アイヌ遺骨 「返還に向けた話し合いを」 京大「政府方針に従う」話し合い拒む(2020.02.16)

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京大が保管を続けるアイヌ民族の遺骨について、2月5日、「京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会」やアイヌ民族らが、コタン(郷里)への返還に向けた話し合いを求める要求書を、京都大学総長・山極壽一氏や総合博物館長・永益英敏氏らに宛てて提出した。「追及する会」やピリカ全国実関西の呼びかけで集まった市民・学生ら約15名は、総合博物館前で要求書を博物館事務職員に手渡すとともに、責任者との面会を求めたが、総合博物館職員は取り次ぎを拒んだ。遺骨返還を巡っては「政府方針に従って対応する」とだけ述べ、個々の要求への対応は拒否した。

総合博物館前でのやりとりは2時間近くに及んだ。「追及する会」側は、返還に向けた話し合いや遺骨の保管状況の実見を求めたが、総合博物館の職員5名が博物館前に立ちふさがり、それらを拒んだ。博物館の山口悟・事務長は、要望書を受け取ったが、「政府の方針に従う」と述べ、個別の要求には答えられないと説明した。「追及する会」らは、遺骨に関しての責任者を呼び、面会や説明をするよう事務長に取り次ぎを求めたが、事務長は、「対応できない」と繰り返した。

今なお京大に保管されている61体のアイヌ遺骨

差別的政策と遺骨「収集」

「追及する会」側は、北海道白老町の「慰霊施設」への遺骨集約や様々な条件をつけた政府方針に沿った返還ではなく、アイヌ民族との話し合いによってコタンに遺骨をただちに返還すること、謝罪と賠償を行うことを求めている。昨年11月と12月にも同様の要求書を提出したが、京大総務部総務課は、「本学が保管するアイヌの人類学資料につきましては、政府方針に従い対応している」と回答した。今回の博物館前のやりとりでも、博物館事務長が遺骨について「本学が保管する人類学資料」という言葉を繰り返し用いたため、アイヌ民族や市民らは、「遺骨はアイヌ民族が大切にする先祖の象徴、祭祀の対象で、資料という言葉を使うのは差別的だ」と抗議し、発言の撤回を求めた。しかし、事務長は同様の発言を繰り返した。

京大の調査に基づいて文科省が公表している資料によれば、京大総合博物館には、アイヌ民族の遺骨87体やその副葬品が収蔵されてきた。遺骨や副葬品は、京都帝国大学医学部の清野謙次教授(当時)が、主に1924年に樺太、1926年に釧路市や根室市、厚岸町、網走町にて、墓を掘り返すなどして収集した。清野氏は、集めた遺骨に基づいて人種学研究を行い、『日本原人の研究』(1924年)や「古代人骨の研究に基づく日本人種論」(1949年)といった著書・論文を執筆している。

そうした遺骨収集は、同意を得た問題ない行為だったのか。資料をひもとくと、決してそうではないことが分かってくる。「追及する会」によると、釧路での遺骨収集は、強制移住やそれに伴う飢餓といったアイヌ民族虐殺政策とも呼べる歴史と密接に結びついている。

アイヌ民族は、北海道、樺太、千島列島を「アイヌモシリ」(人間の住む大地)として、固有の言語と文化を持ち、民族として独自の歴史を築いていた。しかし、明治政府は、先住民族であるアイヌ民族と何の交渉もなく、アイヌモシリ全土を「持ち主なき土地」として、一方的に日本の領土に組み入れ、アイヌ民族を「旧土人」として扱い、強制移住させ、入植のために土地を収用していった。そうした植民政策が行われているなかで、アイヌ民族が不在になった土地から、清野らは墓をあばき、遺骨を持ち出していった。

京大の調査に基づくと、京大が保管する87体のうち4体の遺骨が、釧路市から持ち出されたものだ。清野の論文「北海道東北部に於ける人類学的探究」によると、釧路の遺骨は、1体は「曾て釧路市真砂町東方丘上を開拓して家を建てる時に出たるもの」であり、2体は「釧路第三小學校建築の時に敷地から發見されたもの」だという。そして、真砂町も釧路第三小學校のあった浦見町も、現在の釧路市街地であり、もともとアイヌ民族が居住していた場所だった。明治政府は釧路の市街地開発のために、1885年にアイヌ民族を阿寒郡のセツリ川上流へ強制移住させたのだった(図)。
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京大の見解は

