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『分数ができない大学生』から10年 記念シンポジウム開かれる

2008.10.23

10月4日、法経本館第六教室においてシンポジウム「21世紀の人材育成~競争力の再生に向けて」(京都大学経済研究所主催)が開かれた。今年は同研究所の西村和雄教授らによる共著「分数ができない大学生」の刊行から10年目に当たり、いわゆる「ゆとり世代」の大学・社会進出を迎えての問題を中心に講演が進められた。

シンポジウムでは産学5者それぞれの講演の後、西村氏による挨拶が行われた。いずれの講演にも共通して目立ったのは、いかにして若手の学力低下に歯止めをかけるかであった。大学側からは、大学が求める基礎学力と現実との隔たり、大学における初年度教育の可能性が論じられた。このうち、人間・環境学研究科の浅野耕太教授は、京大の全学共通科目を導入するまでの経緯を述べた上で教養教育の可能性について展開した。企業側からは、技術伝承を含めた社員教育の重要性と国際競争力の充実を図る試みが紹介された。

最後に、西村氏は挨拶にて「大学教育が変わらずして小中高の学力レベルは変わらない」と述べる一方で、「全国の大学の中でも京大はカリキュラムの自由度が大きい。この自学自習の伝統は守る必要がある」とも言及した。

上記の著「分数ができない大学生」では商・経済系学生の学力低下を扱っている。慶應大では受験生レベルの維持のために入試科目から数学を必須ではなく選択科目にしたので、数学受験者と地歴受験者とで数学のクラスを分離し授業を行っているが学力格差は著しいという。場合によっては学部側も中学生向けの内容から講義したいと考えているものの、生徒のプライドもありそれは実現しないでいる。京大の経済学部でも以前は数学が必修科目であったが、現行のカリキュラムではクラス指定扱いのみで履修の有無は個人に委ねられている。

編集員の視点

今回のシンポジウムから率直に思ったのは、まず学力低下を憂う前に、いかにも学生に問題があるとの印象を私たちが植えつけられている現状を疑わなくてはならないということだ。学生以前に知の発信拠点である大学がまず責任を負うべきである。このシンポジウムは自ら問題をでっち上げておきながらカリキュラムの形で大学自ら解決するという、言わば自作自演の感がしてならない。そもそもPISAの成績だけで学力を判断しようというのはあまりに早計であり、教育問題全体への不信感が拭えなかったのは心残りである。結局は自ら疑う姿勢が肝要なのかと考えさせられる内容を受けた今、西村氏の「京大における自学自習の伝統は守るべきである」のコメントがせめてもの救いである。(如)

《本紙に写真掲載》

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