〈書評〉ひとりキューバを旅して 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(2021.12.01)

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2016年の夏、マネージャーから「今年の夏休みが5日取れそうです」と聞いたお笑いコンビ・オードリーの若林正恭。初の海外ひとり旅に行くことを決意した。向かう先はキューバ、当時アメリカと国交が回復したばかりの社会主義国だ。本書は、著者がキューバで過ごした5日間を記録した書き下ろしエッセイである。全体の前3分の2がキューバ、その後ろにモンゴル、アイスランドと続き、コロナ後の東京に触れたあとがきと友人のDJ松永による解説で構成される。今回はメインのキューバ紀行の部分にしぼって書きたい。

まず、なんといってもこれはキューバの旅行記であり、一人称で書かれた旅行ガイドはそれ自体で楽しい。私もちょうど2016年の夏キューバに行っているのでほぼ同じ景色をみてきたが、本書を読んで改めて思い出させられた。

地球の裏側カリブ海に浮かぶ島国へ、社会主義という馴染みのなさや治安への不安などを抱いてキューバに上陸。空港の女性職員のスカートの短さは刺激が強く、刺すような日差しの中でホテルまでのがたがた道をゆっくり走るタクシーの車内は暑い。ただ想像よりずっと開放的で穏やかな風土に緊張がほぐれていく。陽気なキューバ音楽の生演奏がバーから家先からあちこち流れ、通りでは打楽器や手拍子にあわせ人々が笑顔で踊っている。「ピンク・ターコイズブルー・エメラルドグリーン」の色鮮やかな外壁が朽ちかけている旧市街には時間の経過とはかなさを、キューバ国旗とチェ・ゲバラの肖像があふれカラフルなクラシックカーが走る街には自然なエネルギーを感じさせる。人見知りなガイドのマルチネスは例外的であるものの、現地の人の人懐っこさは印象的で、大人も子供も何かと話かけてくる。私も当時肌で感じた、キューバの街全体に広がる素朴な明るさや居心地の良さは、著者が不意な笑いを幾度となくもたらす。

本のタイトルにもなっている「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」という章では、野良犬の貧しくも自由で気高い姿が象徴的に取り上げられている。そして、帰国後の章には「キューバの一番のお勧めの観光名所を紹介するとしたら、それはマレコン通り沿いの人々の顔だ。スマホが普及するまでの期間限定で見られる名所である」とあり、ゆるやかに流れる時間の中で心にゆとりのある日常を送るキューバ人の様子が振り返られている。首都ハバナの旧市街と新市街を結ぶ海岸沿いの大通り・マレコン通りは、ただ立ち話をするだけにもいい夕日のきれいな景勝地だが、行く時々でしか味わえない良さがあるのも旅行の醍醐味のひとつだろう。

旅行記の楽しさがある一方で、この作品全体を貫くテーマは著者が「なぜキューバに行ったのか」であろう。

旅行前、著者はある東大大学院生の家庭教師を雇い、ニュースや社会への疑問に答えてもらっていた。彼との交流の中で、幼少期から著者が感じていた違和感が、日本という特定の世界で生きるなかで生まれたものにすぎないことに気づく。それは全世界に普遍的な違和感ではない。異なる規範をもつ社会では、全く違う考え方をする可能性があるのではないか。知識は動揺を鎮める。このシステム以外の国をこの目で見てみないと気がすまない。そういう思いから、体験したことのないシステムの中で人々が生き、陽気な国民性と言われているキューバへ行くことになった。出発前を描写する冒頭箇所でそう書かれている。

ただ、実際の理由はこれだけではない。このテーマは本の随所で出てくるが、それぞれでの会話やエピソードに著者の人柄が表れている。旅行代理店の人やガイドのマリコさんとのやり取りには笑わされる。読み進めてわかってくる別の理由には深く考えさせられる。そして旅行が終わるときには、一人旅であること、2016年という年、キューバという行き先、そのどれもが意味を感じさせる。

キューバ紀行の最終章に「ここまで来ればいいだろ?」という言葉が出てくる。スピリチュアルを嫌っていた著者がそれを信じてみる気になった瞬間の、笑いとは違ったカタルシスがある。若林正恭とはどんな人に囲まれたどんな人間なのか、「あとがきコロナ後の東京」も含めてその多くを知ることができるだろう。そして、本書で自分探しに一つ区切りがつく過程は、生きづらさや漠然とした不安を抱える現代の日本人に響くものがあるだろう。

著者の初エッセイ『完全版社会人大学人見知り学部卒業見込』から約4年ぶりの本書。キューバへの興味や旅行経験のある人、オードリーファンはもちろん、そうでない人も、読み物として楽しめる一冊である。参考までに、映画『苺とチョコレート』および漫画『魁!!男塾』の塾長エダジマを下調べするとより楽しめるだろう。(怜)

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◆書誌情報
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
若林正恭(著)
文藝春秋
2020年10月発売
792円(税込)

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