渡辺勝敏 理学研究科准教授「生きていく勇気と淡水魚」(2021.11.16)

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まだFMラジオの放送をカセットテープに録音して楽しむ「エアチェック」という文化があった頃、ある現代音楽家兼ピアニストの案内で、ショスタコービッチ氏の「アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲」を(その後にわたって繰り返し)聴く機会を得た。ロシア革命の時代に生きた詩人の詩をもとにスターリニズムの時代を生きた作曲家が作曲した奇妙で美しい音楽である。どんな苦難の時代にあっても音楽、芸術を追求し続けることをテーマにしたプログラムだったと記憶している。

「原色日本淡水魚類図鑑」(保育社、宮地伝三郎ほか、初版1963年)は、私の所属する動物生態学研究室の先達たちがまとめた、特に中高年の魚類研究者には思い出深い図鑑である。その中にチョウセンブナという小魚の産卵行動の愛らしいスケッチがある。経済的にも精神的にも厳しいオーバードクターであった20年余り前、引用元の論文の著者である当時90余歳の渡部正雄氏を焼津のご自宅に訪ね、お話を伺う機会に恵まれた。空襲まもない街を走る路面電車に乗って研究室に通い、その論文をまとめたという。ユーモラスなスケッチを思い出しながら、戦時・終戦直後の多難な時代に、このような小魚の自然史研究が行われていたことに強い印象を受けた。

先頃定年退職した尊敬する同僚もまた、別のケースで同じような驚きと感銘を受けたことを最終講義で話されていた。芸術も科学も人間の本性が求めるもの、あるいは本性そのものに違いない。どんな苦難のときにあってもそれらを希求する姿を先達の足跡に垣間見たとき、また同じ時代に、それが叶わず、若くして戦地に散った先達を思い起こすとき、ひととき個人を超えて、その意思や高揚、悲しみを共有できるような気がする。

私はこれまで、特に食用にもならないような身近な淡水魚の生態や進化について研究を行ってきた。いささか我田引水的ではあるが、常々、淡水魚は人間にとって特別な存在だと考えている。それは、我々が生きていくためには必ず真水が必要であり、淡水魚はそこにすむ、人の目にも付きやすい古くからの隣人だからである。象徴的な淡水環境の一つに、山麓の里地に湧く清冽な湧き水とそれに端を発する小川がある。夏にも水温が上がらない湧き水の周りには、特徴的な生き物がすんでいる。トゲウオの仲間(イトヨやトミヨなど)はもともと海と川を行き来する北方系の魚だが、繰り返し到来した氷期の忘れ形見として、いくつかの地域で湧き水の周りに取り残され、それぞれ独自の進化を遂げている。一昔前までは、水辺で遊んだり洗い物をしたりするなかで、巣を作るかわいい魚として地域の誰もが知る存在だった。しかし現在、人間活動の影響によって、湧き水環境もろとも、そのほとんどが失われつつある。

10年以上前になるが、埼玉県の湧き水にすむムサシトミヨという魚の保全に関するニュースをテレビで見た。東北の日本海側から嫁いできたという女性のほんの短い言葉が、一編の美しい短編小説のように今も記憶に残っている。若い頃、見知らぬ土地での生活は辛いことも多かったが、子どもの頃ふるさとの小川で見ていたトミヨがここでも元気に泳ぎ、子育てしているのを見て、生きていく勇気をもらったという。厳密には遠い昔に別々のルートで内陸部に侵入し、それぞれの地域の湧き水で進化してきた別の種類ではあるものの、元をたどれば同じ魚が人々と共に長い時代を生きてきたのである。また、東日本大震災で想像を絶する被害を受けた大槌(岩手県)を、遊佐(山形県)の小学生たちが修学旅行として訪れたというニュースもあった。これは、湧き水とトゲウオをキーワードに、日本各地の湧き水が豊富な地域の間で何年にもわたって交流が続けられてきた結果であり、遠方からの心のこもった訪問となったことは想像に難くない。

自然は厳しい。常に変わりゆく環境のなか、自然選択と偶然という容赦ない法則のもとで、生物は40億年もの間存在し続けてきた。逆に、この世界は40億年もの間、一度たりとも子どもを残さずに死ぬことがなかった奇跡の家系の末裔だけが出会う場だともいえる。生物の本性は、美しくも善でもないかもしれないが、それは存在し続けようと活き活きと生きる力であり、我々は奇跡の隣人たちから、その本性の実に多様な表れを見て学ぶことができる。私自身は、愛すべき魚たち、生き物たちから、また存続を脅かされた生き物やそれを取り巻く自然環境を大切に思い、守ろうと苦心する人たちとのつながりから、どんなときでも本性を見失わずに生きていくための勇気をいただいているように感じている。

渡辺勝敏(わたなべ・かつとし 理学研究科准教授。専門は淡水魚類の進化生態学)



※訂正
本紙11月16日号4面にて掲載しました複眼時評「生きていく勇気と淡水魚」について、下記の通り訂正いたします。
(誤)
空襲まもない舞鶴の街を走る路面電車に乗って水産実験所に通い
(正)
空襲まもない街を走る路面電車に乗って研究室に通い

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