総長選を考える/総長選から考える 後編:京大内部の状況の変化(2020.07.16)

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前編では、山極氏総長就任の背景や、総長選考の仕組み、山極総長がこだわりを持ってきた政策について実際になされたことを、背景も含めた振り返ってきた。次に、こうした制度的な変化だけではとらえきれない山極総長就任前から任期期間にかけての出来事や現場の変化の実情について、学内外で様々な課題へ取り組んできた5名の教員に座談会形式で語ってもらった。

前編はこちら

目次

    トップダウンへの反感 山極総長の就任背景
    教授会はどう変わったか
    女性教員懇話会との直接対話 廃止に
    継続した「教養教育改革」
    学外からの注目と学内の反応 学内管理強化
    「教員も学生も学習性無力に」
    背景にある大学改革
    「社会に開かれた大学」とは
    これからの総長に求めること

座談会メンバー・プロフィール
・石井美保・准教授(人文科学研究所) 専門は、文化人類学
・駒込武・教授(教育学研究科) 専門は、教育史学、台湾近現代史。京大職員組合委員長
・高山佳奈子・教授(法学研究科) 専門は、刑法。京大職員組合副委員長
・藤原辰史・准教授(人文科学研究所) 専門は、農業史、ドイツ現代史
・松本卓也・准教授(人間・環境学研究科) 専門は、精神病理学
※以下敬称は省略

トップダウンへの反感 山極総長の就任背景


―2014年に山極氏が総長候補として支持を集めた背景は。

高山 組合の立場から言うと、前総長の松本紘氏によって極端な人員削減が進められました。国全体の方針として、人員削減があり、彼はそのノルマを超えて極端な人員削減を進め、それ以外にもトップダウン的な学内の組織改革を試み、国際高等教育院や思修館の設置を実際に成功させました。現場の声が無視されるような状態になっていて、それで何か素晴らしい研究教育成果が上がったわけでもなく、失敗だったと思います。

藤原 あともう一つは学系制度ですね。政府から予算を獲得するために教育研究組織の再編を行うというのが発端で。

駒込 2013年の8月、松本氏や村中孝史・副学長(当時)らが、「本学の組織改革について」という文書をメールで教職員に送りました。「運営費交付金が削減されている以上、教員・職員の大幅な定員削減に踏み切る必要がある」という話と、「部局自治を根幹とする組織運営は大きな問題がある。ついては、学系制度を導入して、教育研究組織と教員組織を切り離す」という内容でした。この時は、部局教授会でも喧々諤々の議論をしました。部局長会議でも大揉めになったと聞いています。

高山 ある時期から総長選考会議の議事が秘密扱いに変わり、総長選挙を廃止して、松本前総長の続投という案が出ているようだということが心ある学内委員のリークによって判明しました。それに対して、総長選挙廃止に反対する運動を組合などが展開し、ネット署名で、3日間で1000筆以上という学内外から短時間でたくさんの賛同者が集まりまして、これを大学に提出しました。当時、文科省から送られてきた総務部長が非常に組合に対しては敵対的な態度を取っていて、総長選考会議の議事を漏らした者に対して罰を与える旨の発言もしまして、とにかく非常に険悪な状況になっていました。総長選考会議の学外委員には、東北大学において総長選挙を廃止することに大きな役割を果たしたとされる安西祐一郎氏(当時の日本学術振興会理事長・文科省中央教育審議会会長)や、安西氏に非常に政治的に近い立場の方々が何人かおられて、安西氏が議長を務めていました。これに対し学内委員は、部局長会議や教員研究評議会の委員の方が主になっており、従来型の総長選挙を維持しようという形で頑張っておられました。最終的には、安西議長欠席のもと総長選挙を維持するという決定がなされました。松本氏ら執行部がトップダウンを強調していたのに対し、山極氏がボトムアップを主張しておられたので、それで支持が集まったことは間違いないです。

教授会はどう変わったか


―2014年の法改定により教授会の権限が「学長に対して意見を述べる」場とし明文化され、権限縮小が懸念されるなかで、山極氏は就任当初、「新しい法律は教授会からいろんな決定権を取り上げて、執行部に集中させるというふうに世間では言っているけれども、実際のところ、それは使い方次第、見え方次第だ」と語り現場を尊重することの重要性を強調していました。実際はどうだったのでしょうか。

