映画評 『靖国』(2008.07.16)

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「まずは見てから、議論はそれから」

ドキュメンタリー映画「靖国」を観る観客の多くは、みがまえてスクリーンの前に座ったに違いない。この映画が放映されるまで、いささか厄介な政治的な係争があった。一時期は上映中止かと騒がれた。この映画を見ること自体が、一つの政治的メッセージであるかのように。しかし、その騒動によって、この映画は大きな注目を集めた。敷居が高いとみなされ、興行的にはあまり成功しないといわれるドキュメンタリーにしては異例のことだ。よしんば監督の意図が伝わらなかったとしても、これだけの話題を呼んだことは、他のドキュメンタリー監督からすれば嬉しい悩みといえるだろう。

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京都シネマでの放映を見に行った。観客の年代層は高め。遅く出かけたために立ち見になってしまった。京都シネマのカーペットの上にのっそりと座り、『靖国』を観た。

靖国神社に訪れるさまざまな人をカメラは記録していく。前時代かと思うような軍服を着てパレードする人たち。神社内の式典に突入し制止される若者、「首相を支持する」と書いた幕をあげるアメリカ人。その闖入者たちにそれぞれ、その行為を非難する人、共感する人、止める人たちとのやりとりがある。だが、彼らの間に交わされるのは、耳障りな怒号と叫び。敵を追いたて、ひんづかみ、口角を飛ばす威圧的なパフォーマンス。監督のカメラは被写体の動きに合わせて揺れ、その体に迫る。靖国で白昼(でもないが)起こる出来事を、好奇心が過ぎた野次馬のように、カメラは見つめていく。なるべく他者との接触を避ける方向へと進む現代において、それを補償するかのように絶え間ない衝突を生み出す靖国神社という場には、怖ろしさと、不思議な魅力を感じる。

これら靖国の日常に、靖国神社のご神体である刀を打つ刀匠へのインタビューがときどき、挿入される。中盤、監督が刀匠に「首相の靖国神社参拝について」訪ねるシーンがある。刀匠は返す刀で…ではなく、とつとつと「あんたは?」と聞き返す。少し顔をほころばせながら。刀匠の刀を研ぐ日常に、監督という闖入者が飛び込んできた。息子ほどに年が離れた若者に自分の仕事を問われれば、誰しも嬉しいと思うだろう。刀匠と闖入者は、暗い仕事場の中で静かに話を交わす。その光景をカメラは黙って見つめる。

ドキュメンタリーは時として、私たちの現実の境界をぼかす。2つの現実がある。どちらが本当の「靖国」なのか、わからなくなる。二つの世界を対比してみせる監督のもくろみは、この点でうまくいっている。

観客ができることは、この映画が右だとか左だとか、反日だとか、そんな他人のまわしで相撲をとることではない。この映画で提示された二つの世界を比べ、どちらの関係の結び方をしたいかを決めること。それ自体はそんなに難しくない。(ち)

《本紙に写真掲載》

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