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採用活動の早期化に“待った” 8大学工学部長会議が声明

2008.11.07

近年、修士課程の学生を対象とした企業の採用活動は早期化・長期化の一途をたどり、正常な大学院教育・研究を阻害するようになってきている。10月22日、現状に危機感を覚えた8大学工学部長会議は声明を出し、行き過ぎた採用活動の是正を企業側に強く要望。同日、日本経済団体連合会へ報告を行った。

大学院修士課程の学生に対する採用活動は、早ければ1回生の8月からスタートする。1社を受け、1~2週間で内定が決まるのであれば勉学に支障をきたすこともないが、多くの学生は複数社の受験を余儀なくされる。内定までにおよそ半年を要する学生も珍しくなく、中には1年近く決まらないケースさえある。その間、学生はほとんど研究に取り組むことができないため、修士課程の修学期間である2年、そのうち約4分の1から2分の1が就職活動で削られてしまう計算になる。会議の幹事校を務める京都大学の工学研究科長・大嶌幸一郎教授は、この現状が学生・企業・大学の3者いずれにとっても利益に結び付いていないと指摘する。

学生にとって、少なくない研究の時間を就職活動によって奪われてしまうことはそれだけでマイナスである。加えて、修士課程に進んで間もない時期から企業の採用活動が始まる現状は、まだ学部卒業程度の知識や経験しか持ち得ない学生に早くも次の進路選択を迫ることになる。そこで誰かが就職活動に走り出せば、同じ研究室の学生が不安や焦りを覚え、就職活動に身を投じていっても何ら不思議ではない。就職活動の早期化は学生の職業選択の自由さえ奪ってしまいかねないのである。

企業にしても、修士課程に進んで間もない時期に学生を採用して、果たして本当に正しい判断ができているのかどうか疑問が残る。また、なかなか内定が決まらない学生の多くは、えてして教授から見ても勉強の足りない学生である。採用活動が早期化しているため、勉強が追い付いていない状態で就職活動を始めなければならない一方で、勉強の足りていない学生ほど就職活動に手間取り、勉強する時間が削られてしまう。結果、本来学ぶべき内容や習得すべき技術を全く身に付けないまま、学生は企業に入っていくことになる。優秀な人材を確保したいという思いとは裏腹に、採用活動の早期化はむしろ、企業にとって逆効果となってしまっている側面があることは否定できない。

大学にとっては、高度な科学技術人材を育成する上での弊害となっている点が指摘される。修士課程に進学し、研究の本当の面白さや苦しさが分かるようになる以前に企業の採用活動はスタートしている。1年間じっくり研究に取り組んでいれば博士課程への進学を決定したであろう学生まで、1回生の内から就職活動の波に飲み込まれてしまっているのが現状。修士課程から博士課程に進学する学生が外国と比べて日本では少なく、欧米主要大学工学部から博士課程に進学する学生がおよそ50%いるのに対し、日本では10%にも満たない現状が続いている。

声明は、現状修士1回生の夏から始まる採用活動を、少なくとも2回生の4月まで自粛して欲しいと企業側に要望している。経団連を通じ、以上のような問題があることを企業側に周知していくほか、学生に対しても2回生の4月以降に就職活動を始めるよう指導を徹底する方針。企業の側にだけ責任をなすりつけることはあってはならないとし、企業と大学がともに襟を正し、この問題に正面から立ち向かっていきたいとしている。

8大学工学部長会議は国立大学法人北海道大学、東北大学、東京大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の工学系研究科、ならびに関連研究科の研究科長で構成されている。会議として就職活動に関する声明を出すのは今回が初めて。工学部に所属する学生のおよそ90%が修士課程に進学しているため、声明の焦点も修士課程の学生に当てられている。
 
カギ握る実効性

今回の声明について、記者会見が行われたのは10月22日。従来であれば、すでに製薬会社の面接が始まっている時期である。しかし、「今年はまだ、どこの会社も面接をしたという話は聞いていない」(大嶌教授)。9月10日には東京大学の西郷和彦教授らが発起人となった同種の声明が先だって発表されており、各方面から出される声明が徐々に効いてきているという。

「最近会った製薬会社の方も、『様々な声明について、先生はどうお考えでしょうか?我々としてもそれに従いたい』と言ってくれている」と話す大嶌教授は、「今年からすぐに、4月以降の採用活動が実現されるとは思っていない。しかし1年経った来年度からは、90%の企業が声明に賛同して、守ってくれるだろうという感触は持っている」と自信を見せた。

ただ現段階では、企業が声明を守らなかったとしても厳しい罰則は用意されていない。2~3年後、仮に今回の声明に実効性がなかったと判断された場合には、全ての専攻に通達を出し、就職担当のところで一切の活動をストップさせる手段も検討されている。しかし、この方法についても効力があるのは推薦応募に限られ、学生がインターネット上で文字通り自由にエントリーできる自由応募については、実質的に止めることは難しい。

罰則規定がなくても事態が改善されるのであれば、それに越したことはない。来年度の採用活動がどうなるのか。そこが1つの試金石となるだろう。

《本紙に写真掲載》