〈書評〉ロボットは人の心を持ちうるか 『クララとお日さま』(2021.12.01)

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本作の主人公クララは、子どもの健全な成長を促すために作られた「AF」と呼ばれる人型ロボットだ。初めのうちは知覚の容量が小さく、人間の感情を読み取ることに不慣れだったクララだが、ジョジーという少女のもとに引き取られ彼女のそばで時を過ごすうち、人間の心を深く理解し人間と共に生きる術を学んでいく。

この作品の一つの特徴は、ロボットのクララの視点からストーリーが語られることにある。ジョジーの家に住むまでショーウィンドーのガラス越しにしか外の世界を見ることがなかったクララの目線は、既成概念にとらわれない自由さがありどこまでも純粋だ。そんなクララの視点を共有することで、読者は、これまで疑うことなく受け入れてきたものの見方が、当たり前のものではなかったことを知る。そして、先入観の裏に隠れていたこの世界の魅力を再発見することができる。

一方で、目の前の事物を分け隔てなく感受するクララの視点は、人間世界の理不尽さもそのままうつしとる。そのことはクララの言葉で描写される、ジョジーとその幼馴染リックの関係性によく現れている。ジョジーとリックは互いを唯一無二の存在と認め、過去だけでなく将来の展望をも共有する特別な間柄である。しかし、生まれついた環境の差が二人の間に埋めがたい溝をつくり、徐々に二人はすれ違っていく。貧しい家庭に生まれ、母の選択で「向上処置」と呼ばれる遺伝子操作を受けなかったリックは、手術を受けていないことで周囲の人間に差別され、優秀な頭脳を持ちながらも大学進学を諦めざるをえない。一方のジョジーは、幼い頃受けさせられた「向上処置」により健康を害し、満足に外出することができずにいる。二人は、自分自身の境遇への不満を相手にぶつけ、しばしばいさかいを起こしてしまう。貧困・差別・教育格差といった社会問題に加え、人の心の複雑さもテーマとなっている。

加えて本作を特徴づけるのが、丁寧かつ何度も繰り返される「お日さま」の描写である。これはイシグロの代表作『日の名残り』における太陽の描写と重なるが、今作における太陽の役割は過去の作品のそれとは全く異なる。太陽光をエネルギー源とするクララは、太陽の光が自分と同様に人々にも癒しを与え、時に死に近づいた人の命を救うと信じている。そのため、常日頃から太陽への配慮と感謝を忘れず、困難に遭遇した時には心の中で太陽に語りかけて助けを求めるのだ。一見すると理解しがたいこの太陽への無条件の信頼の背景には、クララが持つ「お日さまによって生かされている」という感覚があるのだろう。これは原始的な宗教のようでもある。この「お日さま」の描写によって、理想化されえない人間社会の過酷さを描く本作が、暗く救いの無い物語に終始することなく、エネルギーに満ちた希望ある話にまとまっている。

周囲の人々との交流を通して人の心とは何かを見つめ続けたクララは、心は重層的であり、どれほど精密に理解しようとしても、その先にさらに理解の及ばない部分が現れてくるのだと気がつく。さらに、人をその人たらしめるものは、自身の人格だけでなく周囲の人間の中に息づくその人の姿であると知るのだ。​​​​​​​​この発見は、人と人との関係性の中に生きる私たちの姿を鋭く描き出している。一方で、人の心をここまで深く理解したクララの口から、「AF」は人間の心を完全に模倣することはできないのだと語られる場面には、ロボットと人間の間に越え難い境界線がひかれた切なさも漂う。

カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞第一作となる本作は、人間にどこまでも近づいたロボット・クララの存在を通して、人間社会の現実と人間の心の本質に迫る、優しさに満ちた文学作品である。絵本のようなSFのような純文学のような、捉え所のないこの物語の魅力が人々を捉えて離さない。(桃)

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◆書誌情報
『クララとお日さま』
​​カズオ・イシグロ(著)、土屋政雄(翻訳)
早川書房
2021年3月発売
2750円(税込)

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