企画

京都大学新聞社編集員 一次試験体験記

2021.01.16

今月16日から共通テストが始まる。多くの受験生が不安を抱えつつ試験問題に立ち向かうことだろう。

そんな受験生の皆さんの役に少しでも立てたらと思い、5名の編集員が自身の受験体験を赤裸々に書き綴った。

編集員はみな共通テストではなくセンター試験を受験した。そのため「共通テスト体験記」ではなく「一次試験体験記」という奇妙なタイトルになっていることをお許しいただきたい。試験の名前は変わるが、参考にしてもらえる部分も(きっと)あるはずだ。(編集部)

試験当日

対岸の火事

「対岸の火事」という言葉がある。他人にとっては重要なことがらを、よそごとだと傍観する態度を表すものだ。人は往々にして「まさか自分が」と思いたがるが、他人に起こることは自分にも起こる。私にとっては、センター試験での経験がまさにそれだった。すなわちマークミス。本番までに何度も注意されたはずの、あまりにもありふれた失敗だ。

試験会場はある高校で、教室ひとつに四十人ほどの受験生が入室した。その中で浪人は私だけだったが、一年間の追加の勉強は自分を裏切らなかった。共通テストを見据えたセンター試験、奇妙な問題も出題されたものの、苦手な数学IAにも手ごたえを感じていた。それは最後の科目、数学IIBでも同じだった。ベクトルまでばっちり計算を終わらせ見直しを始める。試験終了まであと一分、もう少しだと思ったその時だ。背筋が凍り付いた。ベクトルの大問四の解答欄が、真っ白だと気づいたのである。

顔から血が引いていく感覚の中で、隣の欄に連なった黒丸を猛スピードで書き写したのを覚えている。「やめ」という声と同時に、最後の数字を塗りつぶした。間違って塗った部分は残ったままだから、選択問題を全て解答したことになる。どの解答が採点されるのか。慌てて塗った部分がずれていたら。あらゆる可能性が頭の中を飛び交う。震える手で荷物を抱え飛び出した私は、外で待っていた友人に叫んだ。「やらかした!」

翌日の朝、予備校の外で大学入試センターに電話をした。つながらない。もう一度かけなおすとつながった。「数学の選択問題をすべて解答してしまったのですが」と言いかけると、「こちらで考慮して採点するので心配ありませんよ」との返事だ。多くの受験生が同じ質問をするのだと、声音から伝わってくる。選択問題全てが〇点になるわけではないらしい。ふっと身体の力が抜けた。

最終的には無事合格した。採点結果を見ると、本来選択していた数列とベクトルがきちんと採点されたようだ。試験の際に注意されることを、他人事だと思っていては痛い目を見る。「明日は我が身」という言葉が身に染みた、忘れられない一件だった。(凡)

練習ハードモード

その日は大雪だった。自分は福岡の南あたりに住んでいるのだが、この地方での雪は珍しい。ましてや大雪となると数年に一度というレベルである。前日の天気予報をみていたので、予定起床時刻より1時間前に起きた。雪は当然のように積もっていて、早起きして正解だったと確信する。まずは電車の運行情報の確認。地元のJRは私鉄に比べてすぐ運行中止になることで有名だが、この日は遅れは出ているものの、運行していた。テキパキと準備を整え、駅に向かう。家から駅までは自転車で15分の距離なのだが、念のため親に車で送ってもらった。しかし、この日は路面が凍結していたのだ!慣れていない運転で、駅まであと半分のところで車がスリップ。事故こそならなかったが歩いて駅に向かうことに。足首ほどの積雪の中を20分かけて駅まで歩き、やっとのことで到着した。早めに出発したのもあり、予定の電車に乗車することができた。受験会場の久留米工業大学は不便な場所にあり、最寄駅からタクシーで向かう手筈だった。しかし、最寄駅に着くと、予約してあったタクシーがいない。大雪で遅れているとのこと。代わりのタクシーも出払っていて、駅で待つことにした。15分ほどでタクシーが来て、なんとか受験会場に到着することができた。時刻は午前9時、ギリギリで間に合ったことになる。入口に立っていた担任の顔を見ると、一気に気が抜けた。その後、来ていた友人と10分ほど雪合戦をして、その日は帰宅した。これは、センター前日の会場までの予行演習が困難を極めた話だ。本番は晴天で、雪一つなく、万事予定通りに進んだ。(穂)