駒込 今考えると、2015年頃を境に、教授会で議論されるべき大切なことが議論されないようになりました。結果として、学系制度については多くの場合に部局・教授会がそのまま学系と一致することによって、事実上なし崩しにはなりました。ただ、学系制度導入に関する時のような激しい議論は、以後行われていません。

高山 私自身の認識としては、学系が導入されてから民主的でなくなったというのは、形式面では確かにそうかもしれないけれども、実質的には、同じ時期に行われたいろいろな制度改正で、教授会が扱える内容がどんどん減ってきたと思います。そして今、教授会の議事録は、たとえば部局長会議について報告があったとか、教育研究評議会について報告があったと記載されているだけの非常に簡素なものになっています。

藤原 僕も、民主化されるという期待から山極さんを支持していたのですが、教授会ですごく重要な問題は事後報告となっています。立て看板も吉田寮も報告として、ほとんど介入の余地がない状況で伝わってくるようになりました。

石井 ただし、人文研は学生がいないので特殊です。立て看の問題にしても吉田寮の問題にしても、現執行部は、学生に対して強く出ているという点が指摘できます。また、教授会でどの程度の報告がなされるかは、部局長によるところも大きいように感じます。

駒込 立て看規制の話が部局教授会に出たのが、2017年12月で、そのときに、そんな話あるのと驚きながら、まさか本当に撤去するなんてことにはならないだろうという楽観的な観測がありました。でも今から思ったら、もっと前から教授会の変質は始まっていたかもしれない。あるいは、大学執行部が、教員や学生との対話の場を閉ざす兆しはあったとも言えます。2015年を最後に寮自治会との団体交渉が打ち切られ、同年、杉万理事が退任して川添信介氏が後任に就任すると、月に1回の情報公開連絡会も中止となりました。その代替として、設置されたのが、オンラインでの「学生意見箱」です。

【解説】情報公開連絡会について
 情報公開連絡会は、川添理事が2016年1月に廃止の意向を示し、以後、「諸般の事情によって中止」という状態が続いている。川添理事は、広報誌の発行やツイッターの運用をすることで連絡会の機能は代替できると主張した。
 連絡会は、部局長会議などの議事や討議内容を学生担当の理事・副学長らが学生に対して説明をする場として、1998年3月から月に1回開かれていた。1997年に副学長制導入や学生部(当時)の事務本部編入が決まった際に、事前に情報を学生に十分知らせなかったことから、学生が総長や副学長を団体交渉で追及し、決定以前の情報公開の必要性を認めさせたことから、連絡会が開催されるようになったという経緯がある。


女性教員懇話会との直接対話 廃止に

高山 2011年は女性教員懇話会の代表をやっていました。毎年、総長懇談という形で、女性教員懇話会と総長との間の対話の機会が設けられていて、曲がりなりにもそういう集まりがありました。法人化の前は組合の女性部と総長の総長交渉というのがありましたが、法人化後になくなってしまって、女性教員懇話会のほうはなんとかがんばっていこうと思っていたのですが、それも廃止されてしまっている現状です。京都大学は本当に女性教員の割合はものすごく低いですし、Women and Wish というのをWINDOW構想の中に盛り込んでいたので、期待していたのですが。

【注】京都大学におけるジェンダーバランス
 京大の構成員のジェンダー比には大きな偏りがあるのが現状である。2020年5月時点で、職員と特定有期雇用教職員約4500名における女性の割合は、約23%で、学生約22600名における女性の割合は約25%である。2015年度の調査によれば、常勤職の女性比率は正規教員で約10%、特定有期教員・研究員で約24%、職員で約59%となっている。また、教授では約6%、部課室長では8%など、教職員は職位が高まるほど、女性比率は減少する傾向がある。

