文化

いま考える自治寮の意義 一橋大・中和寮自治会主催のシンポ

2019.08.10

7月13日、一橋大東キャンパスで、シンポジウム「みんなのだいきらいな自治寮について」が開催された。一橋大・中和寮自治会が主催し、一橋大の寮における寮費値上げや留学生居住の問題についての発表があったほか、東京大駒場寮と山形大学寮の廃寮反対運動に焦点をあてたドキュメンタリーの上映や京大吉田寮からの報告もあった。

一橋大学には、自治会が存在する中和寮のほかに、一橋寮、国際交流会館、景明館という3つの学生寮がある。このうち、一橋寮と国際交流会館は昨年5月末、寮費が2019年度入学者から5倍近く値上げされることが学生との協議のないまま大学当局内で決定された。一橋寮の寮生や、中和寮自治会、院生自治会によって値上げ反対運動が展開されたものの、大学当局は、学生側からの抗議文や要請書に対する応答をしないまま、値上げに踏み切った。また、留学生の居住に関しても、改修計画によるキャパシティーの減少と、入寮申請制度の改定によって、とりわけ留学生が1年以上にわたって継続居住することが困難になった。(詳しくは本紙2019年5月16日号「【寄稿企画】一橋大学寮における寮費と留学生居住の問題」を参照)。このような状況について登壇した中和寮生は、〈教育の機会均等を保障する〉、〈経済的困窮者を救う〉といった理念が失われつつあると述べ、「必要な人が不安なく住み続けられる寮が必要」と訴えた。

シンポジウムの冒頭では、東京大駒場寮と山形大学寮の廃寮反対運動を扱ったドキュメンタリー映画『泥ウソとテント村』の上映があった。この2つの自治寮は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて大学当局による廃寮化の圧力に対して、ともに協力しながら自治寮の存続を訴え続けた。

駒場寮は、1994年から大学当局が入寮募集停止を宣言し、寮自治会が自主募集を続けるも、95年に「96年3月をもっての廃寮」が決定した。当局が設定した廃寮期限を過ぎた後も寮生は住み続けたが、96年4月に大学当局は電気・ガスを差し止めたほか、教員が「説得隊」と称して寮に押しかけて寮生を恫喝するなどの攻撃を繰り返した。97年には当局が訴訟を提起し、2001年に高裁で寮生側敗訴の判決が出て強制執行が行われた。

山形大学寮は、1996年から大学当局の廃寮化の圧力を受け続けた。98年に大学当局は、入寮募集停止を決定し、2000年3月には全寮生に「退寮処分」を下して6月に電気・ガス・水道を停止した。さらには、大学が雇用する清掃職員に、寮自治会の文書や個人のノートを盗ませ、その職員との話し合いに臨んだ寮生の行為を「監禁」だとして、寮生4名を刑事告発した。告発された寮生は逮捕されたが、のちに無罪で釈放された。しかし、当局は文書窃盗について非を認めることがないまま、明渡し仮処分を同年11月に申し立て、翌2001年2月には機動隊による強制執行が行われて寮生は追い出され学寮は閉鎖となった。

ドキュメンタリーでは、大学の教職員、大学が雇ったガードマンなどが、寮生に対し、厳しい弾圧をするシーンが写し出される。シンポジウムでは、当時の駒場寮生、学寮生が登壇し、当時の経験やそこから考えたことを語った。元駒場寮生は、当時のつらかった記憶のひとつに、大学の雇った業者が早朝に、ショベルカーで渡り廊下を破壊しに来たことを挙げた。97年春、駒場寮の3棟のうち1棟に明渡しの仮処分が執行され、まだ他の2棟に寮生が住んでいる状態で、大学当局は取り壊し工事に入り、寮を物理的に破壊した。また、元山形大学寮生は、大学職員が寮生のノートをチェックするなどしていたことを、「思想統制」だと批判した。

シンポジウムには、京大吉田寮からの登壇もあった。吉田寮の建物・運営についての説明のほか、吉田寮への圧力の背景として、国立大学法人化以降の大学のガバナンスの変化が指摘された。また、特定の誰かを排除しないセーファースペースとして場作りするための吉田寮での取組みの紹介がなされた。2015年築の新棟建設にあたりオールジェンダートイレを設置するに至る経緯や、各種イベントにおいて主催からハラスメントを容認しない旨の声明を出すなどの工夫について説明があった。

また、集会にあたり、東北大の自治寮・日就寮から事前に寄せられたメッセージが読み上げられたほか、突如今年度いっぱいでの廃寮が決定した東工大の学生寮の学生からのスピーチや、京大熊野寮からのアピールもあった。(小)

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