二次試験までの過ごし方

地に足つけて冷静に

訳あって、私が受験勉強を本格的に始めたのは10月に入ってからであり、直前になってもセンター科目に全く手が回っていなかった。おそらくこれまでの人生で最も時間を惜しんで勉強したのはこのときだったが、知識不足は明白で、昼食のうどんを食べながら、センター試験での出遅れを見越して、二次試験でどのように挽回するか考える日々が続いた。試験後、半ば投げやりな気持ちで臨んだ自己採点の点数は、しかし、予想外に高かった。京大受験生として特別良いとは言えないものの、悪あがきの詰め込みが効いたのか、多少のアドバンテージをもって二次試験に進むことになった。

ところが、この日から一向に勉強ができなくなった。合格が急に現実的なものに感じられはじめ、そわそわして落ち着かない。何をしていても、頭の中で「英語と国語は何点取れるだろう、とすれば数学は1完でも受かるな」などという計算が渦巻き、全く勉強に集中できなくなった。センター試験の1週間後、新宿にある予備校の自習室で、やはりどうしても勉強が手につかず、スマートフォンを眺め始めた。その数週間後に第92回アカデミー賞作品賞を受賞することになる韓国映画『パラサイト』がすでに評判になっており、30分後に近くの映画館で上映される回の席がわずかに残っていた。二次試験まで1カ月もなく、目の前の数学の問題も解けていない。しかし、恐ろしいかな、スマートフォンにカード情報を登録してあったために、ホームボタンに親指を置くだけでチケットがとれてしまった。いそいそと教材を片付け、寒い夜の新宿を、TOHOシネマズに急いだ。

映画が終わるとすでに21時を過ぎていた。ひさしぶりの映画館に気分が高揚してしまい、正直言って映画の内容はあまり覚えていない。特にその内容に深く感銘を受けたとかいうオチがあるわけでもない。しかし、過去問集と参考書でいっぱいの鞄を背負って映画館を目指したときの、大きな歩道橋、半年間自習室にこもりきりだった私にとっては目眩がしそうなほどチカチカした歌舞伎町の繁華街、そんな風景を、今でもよく思い出す。そしてその記憶は、がむしゃらに勉強したり、ときに誘惑に負けたりしながらも、あのとき自分は大学受験という局面をなんとか乗り切ろうとしたという、ある種の達成感をもたらしてくれるものだ。

一次試験から二次試験まで、どのように過ごすかは受験生によって大きく違う。前年の私のように、結果が悪すぎて食事もままならなくなり、3キロ痩せる人もいるだろう。一方で、予想外に良い結果を残せた受験生も、また別の苦しみを味わうかもしれない。しかしながら、最後の受験から1年が経ったいま、そのときの後悔や焦りははっきりと思い出せるものではない。つらかったことは覚えているものの、すべてベールのかかったようにぼんやりとした記憶にすぎない。意義深いメッセージなどお伝えできるわけもないのだが、あなたのその苦しみや葛藤も、あと数週間だけと割り切って、冷静に乗り越えてほしい。皆さんの健闘を願っている。(田)

まだわからない

私は一浪で大学に入学したため、一次試験(センター試験)は2回受けている。浪人生の際は、特にトラブルもなく突破できたのだが、現役生の時は悲惨なものだった。

当時私は東京大学の文科三類を受験しようとしていた。E判定常連の東大受験生を苦しめるのが「足切り」というシステムだ。センター試験で大学の定める点数以上を取ることができないと、二次試験を受けることができない。大学によっては固定の点数を設定しているところもあるが、東京大学では毎年足切りの点数が変動する。私の志望していた文科三類の足切り点は文系の中で一番高く、740点前後であることが多い。当時過去最高の足切り点数は748点(2008年)であった。私の点数はというと、749点。足切りされる可能性は十分にあった。高校の担任の先生からは「賭けでもいいなら文三に出願しなさい。ただ、ここからはかなり厳しい戦いになる」と言われた。文科一類や二類に出願しても、二次試験を突破できる可能性が限りなく低かった私は、足切りされる覚悟を持って文科三類に出願した。

