寮化に抗するためには相互の連帯が不可欠であるし、また寮に興味を持ち遊びに来たいという人もいることだろう。そこで生まれる繋がりを排除せず、外部へと開かれていることは寮を自分たちだけの占有物としないために必要なのではないか。そして、来訪者を無差別に警戒し、威嚇するカメラの視線は寮を外部と結びつける際の障害物となりうるのではないか。

京大新聞の記事を読むかぎりでは、カメラの視線が孕む排他性という視点、およびカメラの排他性と自治寮という場所との関わりという視点が熊野寮における議論に欠けているように思われた。とりわけ、「なぜ、どのような自治を行うのか」という問いを問わずして、カメラの導入を行うのは大きな問題を含んでいるのではないだろうか。そして記事に書かれていた「自治=自己決定」という規定は、この問いに対する十分な回答であるとは思われない。最終的にカメラ設置に至ったとしても、熊野寮での意思決定は必要な葛藤の過程を確かに経たのだろうか。記事から知るかぎり、私はこの点に関して疑義を抱かざるをえなかった。そのため、あえてリスクを引き受けることのない立場から、しかし同時に排他的な視線に曝されもする寮外の立場から、思うところを述べた次第である。

(かさぎ・じょう氏は京都大学院生)

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