企画

「ジェントリフィケーション問題 としての『立て看問題』」 立て看板規制を問う 連載 第4回

2018.08.01

編集部より 京都大学は今年5月から、これまで様々な目的に用いられてきた表現手段である立て看板の規制に踏み切った。学内外からの批判を受けながらも着実に規制は進んできた。そのような状況のなかで、立て看板規制についてその背景や問題性を深く考えるために、本紙では、5月16日号、6月16日号、7月1日号の3回にわたって特集を組んできた(これまでの記事は公式サイトで読むことができる)。

今回は、原口剛氏に、都市空間の再編、ジェントリフィケーションの視座から、立て看板規制問題への問いを投げかけてもらう。

寄稿 原口剛(神戸大学教員)

「立て看問題」を知ったとき、すぐに頭に浮かんだことがあった。それは、十年前に起った大阪での経験であり、そして「ジェントリフィケーション」という言葉である。本紙に掲載された記事や資料を読み進めるなかで、私は、問われているのはジェントリフィケーションではないかという思いを、いっそう強めている。その意味を、自分自身の経験と照らし合わせながら、ここに書き記してみたい。距離のある立場から言えることは限られるけれど、経験を共有し議論を広げていくうえで、この文章がなにかしらの手がかりになればと願う。

二〇〇〇年代の大阪では、野宿者が公共空間につくり出すテントが溢れかえっていた。都市全体が、スクウォット空間であったといっていい。そこには、人権を踏みにじられた、一筋ならぬ生があった。同時に、生存空間をみずからでつくりだす自律性があった。ところが二〇〇〇年代後半に、これらテント村は一方的かつ強制的に押しつぶされた。〇六年には靭公園・大阪城公園のテント村に対し行政代執行が、翌〇七年には長居公園において行政代執行が遂行された。長年の暮らしが詰め込まれたテント小屋が破壊されていくなか、当事者や支援者たちは、ある者はジャンベを奏で、ある者は芝居を上演しながら抗議の声をあげた。

その只中で、私もまた、なすべきことを自覚した。目の前でテントを破壊しているのは市の職員や民間業者だが、かれらはなにかの力を代行しているにすぎない(この点などは、看板規制において京大の職員が早朝や休日、炎天下の日中に撤去に動員される状況とも共通するのではないか)。ではいったいなにが、テント村を破壊しているのか。それを探る手がかりが、「ジェントリフィケーション」という言葉に潜んでいるように思われた。この経験をきっかけに、ジェントリフィケーション論の代表的著作であるニール・スミスのThe New Urban Frontier: Gentrification and the Revanchist City (邦題:『ジェントリフィケーションと報復都市 新たなる都市のフロンティア』) の翻訳にとりかかり、ようやく二〇一四年にミネルヴァ書房より刊行した。

ジェントリフィケーションとは、狭い意味では、長らく貧民やマイノリティの居所であった都市のインナーシティを高級地へと塗り替えようとする、とりわけ不動産資本の動きを指す。だが広い意味では、ネオリベラルな政治力学――公共空間の私有化(privatization)や都市行政の企業化主義への変容など――と組み合わさりながら都市空間を商品化させ、市場の力をあまねく貫徹させようとする動きでもある(ゆえに、ジェントリフィケーションはネオリベラル・アーバニズムとも呼ばれる)。強制撤去の経験からいまや十年を経たが、その力は静まるどころか、より大規模なものへと変貌した。大阪ではジェントリフィケーションの波が、ついに寄せ場・釜ヶ崎にまで押し寄せ、隣接地に高級ホテル「星野リゾート」が進出しようと待ち構えている。東京に目を向ければ、五輪を後ろ盾にした都市開発が荒れ狂うなか、公共空間が商業施設や競技施設へと改造され、そこに住まう住人が追い払われる事態が相次いでいる。「立て看問題」は、このようにジェントリフィケーションが各地で猛威を振るう時代の最中に起きた。この同時性が偶然だとは、私にはとうてい思えないのだ。
試みに、いくつかの点について考えをめぐらせてみよう。ジェントリフィケーションの本質とは都市空間の商品化であるから、「売り」になるような景観の秩序化と統制を必然的にもたらす。景観であろうと人間であろうと、その場所に「ふさわしいモノ」と「ふさわしくないモノ」とを選別し、後者を締め出す力を作動させる。だからこそジェントリフィケーションは、場所によっては「社会浄化」とも呼ばれる。東京でも大阪でもそうだが、ここ数年、公共空間を仕切る白壁やフェンスをやたらと目にするようになった。それらの光景が見せつけているのは、このような選別と締め出しの力にほかならない。京都という都市も、例外ではないだろう。長年の馴染みであった「立て看」が、このタイミングで、この状況下において、「統制すべき景観」として問題視されるという事態。それは、ジェントリフィケーションの論理の現われではないだろうか。