○資料
「データで見る京都大学 職員数」
「データで見る京都大学 学生数等」
「京都大学男女共同参画推進に関する意識・実態調査2016」


継続した「教養教育改革」


―前総長の松本氏が旗振り役となって、全学共通科目の再編など「教養教育改革」が進められ、山極総長も、基本的にはその改革の方向性を継承しました。2016年にはGPA制度や英語教育システム(GORILLA)が導入され、2020年度からは全学部でキャップ制が導入されました。全学共通科目を教える現場では、実際何が変わったのでしょうか。

松本 GPAは相対評価ですが、そのことの弊害を感じた例を紹介します。あるリレー講義の取りまとめを私が担当していて、他の先生がレポート課題を出されたので、満点に加えた加点として扱ったのですが、成績開示後の異議申し立てで、「シラバスに載っていないレポートの評価が追加されて、点数が高くなる人がいるのがおかしい」というメールが来ました。追加のレポートで̟プラス5点ないし10点になるのは、単位取得者が全体として増えておしまいのはずが、GPA制度によって相対評価が問題になると、他の人に加点されることが自分の成績低下になってしまうということのようでした。また、試験前にノートをコピーさせてほしいといった人に腹が立つという話も学生から聞きました。私が大学生の頃だったら、「しょうがないやつ」くらいで済む問題です。そういう感覚でできていたことが、ノートを渡してしまうことで自分の成績が相対的に下がってしまうからという理由で「腹が立つ」と。結果として、学びの場がギスギスしてしまっているように感じます。

―履修制限も年々厳しくなっています。

松本 2017年度までは、初回授業の履修制限をするかどうかの権限は最終的には教員にあり、どんなに昨年度履修者が多かった科目でも、教員が履修制限をしないと決めれば、抽選なしで運用できていました。しかし、2019年度以降、履修希望者が集中する科目について教育院の裁量で自動的に履修制限がかかるようになってしまいました。抽選に落ち私の授業を受けられなくなったある学生に事情を伝えたところ、「教育院に抗議にいきましょう」という学生もいました。教育院の側からの管理はそれだけでなく、他の先生によると、高い評点ばかりをつけていると個別で呼び出しがかかるということです。それこそ、「到達目標」が大事なのだったら、その目標さえ到達できていれば、全員が百点でもいいわけじゃないですか。GPAが世の中の趨勢であるとしても、GPAのために、何のための教育なのか分からなくなり、評価のための評価になってしまうという側面を考慮しつつ、GPAと向き合っていく必要があると思います。

―一連の改革の目的は「単位の実質化」だと言われますが。

松本 単位の実質化というのは、学校教育法に基づいた文科省の省令である大学設置基準に定められた、1単位につき45時間の学修時間を、守らせようとするものです。2単位(90時間)の科目だと、授業が1.5時間(2時間換算)×15週あるので、授業時間の倍の60時間分の「授業時間外学修」が各講義ごとに必要とされます。毎期末ごと、あるいは進級時の学生アンケートの結果をもって、この学修時間が少ないということが問題とされています。この規定自体は明確な規定であるとしても、あまりにも杓子定規な解釈によって運用されていると感じます。この規定を守るにしても、考え方次第では「授業時間外学修」の時間は増やせるはずです。実際、教育院などが想定しているのは、家に帰ってガリガリ勉強(予習・復習)をすることですが、大学の学びはそれだけではないと思います。授業で学んだ知識を生かして映画を解釈してみるとか、授業で学んだことがサークル活動や趣味に活きるとか、物は考えようで、ある意味では、学生生活において「学修時間」ではない時間はほとんどないとも言えるのです。仮に今の学生が学修時間が少ないとしたら、それは経済的問題が一番大きいと思います。アルバイトをしないと生活できなかったり、就活で忙しかったりといったことが、学生の学びの時間を縮めているにもかかわらず、それでも「単位の実質化」を粛々と進めたい人たちが言っているのは、課題やレポートをもっと課すように、といったことばかりです。全体の構造をまったく見ていないように思います。


学外からの注目と学内の反応 学内管理強化


―学生の管理強化に関連して、立て看板規制や吉田寮退去通告については、学外のメディアなどでも取り上げられている印象があります。

藤原 むしろ、学外のメディアでは議論になったように感じます。そして、学外の方からは様々な反応をいただいています。私と駒込さんは、雑誌『世界』で「いま京都大学で何が起こっているのか」と題して対談し、各所から反響がありました。でも、京都大学内では無風に感じます。拒否反応でも良いから賛成反応でも良いから、反応がほしいのですが、それさえ来ない(笑)。