センター試験から数日間は、それまでと同じように集中して勉強に取り組めていたと思う。二次試験に向けて地理や世界史の論述問題を中心に勉強を進めていた。ところが、1月末のある朝、突然布団から出ることができなくなってしまった。それまでは目が覚めたらすぐに朝の勉強を開始していた。しかし、それができなくなってしまったのである。数日後には昼間の勉強も集中できなくなり、2月に入る頃には一切の勉強ができなくなってしまった。机に向かってテキストを開いても、何一つ集中できない。そんな状況が続いた。

2月の前半に一次選抜の結果(足切りの点数)が発表された。私は足切りにはならなかった。その年の足切りは738点。二次試験を受験する権利を得たのである。しかし、通過しても私のモチベーションは戻らず、堕落した日々を送った。興味もない嵐などジャニーズの動画をYouTubeでひたすら見る日々。いったい何を考えていたのか今となってはわからない。それまでテレビやインターネットなどの娯楽を封じていたことへの反動だろうか。ただ、親への申し訳なさが募る日々であった。

二次試験当日もやる気が戻らず、東大の教室の机に向かっても、文章が全く頭の中に入ってこなかった。全ての問題を浅い理解で解き進めていったが、少し難しい問題となるとすぐに諦めてしまう自分がいた。一番の得意科目だった英語の時間には、諦めて寝てしまった。

その年の受験の結果をお伝えしておく。私は私立大学には全て合格し、東大文科三類はあと7点で合格という点数であった。試験当日に諦めていなければ合格したのかもしれない。得点開示を見てから何度も後悔した。しかし、それは結果論であって、モチベーションを二次試験まで維持できなかったという点において完全な敗北であった。敗因は色々とあるだろう。深夜までの勉強や、娯楽を一切排除したことによるストレスなどが考えられるが、その一つに足切りへの恐怖、センター試験の失敗があったことは間違いない。

今回の共通テストでうまく結果を残せなかった受験生に伝えたい。大学や学部にもよるだろうし、無責任なことは言えないが、受験は運がかなり大事だ。どこかで失敗しても挽回できる可能性は残っている。モチベーションを維持して、最後まで走りきれるように、なんとか頑張って欲しい。そして、来年以降受験をされる皆さんには、一次試験対策をしっかり行うことをお勧めしたい。対策をあまりせずとも高得点を叩き出す人もいるが、二次試験とは毛色の違った問題に手こずってしまう人も多い。皆さんの受験が実りあるものになることを祈っている。(濁)

今になって思うこと

結果がすべて

私はサッカーが好きだが、自分で点を取るのは嫌いだ。ゴールを決めると、それまでの数多くの自分のミスが霞んで複雑な気持ちになるからだ。1点でも多く取れば勝ち、その単純明快さがサッカーの魅力だと頭では理解していて、もちろんゴールを目指してプレーするのだが、内容が伴わないとどうも納得できない。

その考え方は、受験生時代にも持っていた。浪人した私は、合格という結果だけでなく、試験当日に手応えを掴むことも目標にして2回目の入試に臨んだ。

結果は合格だった。しかし、試験中の手応えは全くなく、その意味で納得できなかった。

このモヤモヤはずっと残るんだろう。そう思いつつ入学して現在に至り、私は受験体験記の執筆を引き受けた。ネタになりそうな出来事を必死に思い出し、いくつか失敗談が出てきた。しかし、どの失敗も、その当時は絶望的なものだったが、今や事実として頭に記録されているにすぎず、読み物に仕上げられるほど鮮明な記憶はない。それどころか、手応えを掴めなかった2回目の入試当日の悔しささえも薄れていることに気づいた。さらに、そんな自分に対して悲観的な感情が湧くこともなかった。入試で得た結果と、それに伴って成り立っている現在の大学生活に満足できているからだろうか。

結果がすべて。マークシートの試験は特にそれが明確で、当てずっぽうでも得点は得点だ。二次試験では、ゴールだけでなくそこに至るまでの攻め方も評価に加味されるが、最終的に合計点で決まる以上、やはり結果を追い求めることになる。様々な逆境が受験生を襲う今年も、次のステップに進むためには、点数で進路が決まる現実を受け入れて、とにかく目の前の問いに答えを出すことが求められる。

受験生のみなさんが健康に試験日を迎え、自分の力を発揮して1点でも多く取れるよう心から祈っている。(村)

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