ニュース

【記者レポート】菜食で地球環境を考えよう ベジタリアンフェスティバル

2008.10.23

10月5日、岡崎公園(京都市左京区)で「ベジタリアンフェスティバル」が行われた。「ベジタリアンの食生活を通じて地球環境や食糧問題について考える」イベントで、毎年1回、今年で第6回目だという。どれ、秋の味覚でも楽しめるのかと期待して、ちょっと参加してきた。(秀)

実のところ、最初ははっきりいって胡散臭さを感じていた。祭の名前についている冠に、である。日本語にするとより違和感というか、敬遠したい気持ちが増すように思える。「菜食主義」。遠い響きだ。最近とみにやかましい「エコ」とか「食糧危機」とかいう響きと共鳴する感じもあまりしない。

会場の公園に入ると、屋台の料理を入れてもらうための洗い皿・コップ代として200円を半強制的に取られたのも実はちょっと腹が立った。ゴミ削減のためだそうだ(マイ皿、マイコップを持参するよう事前に呼びかけていたようだ。食器返却時に料金は返してもらえた)。

あいにくの雨だったが傘の花が大量に咲いていた。外国の人や観光客と思しき人も多かった。ほとんどの人の目的は食べ物の屋台。もちろん野菜や豆だけを使った料理だ。かぼちゃと豆の玄米カレーやしいたけ、たまねぎを使った串カツなどなど、このあたりまでは普通だ(もちろんおいしかったが)。厚揚げのサンドウィッチやおからのギョーザとかいう奇想天外なのもあった。そのアイディアを評価するかは迷いどころだが、味はなかなか。さくらんぼのオーガニックワインをしこたま頂いた。

これら料理は主に京都や関西の菜食料理店が出店を開いてふるまう。屋台ではほかにも有機農園が野菜を販売したり、自然素材の化粧品、衣料などを紹介するところもあった。京都の地場産業を紹介する狙いもあるようだ。そのほか動物実験の廃止、毛皮製品の販売中止を訴えるNPOも参加、パネル展示には常時多くの見物がいた。

これら参加店に加え、ベジタリアン生活の普及を呼びかける企業やNPO、個人がスポンサーとなって2003年から毎年開催されている。特定の宗教団体や政治団体とのつながりはない。学生や社会人からなる有志のボランティア「ベジタリアンフェスティバル京都実行委員会」が主催。岡崎公園での開催は2度目だが、ずっと京都で開かれており、より多くの年齢層、国籍の人々に参加してもらうために土地柄を活かしたいとしている。環境/食糧問題を堅苦しさ抜きで考えてもらうためお祭の形をとっているのだとか。今年は過去最高の約100団体が参加し、雨天にも関わらず大勢の人が訪れた。

ホームページが存在し協賛団体が確認できる。正直な話、なんだかよくわからない団体も参加している。参加店・団体ごとに環境や食糧問題に対する意識の温度差はあるはずだし、そもそも「ベジタリアン」の捉え方自体に差があることを発見した。

インド料理店の人(国籍はわからない)は宗教上の理由から菜食主義をとっているという話しだし、別のところは普段お店では卵や乳は使うと話していた。そういう種類の菜食主義(オボベジタリアニズム、ラクト―など)もあるそうだ。客の中にもベジタリアンと自己規定する人がいたが、健康上の理由から動物性たんぱく質を「なるべく」とらないようにしている(セミ―とも呼ばれる)のだという。今回のベジタリアンフェスティバルでいうところのベジタリアンはヴィーガン―と呼ばれ、乳製品や蜂蜜に至るまで動物性食品は一切使わない。食用以外での動物利用もしない。

食糧危機とベジタリアンを結びつける論法はこうだ。本来、世界全体でとれる穀物の量は世界人口を養うに十分である。しかし、穀物は家畜の餌に大量に消費(浪費)されている。我々が食べる1キロ以下の家畜の肉を生産するのには10キロ以上の穀物が必要。動物性たんぱく質を育て口にすることは、穀物の不均衡を引き起こし国際社会に大きな歪みを生む、というもの。そして、それならば直接穀物を摂取しようではないか、と続くのだが大規模な食習慣と産業構造の転換をしなければ効果は限定的になる。

日本ではあまり盛んではないが、ベジタリアンの実践、徹底を呼びかける動きは世界中で見られるという。「野菜もちゃんと食べましょうね」とか「食べ物を残しちゃいけません」というレベルではなく、「食べ物」の定義を変えようというものだ。うまいものを食べたいという人間の根本的な欲望さえ敵に回さざるを得ない社会運動になる。健康やエコ、食糧難を武器にしても最後の戦いはそこだと思う。

一日だけの話ではない。日々の生活を変えなければ意味の無い話だ。たった一日のお祭りが逆にそれを気づかせてくれた。

《本紙に写真掲載》