谷崎由依 小説家 「文学が一番だった大学時代 マルケスに出会い、書けると思った」(2008.09.16)

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-谷崎さんはどうして京大を志望されたのでしょうか。

確固とした理由があったわけではありませんでした。多分、学校の雰囲気とかだと思います。ただ文学部に行こうとは思っていました。国文学を勉強しようと思っていたんですね。でもそちらには行かず、美学美術史の方へと。哲学から作品論まで幅広くやれそうな印象があったのと、あと現代美術が好きだったので。現代美術の展示へ行くと、新しい感覚が入ってくる。言葉の世界とはまた違うかたちで、五感に訴える刺激があります。それが面白くて。論文でも美術をやろうと思いつつ、もうひとつ届かずに卒業しちゃったんですけど。

-京都に来ての生活はどうでしたか。

それまで住んでいたのが小さな町だったので、都会に来たなあと。でも京都に来たというより、一人暮らしをしたというのが一番大きかったですね。朝起きれなくなったりとか、授業に出なかったりとか、情けない話ですが(笑)。

-大学時代、どのようなことに興味を持っていましたか。

興味の一番はやっぱり文学でした。だいたい本を読んでましたね。それしかしてないような気がするくらい。

大学に入ったとき、あまりに読んでいない本が多いと思ったんですよ。受験校だったし、はやく親元を出たくて受験勉強をけっこうしっかりしたんです。だからほかのするべきことを先送りにしていた。それまでは現代日本で人気のある作家を読んだり、あとは泉鏡花とか内田百閒とかが好きでした。家にはけっこう本がありました。母親が本好きだったし、学校を休んだときに母が買ってきてくれたりして。そういう手許にあるものを読んでいました。でも読んでいたのは日本のものばかりで、日本語に神経質というか、翻訳本には訳文独特のクセがあって、それがダメでした。

大学では時間ができたので、苦手だったものを読んでみようと。それで海外文学をおもに読みました。恥ずかしい話ですけど、ドストエフスキーなんかもまともに読んだことがなかったので、片っ端から読んでいきましたね。

-そのなかで印象に残っている本はありますか。

一番大きかったのは、やはりガルシア=マルケスを読んだことです。こんなものがあるんだって思った。語り方が全然違う。普通だと一人の人物が出てきてその人が淡々と語っていく、その人の生活を細かく書く、その人の悩みを述べる。マルケスの小説ではそうではなくて、ある人が出てきてその人のことがちょっと語られるとすぐまた次の人が現れてまたちょっと語られる。そういう風に薄く並べていくことで、すごく重層的な大きな空間が生まれていた。だから、こんな風に小説を書いてもいいんだってびっくりしましたね。

太宰治とか村上春樹とか、いまでもすごく好きですけど、やっぱり男の人なんですよ。悩める青年で、ヒロインも大人しい女の子が多い。私は女性なので、こういう視点からは語れません。自分の場所から書こうとしたときにどうすればいいか、ということは高校のときから考えていました。何かべつのやり方を知らないと書けないなって。そういう文脈で言えば、ラテンアメリカの女性たちは元気で、それを称揚するわけではないけど、新鮮で好感を持ちましたね。あとはウルフやユルスナールなど、威勢のよい女性作家たちにも励まされたように思います。

-小説を書こうというのはいつごろから考えていましたか。

書こうというのはずっと思っていたんですね。お話を考えるのは小さいときから好きでした。漫画みたいなのは、保育園に入る前ぐらいから書いていた。4コマ漫画とかを描いて喜んでいたのは覚えています。文学賞に応募するんだって書いたのは大学3回生が最初です。それまでは書けなかった。ノートに思いついたことやその日に見つけたものなんかをいっぱい書くんですけど、小説にならずに記録になっちゃうんですよ。すごいがんばって書くんですけど、ひとつの作品にならなくて。

