〈緊急企画〉「アジア人文学の未来」を語る前に (2019.04.16)

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京大は学知の植民地主義を問い直すべきである

琉球遺骨訴訟原告・松島泰勝氏 インタビュー

4月27日、京大で全学シンポジウム「アジア人文学の未来」と題したイベントが催される。シンポジウムには、東洋史や人類学の研究者が登壇し、「京都大学が百年以上にわたり蓄積してきた「アジア人文学」の伝統を踏まえつつ、今日の世界情勢を視野に入れ、批判的視点で「未来形」を考え社会へ発信する」という。

京大の「アジア人文学」の歴史には、大日本帝国の侵略や植民地政策と関わってきた歴史がある。京大の学知には、どのような加害の歴史があり、それにどのように向き合うべきなのか。琉球遺骨返­還訴訟の原告として、京大の植民地主義を問うてきた松島泰勝・龍谷大教授に話を聞いた。(小)

京大とアジア 未来を語る前に顧みるべき歴史

―4月27日に京大で、「アジア人文学の未来」と題した全学シンポジウムが行われます。このイベントの案内では、京大の「アジア人文学」の「偉大さ」ばかりがフォーカスされているような印象を受けます。
「アジア人文学の未来」という言葉は、聞こえが良く、輝かしい未来を想起させる面があります。しかし、京都大学がこれまでの歴史において、アジアで何をしてきたのかということを十分に議論し考える作業がないままでは、新しいものは生まれないと思います。今回のイベントの案内には、今西錦司や梅棹忠夫、内藤湖南といった著名な研究者の名前が挙がっていますが、ここに挙がっていないものの京大が扱うべき研究者がいるのではないでしょうか。それは特に、清野謙次や金関丈夫、足立文太郎といった京都帝国大学の人類学の研究者達です。彼らは、各地で墓を掘り返して遺骨を収集し、研究の材料として使いました。金関丈夫は、京都帝大医学部の足立文太郎教授の指導のもと、1928~29年に博士論文をまとめるため、琉球に調査へ行きました。そして、今帰仁村の百按司墓を掘り返して遺骨を収集しました。そして今もなお、持ち出された遺骨の一部は京大で保管されたままで、返還されていません。

植民地政策と人類学

―遺骨が研究者によって持ち出された背景には、どのような状況があったのでしょうか。
遺骨が持ち出された当時は、大日本帝国が領土を拡張し植民地支配を進めている状況でした。琉球においては、1879年に琉球併合によって琉球国家が廃止され、植民地支配が始まりました。そして、そこに住んでいる人々の意向とは無関係に、大日本帝国の一部として「同化」を強要されていきました。たとえば、沖縄県庁や沖縄県警の幹部は、ほとんど全員、県令(現在の県知事)を含め日本人になりました。このほかにも、「標準語」習得用の対訳式教科書『沖縄対話』(1880)に象徴されるように、学校において、いわゆる琉球諸語を使わせず日本語の使用を強制する教育が行われました。また、当時の差別を象徴しているのが1903年の人類館事件です。大阪の天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会において、人類館が設置され、アイヌ民族や琉球人、台湾原住民、インド人などが「展示」されました。

こうした状況の下、琉球人のなかには、日本人と琉球人は異なる民族ではなく一体なのだという日琉同祖論を唱える知識人も現れました。日常的に差別される状況から身を守るためにという側面もあったのだろうと思います。こうした日本中心的な価値観を評価する知識人を引き上げたのが、日本人の学者・知識人でした。一方で、それに沿わない琉球人は無視し、見捨てていくことによって、分断が作られていきました。こうした構造は今でもあります。辺野古や高江などで、警備に当たる沖縄県警の若者はほとんど琉球人なのですが、基地反対運動をやっている人も琉球人で、ウチナンチュ同士がいがみ合う構造が作り出されているのです。

こうした構造に乗っかって、金関丈夫は、県庁学務課の職員や県警の了解だけを以て、墓に侵入し人骨を集めていきました。日本人あるいは協力的な琉球人を利用して研究を進めたのでした。実際に、金関を百按司墓に案内したのは、名護の小学校校長で日琉同祖論を唱えていた島袋源一郎という琉球人でした。しかも、金関は現地の人々に案内や同行を求めるなど、帝国大学教員としての権威を最大限利用していたのです。