立て看板規制 組合の立場から


―立て看板の問題は、どういう対応がなされたのでしょうか。

高山 立看板規程自体は、教授会でも報告されていました。しかし、これは学生団体に適用されるものという認識でした。立看板規程は、組合には正式に通知されていません。これは総務担当理事が、組合との団体交渉においてはっきりと認めています。撤去された直後から組合は原状復帰を大学法人に対して求めていますが、無視されていて、構内の掲示板については、2枚だけ再設置ができたのですが、それにも半年くらいかかりました。やっと団体交渉の議題にすることができたのが、2019年2月です。

駒込 一連の規制・撤去についての大学側の説明は、「京都市条例に違反していると行政指導を受けたから」というものですが、どういった条項に違反しているかなどの具体的な説明は、撤去の前にはなされませんでした。組合の交渉で明らかになったのは、15平米という合計表示面積の上限に抵触するから、というもの。安全性とか言われていましたが、組合の掲示ボードについてはその点はクリアしていました。法人側は、管理用の掲示物だけで15平米を超えていると説明しましたが、京都市に尋ねると、管理用掲示物については上限面積からの控除があることが明かされました。その話を法人にぶつけると、後出し的に、東大路通沿いなどの区域は表示上限が5平米で、既にそれを超過しているため、他の区域にも設置の余地がないとの説明を追加しました。説明が後づけでころころと変わっています。この件については不信感しかありませんし、組合として行政的な救済の申し立てを準備中です。

【解説】組合以外の立て看板規制について
 2017年12月に制定され、2018年5月1日に施行した「京都大学立看板規程」では、看板設置は原則として「京都大学学内団体規程により総長が承認した団体」、「本学が別に指定する場所」以外には認めないとしている。同年5月からは、職員がキャンパス周辺および構内の、規程に反する立て看板の撤去作業を行っている。規制の背景には、外構周辺に設置している看板が条例に違反しているなどの理由で京都市から行政指導を受けたことがある。ただし、京大は指導の対象とはなっていない学内の看板についても、制限を新たに設けた。組合のほかにも、複数の学生団体や市民団体、京大卒の弁護士などから画一的な規制への疑問が呈された。学内外からの意見を受け、2018年10月には、西部構内広場入り口付近に、公認団体が公道から見える形での立て看板を設置するためスペースが新設された。

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立て看板規制を問う 連載 第1回 (2018.05.16)

吉田寮問題 教員の取り組み


―立て看板規制とも関連して、吉田寮の問題も裁判に持ち込まれるなど、対立が深刻化したように思います。

駒込 寮生と意見交換を重ねながら、教員の立場からできることとして、2019年2月、寮自治会が改修された食堂棟の利用などを条件として新棟移転を認める見解を表明した以上、大学側はまず移転を認めた上で話し合いに望むべきという緊急アピールを発表し、記者会見を行いました。2019年4月の提訴の後、裁判の取り下げを求める署名を呼びかけ、学内教員70名近い賛同を得ましたし、12月には「教員の立場で考える吉田寮問題」という集会を開きました。

石井 2019年5月、署名を呼びかけた教員有志5名と、山極総長、川添理事、森田理事(当時)との間で、30分ほどの懇談会を持ちました。その時に私は、大学が寮生に退去を迫るなかで、調子の悪くなった学生がいたという話をしました。吉田寮にはコミュニティやセーフティネットとしての機能があるのではないかと伝えたのですが、山極さんは、「経済的な問題としては安く住める別のアパートを用意して斡旋しているし、あまりにも学生が内向きになってしまっている。自立して外で仲間を作るべきだ」と話されました。経済的な基盤であり生活の基盤である場を危機に晒しておいて、「それは君たちが弱いから」というような言い方をされるのは、学生の現実と乖離したマッチョな見方のように感じました。執行部という既に確立した立場がある人達と学生たちとのあいだには、そうした意識や感覚のずれがあると思います。