それまでは落ち着きがなかったんですね。我慢して100枚の小説にするということができそうもなかった。3回生になって内面が落ち着いてきたので、じゃあなにかひとつのことに取り組んでみようとなって、書いた。でも落ち着いて書いたつもりでしたけど、今思えばあれは小説じゃないですね(笑)。詩の寄せ集めみたいなもので。

-小説を書くときには、まずどういうところから考えますか。

書き始めるときは、まず冒頭の部分が浮かんできてそれはどんなお話なのかなって考える、ということが多いです。新人賞のときの「舞い落ちる村」や「冬待ち」などは、ぼーっとしているときに冒頭の部分を書いて、これは小説の冒頭なんじゃないかって。最近は編集の人と話していて、こんな話って面白いかもしれないですねって言ってて、その話をどうやったら書くことができるかなって考えることも増えてきましたけれどね。

文章って空気だったり情景だったりするじゃないですか。それはどういう場所なのかなとか、こんな場所だったらこんな人いるかなとか。そういうのが書く取っ掛かりになる。私は今のところ100枚ぐらいの小説ばかり書いているのですが、そうやって冒頭を書いたあとにはすごくいっぱいノートを作りますね。はじめから順番に書いていくというよりも、思いついたところからパーッと。

それはだいたいこの辺だなって思いながら物語の軸にあてはめていくんですけど、途中でこれはダメだなってなったりもして。バランスが悪かったりしたときは、大きい紙を持ってきて場面を分析して、このエピソードが1日に入ってるからダメなんだ、2日に分けたらすっきりするとかっていう作業をする。

あと昔はあまりしなかったんですが、最近は作品を構想するときに、ほかのひとの作品を研究をしてみたりしますね。この前小説を書いたときは、ウルフの『灯台へ』の好きな部分を壁に張って、作業の合間に眺めながら書いていました。直接的にどう、というのはないですが、何かをもらう感じはします。

-翻訳もされていますね。

翻訳は大学院を出たころから、きっかけをいただいて少しずつやっていました。

-執筆と翻訳で互いの仕事への影響はありますか。

訳している小説で作った文体がなんか自分の文体っぽくなったりとか、自分が小説を書いているときにその文体が出てきたり。いえ、もともと自分のなかにあった文体なんですが、ある種の部分が強調されるというか、バリエーションが広がりますね。まだ作風とか固まっていないのに、こんなにいろいろやってていいのかななんて思ったりもしますけど、なるべくプラスに考えるようにしています。

-小説を書くのと翻訳だとどちらの方が好きというのはありますか。

どっちも好きですけど、うーん、やっぱりやり始めはどちらもしんどいんです(笑)。でもペースに乗っていくととても楽しい。このふたつは、ちょっと切り替えが必要で、ずっと小説を書いていてちょっと翻訳をやろうとすると「うっ」となっちゃうし、また逆も同じ。仕事は余裕を見た締切でもらうことが多いので、自分で調節してそれぞれ集中してできるようにしています。

-今はどちらを。

今は小説が中心ですね。長編『喪失の響き』の翻訳が終わってからは、だいたい。いつかは自分でも長編を書いてみたいですが、今はまだ100枚ぐらいの短編を書いていってます。

-最後に京大を目指す高校生にひとことお願いします。

自分のことを振り返ると、とても自由な学生生活で、勝手なことばかりしていても学位がもらえてありがたかったんですけど、せっかく専門的な勉強ができる場所にいたのだからもうちょっとちゃんとすればよかったなという後悔はあります。だから、大学では勉強も勉強じゃないこともバランスよくやったらいいんじゃないかなと。どちらもできる良い大学ですから。

―ありがとうございました。

《本紙に写真掲載》



たにざき・ゆい 福井県出身。京都大学卒。07年、「舞い落ちる村」で第104回文學界新人賞受賞。そのほか、作品に「冬待ち」、翻訳にキラン・デサイ『喪失の響き』などがある。

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