―金関ら研究者はそうした状況で、どのような研究をしたのでしょうか。
金関は、墓の周辺にあった囲いを乗り越えて墓に立ち入り、人骨を採取していきました。取った骨は新聞紙に包んで番号を記し、大風呂敷に包んでいったという記録を残しています。こうした人骨を利用して、金関は「琉球人の人類学的研究」という論文を作成し、1930年に京都帝大から医学博士号を授与されました。

では、金関や清野ら当時の自然人類学者が、各地から人骨を集めてどのような研究を目指していたかというと、「日本人」という民族の歴史、しかも「優秀な」日本人が中心となる民族の歴史を解明することが研究目的だったのです。これはナチスの優生学とも関連があります。そして何より、当時の政府が推し進めていた大東亜共栄圏構想にも合致したものでした。

琉球民族にとって先祖の遺骨は、骨神(ふにしん)と言われ、私たちの祖先の、神が宿っているものです。その遺骨がちゃんと墓の中に存在していることが前提となって、生きている子孫と先祖が交流する儀式として清明祭、十六日祭の儀礼が現在でも行われています。そのような重要な祭祀の対象が京大にあることは、琉球人の信仰に対する冒とくであり、極めて暴力的なことです。

このように、日本の帝国主義支配を学問的に支え、実際に人材を送り込む機関としての役割を京大が果たしていたことを、アジアの人々は忘れないでしょう。「アジア人文学」を語るならば、アジアの人々や歴史を念頭において、京大がアジアに対して何をしてきたのか、それに対して真摯に現在の研究者が向き合い思考して、何か言葉を発するという営みをしているのかが、問われています。この度開かれるシンポジウム「アジア人文学の未来」は、チラシや案内を見る限りでは、京大がアジアにおいて与えた被害への反省や植民地主義・帝国主義への加担の責任について、立場の表明が見られません。このプロジェクトは始まったばかりということなので、これからだとは思いますが、過去に京大がアジアに対して学問の名のもとで何をしてきたのかを掘り返し、アジアの人々と真摯に対話し、アジアの被害を受けた人々の悲しみや疑問に一つ一つ答えるような学問の集まりになっていくか注視が必要です。このシンポジウム、プロジェクトは、現在のままでは、日本という国を中心とした形でアジアを学問的に体系化し、知識や学術的なものを集約しようとする、新たな帝国主義、知の帝国主義と呼べるようなものになりはしないかという疑いを抱かせます。

今もなお続く植民地主義 奪われた遺骨の返還を求めて

― 松島さんらは、遺骨の返還を求めて、昨年12月、京大に対して訴訟を起こしました。

私を含む5名の原告は去年の12月4日、京都大学・山極壽一総長を被告として、琉球遺骨返還請求訴訟を提起しました。訴訟を起こすに至るまでに、私たちは、京大に対して対話を求めて続けてきましたが、それをことごとく拒否されるという植民地主義の対応を受けたため、訴訟に踏み切らざるをえなくなりました。

私はまず、2017年5月に、京大総合博物館と理学研究科自然人類学教室に対して、遺骨の実見を求めて申請をしました。しかし、京大は、「研究目的、及び、それぞれの資料の取扱いの熟達度や研究実績などを考慮」した結果として、実見を拒みました。遺骨を持ち出したりするのではなく、研究室で見せてほしいという要望も拒んだのでした。また、琉球人骨に関する文書の情報公開を求めた際にも、自然人類学教室が所蔵する「清野コレクション」という人骨資料については、「「清野コレクション」に係る文書は清野個人のものであり、京大法人とは無関係であるため、情報公開の対象にはならない」との説明で開示を拒みました。さらに、私が代表を務める琉球民族遺骨返還研究会が2017年8月に出した公開質問状やマスコミの取材に対して、「個別の問い合わせには応じない」として応答を拒みましたし、2017年11月にアイヌ民族の清水裕二さんと私とが京大を訪問し、遺骨についての問い合わせをしようとした際には、事務本部棟への立ち入りすら認めず、携帯電話で連絡を取ったところ、対応した総務部総務課の職員は、面会の要求を電話で拒絶し、清水さんとの名刺交換を「必要ない」として拒否しました。

