戸田剛文 人間・環境学研究科准教授 「犬が教えてくれる哲学」(2019.01.16)

Filed under: 複眼時評
????????????????????
私は本学では哲学の教員をしている。哲学は、ある意味で世界観の提示を目的としていて、そのために知識や存在、善などが何かという探求へと向かう。それは、私たちの考えのより前提を探る方向へと進むため、抽象的な議論へと向かう傾向にあるが、その入り口は、常に身近なところにある。

もともと知識の問題などを歴史的に扱うことを研究していたが、最近少し別の問題にも興味を持つようになった。きっかけは、犬―彼女に私はアンと名付けた―と暮らし始めたことにある。ペットショップで出会ったその犬のなんとも言えない弱々しい感じに愛おしさを覚えて連れて帰った。
犬と暮らしていると、思っていた以上に深い結びつきができることに驚く。彼女はそれなりの知性も持ち合わせているが、なによりも豊かな感情をもっていて、心の結びつきができるように思われるのはそのせいだろう。今わが家には、アン以外にも人間の子供が一人いるが、愛情という点では比較できるようなものではなく、どちらも大事な子供であることに違いはない。

一緒に暮らす中で、アンに対する愛情が増えれば増えるほど、人間による動物の扱いに対する疑問が湧いてきた。一つ例をあげてみよう。アンは尻尾が短くて、おまけ程度についている尻尾を、興奮したときにはフリフリしているが、コーギーのような尻尾のない犬もいるわけだし、ヨークシャーテリアもそういうものだと思っていた。だが、海外のサイトなどを見ていると、結構尻尾の長いヨーキーがいる。どういうことかと調べてわかったのだが、しばしばヨーキーは、子犬のときに尻尾が切られるのだ。これはかつてねずみ取りとして飼われていた頃の名残らしいが、今そんな理由でヨーキーを飼う人はいるまい。ある種のスタンダード的な観点で、そういうスタイルを維持するためだけに切られているのだ。先ほどあげたコーギーも同じような理由で、実際には長い尻尾がある。尻尾だけではない。ピンと耳が立った姿で知られているドーベルマンも、本当は垂れ耳なのだが、見た目のために耳を三角に切られる。

また最近は少しずつ増えてきたが、アンを連れて行けるお店はやはり少ない。衛生面が問題なのだろうが、どれほど咳き込んでいて、風邪のウィルスを撒き散らしていても人が断られることはまずないだろう。この差はいったいなんなのだろうか。
こういう問題について考え始めたとき、文献を探ってみるとすぐに、動物の道徳的な地位についてのさまざまな議論があることを知った。恥ずかしながら、知識の問題を中心に研究していた私は、こういう問題が一つの哲学の(あるいは倫理の)分野として確立されていることを知らなかった。そしてそこには多くの問題が議論されていて、それぞれについてとても興味深い議論がなされていた。

私たちは、動物を慈しみなさい、動物を虐待してはならないと言われる社会で生きている。しかし、私たちの動物との関係は、そのような美辞麗句とは裏腹に、必ずしも良好なものとは言えない。私たちは動物の肉を食べ、その革をまとい、多くの製品や研究のために動物を実験材料として用いている。また、子供たちを動物好きにするために多くの大人が子供を連れて行く動物園では、動物が必ずしも十分だとは言えない環境で飼育されている。私がアンと出会ったペットショップにしても、動物は商品であり、彼らにとってそこで小さなケージに入れられることはどうみても幸せな状況ではない。

もちろん多くの人は、こういったことが虐待であるとは思っていないだろうし、確かにこういった行為は、通常の虐待のように苦しめること自体は目的ではない。しかし、別の目的のために、彼ら・彼女らに苦しみを与えていることは間違いない。歴史上、多くの哲学者が、(人間以外の)動物と人間をわけ、人間が動物を利用することに対する正当化を試みてきた。しばしば理性・言語能力・自己意識など、知的な能力の違いが動物の利用を正当化するものとして主張されたりもした。それに対しては、感受性などの基準から、動物利用に反対する意見などが対抗している。

動物は感情を声で訴えることはできるが、言葉で自分たちの権利を主張できない。肉弾戦は別として、武器を使える人間に抵抗するすべを持っていない。人間にとって圧倒的に有利な状況の中で、こういった問題を考えることは、まさしく人間性が問われる問題ではないかと思う。動物に優しい社会ならば、もっと人間同士にも優しい社会となっているかもしれない。どうすればそういった理想に近づくことができるのか。私たちは動物の幸福をどのように考えればいいのか。アンは、そういった新しい課題を私に与えてくれた。そして、目の前でアンをハイハイしながら追いかける子供をみて、いずれこの子ともそういうことについて語り合いたいと思う。

(とだ・たけふみ 人間・環境学研究科准教授。専門は認識論の研究)

トップページお問い合わせサイトポリシー著作権について個人情報の取り扱いについて
京都大学新聞社 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 京都大学構内 TEL:075-761-2054(直通) 075-753-7531(内線2571) FAX:075-761-6095