駒込 山極総長らとの面会で印象的だったのは、「寮生たちが職員にひどいことを言って、職員が精神的におかしくなった」と強調していたことです。その時私たちは具体的なことを知らなかったのですが、寮生や元職員などに聞くとそんなことはなかったのです。それについて、事実だとしたら重大なことなので具体的に教えてほしいと書面で求めたのですが、かなり後になって「回答しません」という返事が来たのみです。執行部には、学生との権力関係において明らかに加害者であるにもかわらず、自分たちが不当に攻撃されているという「加害者の被害妄想」のようなものを感じました。

【解説】吉田寮問題についての経過
 京大当局は2015年3月を最後に吉田寮自治会との現棟老朽化対策をめぐる団体交渉を取りやめ、同年7月には役員会の決定で募集停止を求める通知を寮自治会に出し、公表した。寮自治会は、寮に関することは一方的に決定しない旨の確約が2015年2月に結ばれていることなどを挙げ、これに抗議し、募集を継続した。同様の通知は2017年8月までに計5度出された。寮自治会は通知の取り下げと老朽化対策に向けた話し合いを求めていたが、2017年12月には「吉田寮生の安全確保についての基本方針」が役員会で決定され、2018年9月末までの退去が寮生に通告された。大学が斡旋した代替宿舎へ移動した寮生もいた一方、100名近い寮生が同年10月以降も居住を続けた。2019年1月と3月には、京大当局が申し立てた現棟と寮食堂の「占有移転禁止の仮処分」が執行され、訴訟を視野に入れていることを京大当局は公表した。また、「吉田寮の今後のあり方について」を2月12日に発表し、入寮募集を行わないことなどの新棟居住の条件を公表するとともに、現棟・食堂の立ち入り禁止を通告した。これに対し寮自治会は、清掃や点検といった現棟の維持・管理や補修が済んでいる食堂棟の利用について合意ができれば現棟から退去すると提案した。大学当局は、新棟居住のための条件に対する意思表明がないことや新棟への入寮募集を問題視し、提案に応じることはできないと発表。同年4月に寮生20名に対して明渡を求める訴訟を起こした。一連の大学当局の対応に対しては、教員有志のほかにも、元寮生の会などからも批判の声が上がっている。


全学委員会での議論


―立て看板の問題や吉田寮問題は、学生に関する事項を協議する場として、学生担当理事が議長を務める全学の学生生活委員会があります。

藤原 私は、人文研の委員の代理として、1回ほど会議参加しただけですが、驚いたのは学生に対しての見方です。学生をどうコントロールするかという目線での議論を理事を中心に進められていました。もちろん、学生委員の先生のなかにも異論を述べる人はいたのですが、理事は、「確かにそういう意見もあるでしょう。では持ち帰ります」と言って議論を打ち切りました。委員会で議論が内実的に盛り上がるというよりは、意見聴取の場になっていたという印象です。

【注】学生生活委員会では2018年12月、ある委員から、少人数に絞った形式での吉田寮生との対話を早急に再開し、対話をベースとした老朽化問題の解決を最大限追求することを川添理事に求める決議案が出されたが、翌月の委員会で決をとらないという結論となった。

石井 学生の自主的活動が制限される一方で、「時間外学修」ともいえるような学びの機会までもがプログラム化されているように感じます。学生がタテカンを作ったり、学内で集会するといったことは弾圧されていますが、その一方で、京大出身の財界人が学生の企画に出資する「おもろチャレンジ」というというプログラムがあります。学生が自発的にやるようなことも制度化され、その結果を大学がうまく広報に利用するというシステムになっているように思います。それぞれの学生さんにとっては有意義なプロジェクトだと思いますが、それを大学がプロデュースするやり方に居心地の悪さを感じます。