京大は、2017年9月に衆議院議員の照屋寛徳氏が国政調査権に基づいて情報開示を求めてはじめて、26体の遺骨をプラスチック製の箱に入れて保管していることを認めました。その後、2018年3月と4月には、照屋議員から、返還しない理由などの説明を求める公開質問状が出されましたが、京大は「今後検討する」としか答えていません。琉球人が、県民が選んだ国会議員に対してもそういった失礼な対応をしているのです。

このように対話を拒否されるということが続いて、訴訟に踏み切ることに決めました。この訴訟は私ひとりで闘っているのではありません。京大当局が人骨を盗んで返しもせず、対話もしないという状況で、琉球人全体が京大に馬鹿にされていると考える人が増えています。関東、関西、琉球に裁判支援のグループが立ち上がり、訴訟支援に動いています。

台湾大の対応との違い

京大当局の、人を人とも見ない、琉球人を差別する対応は、同じく琉球人遺骨を保管していた台湾大学の対応によって、より顕著になりました。台湾大学には、金関が京大から異動した際に持って行った遺骨が33体、その他の琉球人遺骨が30体ありました。台湾大は2017年8月、これらの遺骨を返すと沖縄県庁に伝えたのです。そして、この3月に今帰仁村教育委員会に返還がなされました。琉球民族遺骨返還研究会が、台湾の研究者で構成される中華琉球研究学会の方に頼んで、台湾原住民で中華民国立法院委員の高金素梅氏に相談をしたところ、交渉の末に返還が実現されました。のべ4カ月程度の交渉で、台湾大学は遺骨返還に合意しました。一方、京都大学は、いまだに、個別の問い合わせにも応じない、面会もしないという対応を取り続けています。

「全く問題はない」と争う京大の姿勢

先日3月8日に、訴訟の第1回口頭弁論がありました。そこで京大は私たちの主張に対する応答として答弁書を提出しましたが、その文書を読む限りにおいては、まさに金関丈夫が一部の行政・警察の幹部の了解を得たというだけで、現在の京都大学が遺骨を保管するということに「全く問題はない」と正当化しています。過去の研究者の過ちを反省もせず、返そうともしない態度に、大変な暴力性を感じますし、怒りが湧いてきます。

この答弁書の中で京大は、京大が現在保管している百按司墓の遺骨と、原告で遺骨の祭祀継承者にあたる玉城さん、亀谷さんとの関係性を証明せよとも主張しています。証拠となるものはいくつかあるにもかかわらずです。たとえば、琉球国時代に作られた『中山世譜』(1697年)、そして『球陽』という国書の中に、百按司墓の遺骨は尚徳王の遺臣のものである、とか、第一監守(第一尚氏時代の北山監守)時代の貴族であることが明記されていまして、玉城さんも、亀谷さんも、そうした人々の子孫なのです。また、琉球では遺骨をお墓の中に納めるとき、大きな甕に亡くなった方のお名前や年月等々を明記して納めるので本来さらに詳しく誰の遺骨か証明できるはずなのですが、金関は、この百按司墓の塀を乗り越えて、手当たり次第に骨を盗んだので、具体的に名前や亡くなった年月日もわかるはずの遺骨も、分類もされておらず個別の識別ができないようになってしまっているのです。そういったことも現在の京大当局は知っているはずなのですが、あえて「証明せよ」と、被害者に無理難題を言っていまして、まさに「盗人猛々しい」態度をとっています。

誰のための学問か

研究は、政治的に無色透明のものではありえません。権力や時の政府によってどのように利用されるかによって、暴力にもなりえるものです。実際に、人類学の研究者によって琉球人の遺骨が持ち出された歴史は、学問の暴力性を物語っています。
遺骨の問題にもつながるのですが、今年2月24日に辺野古への基地建設についての県民投票があり、3択ではありますが、7割以上の人が基地建設を認めないという意思を表明しました。それに対して日本政府、安倍政権は、琉球・沖縄の民意に見向きもしません。ある大臣は、「沖縄の民主主義と日本の民主主義とは違う」とまで言いました。基地反対という住民の意思を無視してまで強硬策を貫く姿勢は、他者の立場を理解しようと想像力を働かせることなく、自分の考えだけで突っ走っていくというもので、まさに暴力、差別を生んでいます。こうした構造は遺骨の問題と同じです。