現在からみると、遺骨収集には問題があった。それは、政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書(2009年)ですら、「発掘・収集時にアイヌの人々の意に関わらず収集されたものも含まれていると見られている」と認めている。しかし、京大は、収集の経緯について本紙の取材に対し「当時の状況を明らかにする資料は不十分で、現在、大学としての見解を示すことは困難」と答えており、詳細な経緯の検証を行っていない。また、遺骨の保管を巡っては、北海道大学などで1980年代、むき出しで陳列されるなどずさんな管理が発覚した。北大は、昨年11月の記者会見で、管理が「必ずしも適切でなかった」と認めた。遺骨の保管について京大は、本紙の取材に「学術資料として適切に保管していると認識している」と説明しているが、アイヌ民族が求める実見には応じていない。

返還進まず 政府の方針と京大の対応

長年の議論の末、2007年の国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」では、「先住民族は、自決の権利を有する」と明記され、遺骨に関しても「国は、関係する先住民族と協力して設けた公正で透明かつ効果的な措置によって、国が保有する儀式用具並びにその遺体及び遺骨へのアクセス並びに返還を可能にするよう努めなければならない」と定められている。日本政府も宣言については総会において賛成票を投じたが、「独立・分離権を認めない」、「集団的権利としての人権を認めない」といった解釈宣言を付した。2010年からは、アイヌ民族の代表者や有識者をメンバーとする「アイヌ政策推進会議」(座長・内閣官房長官)を設置し、文化振興などの政策を打ち出した。昨年には、「アイヌ施策推進法」が国会で可決された。しかし、この法律では、アイヌ民族を先住民族と明記したものの、「権利宣言」で認められている土地や漁業資源に関する権利の保障は認めていない。そのため、先住権としてのサケ漁の権利を求める裁判が、紋別アイヌ協会の会長によって起こされるなど、アイヌ民族からの批判もある。

遺骨の返還を巡っては、政府が2018年に返還のガイドラインを策定した。その中で、京大を含む各大学が保管している遺骨のうち、「発掘・発見された出土地域が記録などから明らかであるもの」については、申請があれば条件を満たした場合に限り出土地域に居住するアイヌ民族へ返還し、条件を満たさない場合は国が建設した北海道白老町の「慰霊施設」に集約させる方針が示された。申請は昨年4月から10月までに受け付けられ、11月から12月にかけて返還と「慰霊施設」への移管が進められた。ただ、申請があった遺骨は、遺骨を受け入れる機関などについて審査があるため、各大学に留め置かれている。京大でも87体のうち26体の遺骨が白老に移管され、61体が未だ保管されている。関係者によると、61体は、樺太や釧路から持ち出された遺骨である可能性が高いという。

しかし、返還の申請では、「アイヌであること」の証明が求められるなど壁がある。申請をしているアイヌ民族の1人は、戸籍の提出を求められたという。「小さい頃からアイヌであることで差別されてきたにもかかわらず、それを証明しろなんて」と憤る。アイヌ民族のなかには、戸籍を残さなかった事例もあるなど差別を背景にした複雑な事情がある。「なぜ政府職員に家庭の事情まで話さないといけないのか」とも語った。「追及する会」では2013年以降、毎年返還の要求を出しており、現在もあくまで政府方針によらない直接の返還を求めているが、京大の対応はない。

また、「慰霊施設」では、許可が取れた場合、遺骨を用いた研究が可能になっており、現在、研究の手続きを定める倫理指針が検討されている。遺骨の研究利用の可能性が未だあることには、アイヌ民族から批判がある。研究利用への警戒心を背景に、昨年10月には、「日本人類学会のアイヌ遺骨研究を考える会」がアイヌ民族ら有志で設立され、過去の経緯の解明や検証、謝罪を求めている。

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取材を通じて、見えてくるのは、遺骨を保管し続ける京大と返還を求めるアイヌ民族の非対称な力関係だ。京大は、収集経緯や保管状況について問われ、返還を求められても一切応じない。それが許されている現実がある。一方で、先祖の大切な遺骨を奪われた側であるアイヌ民族は、アイヌ民族であるのか、遺骨を受け入れる機関があるのか、と問われ、応えなければ遺骨の返還が、先祖の慰霊がかなえられない。学術機関の持つ権力性を自覚し、それが直接・間接にもたらしている人々の痛みに、想像力を働かせ応答することが、京大関係者にはできているだろうか。(小)

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