「教員も学生も学習性無力に」


松本 この間起こったことによって、教員も学生も一種の学習性無力に陥っているように感じます。教授会については、私は2016年に赴任したので、一連のものが変わった後のことしか知らないですが、他の先生方に聞くと、つい数年前までは教授会を何時間も、時には夜中までやっていたと聞きました。自分たちが影響力を及ぼし意思決定に関わる機会が、教員も学生も少なくなってしまい、こうした状況が続くことによって、それが完全に放棄されかかっています。学生意見箱などは象徴的で、あれはスコラ的教理問答とも言うべき、空疎なやり取りの場となっているように感じますし、団交や情報公開連絡会など、大学と学生の対話の場がなくなることで、学生自身がともに話し合い考える場、お互いの意見を聞きながらエンパワメントされあう場すらなくなってきています。そうなると、声をあげることで何かが変わるという希望すらもてなくなってしまいます。

駒込 無力化という観点について、組合の視点からすると、松本前総長の時代に決められた、定員の削減がボディブローのように効いているように思います。2014年2月に決まった、准教授の人件費を1ポイントとして、8年間で282ポイント減らす政策です。これによって、助教が削られたり、退任した教員の後任が採用されなかったりといったことが起きています。この影響があって、皆がとても忙しくなるなかで、執行部のやっていることはやりすぎだという感想を持ちつつも、異論を表明することすら厳しい状況になってきています。

石井 同感です。教員の世代交代によって、教授会で夜中まで議論していたような人たちがどんどんいなくなると同時に、人員削減のために事務仕事も全部自分でやらないといけない若手の教員だけになってくると、それ以外の活動には取り組みにくいように思います。制度的にうまく飼いならされていっているとも言えます。


背景にある大学改革


―京大の様々な変化は、政府・文科省が進める「大学改革」という背景抜きには語れないように思います。

藤原 諸外国よりも文教予算の割合が小さい日本の状況を踏まえると、総長選を考えるうえでも、日本全体の情勢と京大の状況はそれぞれ分けて考える必要があります。山極総長の任期のあいだで、私たちは色んなものを失いましたが、同時期に各大学でも様々な改革が進められましたし、仮に山極さんでなくとも同じ問題が起こっていたのかもしれません。文科省や財務省、経産省、経団連の利害、もっと言うと世界的なグローバリズムの拡大と新自由主義の跋扈する状況下で、京大の変化を見ていく必要もあります。

駒込 その点では、今回総長選では、「意向調査」と呼ばれる投票が行われますが、2019年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」で「意向投票」をやめろと書いていることが重要です。このいわゆる「骨太の方針」では、「国は、各大学が学長、学部長等を必要な資質能力に関する客観基準により、法律に則り意向投票によることなく選考の上、自らの裁量による経営を可能とするため、授業料、学生定員等の弾力化等、新たな自主財源確保を可能とするなどの各種制度整備を早急に行う」と書かれています。このように財源は勝手に確保しろ、財源確保のために企業のような統治体制をつくれという風潮の下で、総長を選挙によって選ぶ在り方自体に圧力がかかっています。このなかで、今回、まがりなりにも「意向調査」という名の投票が行われることには山極総長の意思も、働いているのではないかと思います。

―おなじく、「経済財政運営と改革の基本方針」に基づいて文科省が始めたのが、「大学の戦略的経営の実現に向けた検討会議」で、話されているのが「授業料の自由化」です。

松本 大学が新自由主義的改革を進め、競争原理を持ち込み、産学連携によって民間企業が入ってきたり入試に民間業者が入ったりしてきているのは、いま資本の搾取先がなくなってきているからです。彼らの言葉でいえば、あらゆる市場が「レッドオーシャン」になり利潤を上げにくくなるなかで、教育は次なる狩場、「ブルーオーシャン」になっているわけです。教育には競争相手が少なく、特定の民間企業が独占的に入り込みやすい。しかし、そもそもどうして資本が生き延びるために我々が犠牲にさせられないといけないのでしょうか。

高山 ドイツや北欧では大学までの授業料が基本的に無料です。このような制度もあり得ることを考えれば、日本の文教予算の組み方には大きな問題があります。しかも昨今、一橋大学や東工大で授業料の値上げが行われていて、波及の動きが懸念されます。また、授業料の自由化によって、たとえば自己資金がそれなりにある京大は授業料を下げて、他の大学は上げざるを得なくなる、といった大学間の争いが生じるような状況も懸念されます。