ー現在の沖縄が置かれている状況を植民地主義という観点から考える研究は京大でもなされてきたはずですよね。
京大にも植民地主義について研究している有名な研究者はいますが、一部の人を除いて遺骨問題について発言をしていません。どうしてなのか。京大の植民地主義、帝国主義という自らの問題を批判してこそ、この人の植民地主義研究の真価が発揮されるはずです。実際に植民地だった場所に置かれた人々や被害を受けている人々・国・地域と、研究者自身との関係性を確かめながら研究をしていかないと、学問のための学問に、自分たちだけで喜ぶだけの学問になってしまいます。それでは学問の意味がありません。私も研究者ですが、琉球が植民地的状況をどうやって脱していくか、解決していくかということを、何とか学問的な方法で扱いたいということを常に考えています。

今こそ、学問が誰に資するものなのか、研究者の立場が問われているのです。今回開かれるシンポジウムは、主催者の問題意識が見えてきません。研究というのは、問題意識があって、仮説があって検証があってというのが一つの筋だと思いますが、まず重要なのは問題意識です。「アジア人文学」という学問が目指すべき、考えるべき問題意識は何なのか。そういうものが全く見えない学問は危ういと思います。

―このシンポに関わる人々、京大で学ぶ人々の立場が問われているということですね。
この企画に関わる人は、ある種の善意があって、学問の最先端を発信し、学問の人類貢献に寄与していると思っているかもしれませんが、人類のなかには京大によって差別・被害を受けてきた人々もいますし、現在でも差別的な扱いを受けている琉球人のような例もあります。そういった人々の声に向き合いながらでないと、無自覚に抑圧に加担していることになってしまいます。学問の暴力という言葉もありますように、学問というのは、人類に貢献するばかりでなく、時に暴力を生むものです。まさに、骨を盗むことも、先住民族の風習を根絶やしにすることも、暴力です。京大のフィールド系の学問の一部は、かつて大日本帝国の侵略と植民地支配を支える存在であったわけです。顕在化しにくいもののはっきりと存在している暴力・抑圧に加担しないために、学問に関わる人間は、常に自分の立ち位置を確かめることを怠ってはいけないと思います。
〈了〉

* * *
松島泰勝(まつしま・やすかつ)
龍谷大学経済学部教授。専門は地域経済論、経済史、経済政策。南大東島、与那国島、沖縄島那覇で育つ。著書に、『沖縄島嶼経済史』、『琉球の「自治」』、『琉球独立論』など。琉球民族遺骨返還研究会の代表として、遺骨に関して京大に問い合わせたり、返還の要求をしたりと、遺骨返還運動を行ってきた。2018年12月に提起した琉球遺骨返還請求訴訟の原告の一人。

問題についてさらに知るために

遺骨問題、植民地主義について扱った書籍を3冊紹介する。この問題について詳しく知るためにいずれも必読である。

『琉球 奪われた骨』
松島泰勝(著)、岩波書店、2018年
序章 帝国日本の骨/第一章 盗掘された琉球人遺骨/第二章 学知の植民地主義/第三章 アメリカと大英帝国旧植民地から/第四章 アイヌの骨/第五章 自己決定権としての遺骨返還/終章 生死を超えた植民地支配

『大学による盗骨』
松島泰勝(編著)・木村朗(編著)、耕文社、2019年
Ⅰ 琉球の遺骨返還問題/Ⅱ アイヌの遺骨返還問題/Ⅲ 植民地主義と学問の暴力/Ⅳ 京都大学を訴える

『アイヌの遺骨はコタンの土へ』
北大開示文書研究会(編著)、緑風出版、2016年
序章 大量のアイヌ遺骨がなぜ全国の大学にあるのか/第1部 コタンの墓地を暴いた者たちへ/第2部 発掘遺骨「白老再集約」の人権侵害を告発する/第3部 北海道大学はアイヌ遺骨を返還せよ/第4部 先住民族の遺骨返還の潮流

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