複眼時評

金澤周作 文学研究科教授「難破と漂着の喚起力」

2019.12.16

船が遭難して見知らぬ土地に漂着する話は、ヨーロッパ文明を貫いて頻出する。ギリシア神話の英雄オデュッセウスは、トロイア戦争が終わり帰還する際、ポセイドンの怒りを買い、何度も難破しては、艱難辛苦を乗り越えさせられた。聖書では、ノアの箱舟が洪水の後、アララト山の上に止まった(座礁した)。イエスは翻弄される小舟の上から嵐を鎮めた。パウロは、カイサリアからローマに護送される途中、船が暴風で遭難し、マルタ島に漂着した。人文主義の王者エラスムスは小品「難破」において、危機に瀕した船乗りたちが聖人に祈願し誓いを立てるさまを痛烈に揶揄した。シェイクスピアも、『テンペスト』、『ペリクリーズ』、『十二夜』、『ヴェニスの商人』など、難破と漂着が重要な役割を果たす作品群を残した。デフォーの『ロビンソン・クルーソーの冒険』もスウィフトの『ガリヴァー旅行記』も、難破と漂着が話の根幹をなしている。このような顕著な事例を想起すると、難破と漂着は、欧米の人たちが何かものを考える時に依拠しやすい説明の枠組みとして、深く刻み込まれているのではないかと考えたくなる。

さて、歴史を振り返ると、社会の現状を批判する文脈でも、これが用いられている例がある。ジョン・ラスキン(1819−1900年)は、美術・建築批評で世に衝撃を与え(ターナーやラファエル前派を高く評価し、ゴシック・リヴァイヴァルの理論的支柱となった)、多方面にわたる社会批判でも影響力を揮った19世紀イギリスを代表する文化人である。ラスキンは、ゆきすぎた自由主義経済が、持てる者の持たざる者への無関心、一方への権力と貨幣の集中と、他方の権力剥奪と貧困を招いている現状を批判するが、何度か難破のたとえを用いている。

「難破して無人島に打ち上げられ、自力で生きていくことになった6〜12人の人たちがいるとしよう。〔中略―――それぞれが能力に応じて役割分担するだろうが、対立せずに助け合っていくために必要なのは率直で開かれた交際である。それゆえ〕彼ら全員にとっての富と幸福の最善で最高の結果は、率直な意思疎通と助け合う労働の仕組みを維持することから生じるし、最悪で最低の結果は、秘匿と反目の仕組みによってもたらされるだろう。つまり、各人の幸福と富は必ず、ねたみと隠蔽が社会と経済の根本原理になる度合いに応じて減ってゆく。」『芸術の政治経済学』(1857年;『永遠のよろこび』として1880年に再刊)

「船長は、難破時には最後まで船にとどまっていなくてはならないし、食糧欠乏時には自分のパンの最後の一片をも乗組員たちと分け合わねばならない。同じように、製造業者は、商業的な危機や困難に見舞われれば、その労働者たちと苦しみを共にしなくてはならないし、ひいては労働者たちに味わわせている以上の苦しみを自分に引き受けねばならない。飢饉や難破や戦闘に際して父が息子のために我が身を犠牲にするのと同様である。」『この最後の者にも』(1862年)

世界有数の国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」は、1919年にイギリス人女性エグランタイン・ジェブ(1876−1928年)によって設立された。ジェブは、1924年に国際連盟が採択した「子どもの権利に関するジュネーヴ宣言」の基本構想を提供した人物でもある。危険な感情に立脚するナショナリズムと机上の空論に立つコスモポリタニズムをともに批判するジェブは、1928年にパリで開催された国際社会事業会議の講演で、難破のたとえを用いて現実主義的なインターナショナリズム(国際協調)を唱えた。

「一人が無人島に難破したとして、手あたり次第すべてを自分のものにしても誰も非難はしないでしょう。しかし、彼と共に49人が難破して、同じように自分の利益のために貪欲に振舞うとしたらどうなるでしょうか。〔中略〕同様に、世界の諸国民はこの小さな惑星にたまたま居合わせています――一緒に難破したと言えばよいでしょうか―― 。〔中略〕もし諸国民が自国の利益こそがつねに唯一とは言わぬまでも最優先の考慮事項でなければならないと教える主義の論理的な含意を実行に移そうとするならば、その結果は混乱、貧困、破滅だけです。」

時代は下って1969年、ジオデシック・ドームの発明で知られるアメリカ人バックミンスター・フラー(1895−1983年)は『宇宙船地球号操縦マニュアル』を出版した。地球を宇宙船、人類を乗組員に見立てて、近視眼的な専門分化と利害対立を克服し、包括的な見地から、環境を保ちつつ資源の効率的活用を進めて豊かな未来を拓こうと訴えた(「大海賊」や難破のモチーフが登場する)。これも、ラスキンやジェブと響き合う、難破と漂着を用いる欧米的な社会批評の伝統に連なっている。

翻ってグローバル時代の現在、経済格差、ナショナリズム、環境破壊はなおも私たちの上に重くのしかかる。これらを診断し、処方箋を出そうとする時、難破と漂着には今も大きな喚起力があるのではないか。

金澤周作(かなざわ・しゅうさく 文学研究科教授。専門はイギリス史)