―教員に関しては、文科省が2019年3月に出した「国立大学法人等人事給与マネジメント改革に関するガイドライン」において、全教員に対して業績評価と、評価結果を処遇に反映する制度の導入といった改革が謳われています。

駒込 多くの国立大学で業績評価に基づく年俸制が導入されています。給与が増えるかもしれないから良いのではという意見もありますが、「評価」を誰がどう行うのかという問題があります。研究の本当の価値というのは、近い研究領域の人でもよく分からない場合もあるし、短期的には理解されない場合もあるのです。また、研究上の仕事や教育上の仕事の達成と同じ比率で、「社会貢献」という評価項目が出てくる点も疑問です。「社会貢献」とは、何でしょうか。例えば中央教育審議会に参加することは「社会貢献」と見なされるが、組合活動は全く評価されない、といったことも考えられるわけです。短期的に評価されることを目指した、近視眼的な研究が増えてしまうことも懸念されます。森田理事の後任として文科省から出向してきた平井総務・人事担当理事は、組合との団体交渉で、教員年俸制を導入しなかったという理由で京大の運営交付金が減らされているので、導入を検討しなくてはいけないと述べました。これは恐ろしい前触れです。

藤原 私も業績評価の問題は重要と思っています。2018年に京大の学術研究支援室が開いた「人文・社会科学系研究推進フォーラム」の「研究の発展につながる評価とは」と題したパネルディスカッションに参加しました。オックスフォード大学の苅谷剛彦さんや山極総長、早稲田大学の学長らと人文科学・社会科学にどんな評価がありうるのかを議論する場でした。私は、主催から依頼を受けた時、そもそも評価はできないという立場だがそれでも良いかと尋ねたのですが、それでも良いということだったので参加しました。シンポジウムでは、色んな意見が出ましたが、やはり、評価が学問を左右するようになってしまったらおしまいだと思います。研究の価値は、短期的に評価できるものでもないし、いろんなものがあって良い。私にとって最もうれしかったのは、水俣のミカン農家が私の本を読んでくれて、一箱のミカンと手紙をくれたときだという話をそこではしました。学生の成績評価などもそうですが、評価に基づいて資源を分配するというやり方の限界が来ているように感じます。


「社会に開かれた大学」とは


―学問の「評価」に関連して、「社会に開かれた大学」というのもよく謳われます。

藤原 単に産業界や行政のトップが大学に口を出すだけではない、真の意味で「大学を社会に開く」とはどういうことかを考える必要があります。駒込さんは組合活動は社会貢献ではないのかと仰いましたが、ある面では社会貢献と言えると思います。立て看板の話に戻りますと、立て看板は市民とのメディアだった面があって、市民が学生の考えていることを知る機会であったのです。この前、立て看板設置に反対している市民の方が私に会いに来てくれて話をしたのですが、その方は、学費が高いという学生の叫びを看板を見て胸が痛んだということをおっしゃっていました。ただ、自分は看板の安全性が懸念なのだと、そう話してくださいました。私たちが学んでいることを鍛えなおしてもらったり、それを批判してもらったり、何度も往復するのが社会と学問の関わり方だと思うのですが、現状は、大砲を打って終わりだったり、意見を「承りました」というだけだったり、一方通行のように感じます。

駒込 大学が説明責任を果たすことは、大学を社会に対して開いていく前提になると思います。琉球人骨問題や731部隊論文問題について、この6年の間に、主に学外の方から厳しい追及が起こっています。京大は、そういう声に一切応じず、琉球人骨に関しては訴訟の被告になりました。最低限の説明すら行っていないのです。藤原さんや石井さんにも協力してもらっていますが、私は、「人骨問題を考える連続学習会@京都大学」を学内で開いてきました。これは京都大学に責任を果たさせるという目的もありますが、欧米のアフリカ支配などを含めてそもそも植民地主義とは何か、学術は社会とどう絡み合っているのかといったことを考える、ある種の知的な刺激に満ちた場でもあります。様々な市民の人が来てくれており、研究者、学生、市民が、一緒になって植民地主義と学術の結びつきの歴史を学び、京大の責任を考える場となっています。これもまた、言いようによっては「社会貢献」であるはずです。

