複眼時評

高橋 淑子 理学研究科教授「北部キャンパスの野人達」

2015.06.16

京都大学の北部キャンパス(主に理学、農学系)には、“野人”が住む。「今出川を超えると雰囲気が変わる」といわれるのは、この野人達の醸し出す独特の空気によるものかもしれない。私は北部キャンパスの野人が大好きだ。野人ときくと、荒々しく、ひげもじゃで、粗野なイメージを思い浮かべる人も多いだろう。しかしここでいう北部の野人とは、サイエンスにおける野人であり、三度の飯よりもサイエンスが好きという意味で荒々しく野生的であり、未踏の地を夢見る心熱い集団なのである。

北部キャンパスには、野人達がのびのび育つ環境がある。学生のみならず、ジーンズ姿で歩いている教授・准教授も多いので、キャンパス全体がカジュアルな雰囲気に包まれている。また、学内で一番おいしいと定評のある北部生協の食堂では、教員や学生が自由に語り合う姿をしばしば目にする。アカデミックな空気のなかで満腹になれるのも、野人養成にはとても良い環境だ。

私が所属する理学研究科では、宇宙誕生の夢を追い求める物理学者や、定理を証明するために壁に向かって一日中ブツブツ独り言をいっている数学者など、いろんな野人がいる。私を含めた生物学者も「野人度」では負けていない。現総長の山極寿一氏(総長就任前は動物学教室の教授だった)は若き頃、前人未踏のアフリカの地に入り、2年間ぶっつづけでゴリラを観察し続けた。幸島司郎氏(野生動物研究センター教授)は、その昔就職がなかったとき、アマゾン熱帯雨林の「木登りバイト」をして飢えをしのいだ(熱帯雨林の木登りができるのは、世界で幸島氏しかいなかった)。自宅の池のモリアオガエルを捕まえて、その精子がワインのコルク抜きのように旋回しながら泳ぐことを発見し、研究者の度肝を抜いた久保田洋氏もいた(元教授。昨年度定年退職)。北部の野人達の偉業は他にもいろいろあり、枚挙に暇がない。

私自身は、卵から体が作られる“ドラマ”に魅せられた人生を送っている。一つの受精卵が分裂して2細胞、4細胞、8細胞と増えていく。そして気がつくと、脳や心臓、そして手足がきっちりとできているのだ。細胞たちは、遺伝子という「設計図」をもとにして、次々に組織や臓器を正確に作り上げる。この奇跡の謎を解き明かそうと顕微鏡をのぞくと、そこにはリーダー格のような細胞もいれば、のろまで愚図っぽい細胞もいる。どちらも大切な存在だ。研究を続ける中で、私はこれらの細胞の「声」が聞けるようになった。この得意技をもって、北部キャンパスの野人の仲間入りを果たしているつもりだ。

遺伝子から細胞へ、そして細胞から体づくりへとつながるドラマは無限にひろがる。そしてこのような発生のドラマが、生命40億年の歴史のなかで少しずつ変化して、地球上の生物多様性が生まれてきたのである(“野人”も生物多様性に貢献しているかもしれない)。
昨今の国立大学をめぐる国家政策では、改革という名の「改悪」が横行し、我が国の学術が大いなる危機に瀕している。こういう時代にこそ、サイエンスの野人パワーが突破口を開くと信じたい。なぜならいつの世も、偉業を成し遂げた研究者は、そろって野人であったからである。月並みな発想ではなく他人があっけにとられるような切り口を考案し、他人の顔色をうかがいながら要領よくこなすのではなく、たとえ今日明日の研究成果がネガティブであっても辛抱強く我が道を進み、最終的には人生を大いに楽しもうじゃないかという人間力(野人力)をもつ、それが北部キャンパスの野人達である。

学生諸君には、是非とも“立派な野人”になるべく、のびのびと成長して欲しい。北部キャパスの住人として、若き野生人と議論することを大きな喜びとしたい。そのためには,怒濤のごとく襲ってくる雑務や報告書書き(これは野人がもっとも苦手とする仕事)も、歯を食いしばって耐えていこう。

おっとその前に、腹が減っては戦ができぬ。まずは北部生協にいって、野人達の熱い議論をBGMに腹ごしらえだ。

(たかはし・よしこ 理学研究科生物科学専攻・動物学教室教授)