高山 社会から京大に期待されている役割には、そうしたものがあると思います。

石井 私の専門である人類学に近づけて考えると、多文化主義の功罪を想起します。多文化主義が統治の手段として採用された場合、「良い文化」の包摂とそれ以外の排除が起こります。そして、「良い文化」は本質化され、観光資源などとして統治者に利用されていきます。こうして、統治者にとって都合の悪い文化を淘汰していこうとするのです。現在の京大も、似た状況にあると思います。学生や教員までもが、一方では資源化され一方では規制され排除されようとしています。立て看文化もそうですし、いま駒込さんの話にあったような、京大の自己批判すべきダークサイドの掘り返しも、排除されようとしています。いま学生や学外の方たちが抵抗してくれているというのは、最後の望みです。もう少しすると、誰も何も言わなくなり、誰も大学にも期待しなくなるように思います。文科省とか財界的には、そうした無菌化された空間が良いのでしょうが、大学や社会にとって本当にそれで良いのか、問いたいと思います。

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これからの総長に求めること


―最後に、これからの京大総長に求めるものや、総長選から考えるべきことについて、伺いたいと思います。

松本 私は精神科の臨床医でもありますが、大事にしているのは、人の複雑な人生をまず聞くことです。聞いていくと、本人なりのロジックや合理性があります。自分だけの感覚では理解できない他者にも、ある種の切実な物語や筋道がある。そのことを理解するのが、人文社会科学を学ぶ意義のひとつだと思います。私は特にそのことを教養教育で教えたいと思っていますし、執行部が学生や教職員を見るときも同じように、偏見を持たずに話を聞き対話をしてほしいと思っています。

藤原 私は農業史が専門ですが、土を耕すことは本当に難しいのです。芽が出てくるのを、待たなければいけないし、信じなければいけません。相当な忍耐力が必要なのですが、今の京大、社会全体は、その忍耐を失いつつあります。学生や市民からの批判を受けるなんて、研究者としてこんなにありがたいことはないわけで、称賛されるだけでは、その学問は墜落していきます。総長はじめ執行部には、大きな度量を持って、多様性のある土壌を育んでほしいと思います。

高山 まずは、トップダウンの窮屈な運営はやめてほしいと思います。私たちの専門知を組み合わせれば無限の可能性があると思います。新しいものを自由に生み出して良い空気がなければ、何も生まれません。大学行政も国政もどんどん狭い範囲で短い期間でしか物事を考えなくなってきています。これでは、京都大学の基本理念で謳われている「人類社会への貢献」など実現できるようにはなりません。組合の立場からすれば、人を大事にしろ、ということです。政治のことには芸能人や学者は口を出すなといった考えの人も一部にはいらっしゃいますが、私は法学政治学が専門ですので、すべてが政治的です。社会制度は、平和共存のために存在していて、政治は、資源配分に関わることですから、それに関して学問をしていて政治的なことから距離を取ることは不可能です。それに、何かをしなくても社会的な責任は生じています。私は心配せず動ける人間なので、これからも積極的に意見を述べ、動いていこうと思っています。

駒込 6年前の山極さんの所信表明を今読んでも、現場の教員としての立場を尊重するなどある面では正しいことを言っているように思います。また、これまで山極さんが様々な場で発信されてきたことにも、メッセージとしては賛同できる点が数多くありました。にもかかわらず、学内では、硬直した施策しかとれず、対話ができなかった。特に学生に対してひどかったが、一般の教員に対してもそうだった。これはどうしてなのか。ひとつには、山極総長を支えるシステムがなかったということが考えられます。京都大学をどのような大学にしていくべきなのか、大局的な議論と合意形成が必要です。ですので、職員組合としても、教員有志による「自由の学風にふさわしい京大総長を求める会」としても候補者に公開質問状を発して、総長選挙のプロセスそのものにおいて「政策論議」を盛り上げたいと考えました。公開質問状については、質問の立て方ひとつをとっても、異論がありうると思います。ですが、構成員が様々な異論に耳を傾け、意見を発することのできる公共的な議論の空間が、次の総長を支える仕組みとなるべきだし、またなってほしいと考えています。

7月16日23時配信

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