また別の角度からは、都市の全体が、新たな戦略によって取り囲まれていることにも気づく。本紙の記事が明らかにするように、京都市は二〇〇七年から「新景観政策」を実施し、景観に対する規制強化を展開する一方で、優れたデザインに対し京都景観賞を与えるなどしてきた。ではなぜ、この時代に「景観」が強調されなくてはならなかったのだろうか。「優れた」とされるその景観とは、誰にとっての、なんのための景観なのか。この政策が「立て看」問題のひとつの文脈となったとするなら、私たちは「景観」の政治性に目を向けないわけにはいかない。そう考えるとき、いっそう重大な懸念として浮かび上がるのは、京都市が展開する「京都観光振興計画2020」や「京都市MICE戦略2020」等の都市戦略である。「2020」という数字をみただけでも、これらの計画がめざす政治戦略は一目瞭然だろう。たとえば「多様な景観資産、自然景観と文化資産を守り、育て、創造的に活用する」と謳う「京都観光振興計画2020」の巻頭言には、次のような市長の言葉が掲げられている。「オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まり、これから我が国は一層注目を浴びるものと存じます。そしてこれは、京都に伝わる日本文化を広く発信し、京都が「観光立国・日本」を力強くけん引する絶好の機会でもあります」。ここにおいて「景観」は、五輪のイデオロギーによってすっかり浸されている。

これらの諸政策が実現・展開された具体的な過程や、そこに孕まれる力関係の詳細までは、現在の私の力量ではつかみがたいが、いずれ本紙の追究のなかで明確にされていくことを望みたい。いずれにせよ、「touristification」という用語があることが示すように、ツーリズムや観光地化がジェントリフィケーションに大いに関わることは世界的に知られる事実だ。まして五輪のようなメガイベントが介在するなら、なおさらである。五輪開発により「環境浄化」や排除が大々的に引き起こされることは、開催地とされた世界各地の経験をみれば明らかだし、上に述べたように東京でもすでに起きている(小笠原博毅・山本 敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社、二〇一六年を参照)。あるいは、これらの都市戦略が掲げる文言は、二〇〇〇年代の大阪でのテント村強制撤去を思い起こさせるものでもある。一連の強制撤去の引き金となったのは、〇六年の「世界バラ会議」であり、〇七年の世界陸上であり、つまり集客目的のメガイベントだった。招き入れるべき「客」やビジネスの気分を害さぬよう(「おもてなし」!)、公園の「見た目」の体裁を整えるべくテント村は「浄化」された。これと同様の事態が、「立て看問題」のなかで繰り返されているように思われてならない。

テント村が一掃されたのちの公園は、ショッピングモール的な商業空間へと改造され、まわりはタワーマンション開発の波にのまれた。このような公園の変貌の過程は、大学を市場化し、学生を「消費者」や「人材」とみなす大学空間の動向に合致するとみるべきだろう。「立て看」が主体的な活動や運動の表現であるとするなら、テント小屋は〈生の表現〉である。これらの表現は、きっと同じ力に対峙させられている。なかでも京大の「立て看」問題や吉田寮問題は、ジェントリフィケーションへの抗いを生み出すための、重要な集結点になりうると思う。なにしろ京大は、都市の中心部にある公共空間である。そこからあがる声や実践は、すぐさま都市へと拡がるだろう。それに、かつて京都大学で学んだ数多くの人びとがいまも各地の現場で活動していること、また制度の外側で長年営まれてきた研究会や集いが数多く存在することも重要だ。かくいう私も、京都大学に籍を置いたことは一度もないが、この大学出身の活動家や知識人と活動や集まりをともにし、多くの学びを受けたひとりである(そのような経験をもつ私にとっては、「立て看問題」とは、網目のように広がる不可視の大学を、制度的かつ可視的なキャンパスのなかに封じ込めようとする動きにもみえる)。

ジェントリフィケーションは、釜ヶ崎のようないくつかの場所で問われているが、広大な問いの地平を獲得するまでにはいたっていない。ジェントリフィケーションはひろく都市を覆い尽くす力であるだけに、抗いの声は、それが個別の場所だけに封じ込まれるなら、息の根を止められかねない。かつて釜ヶ崎の解放闘争をたたかった船本洲治が言うように、「補給を断たれた闘いがみじめな敗北を迎えるのは、釜ヶ崎をみるまでもなく、一切の闘いがそう」である(船本洲治『新版 黙って野たれ死ぬな』共和国、二〇一八年を参照。なお本書には、船本が京都で行った講演録も収録されているので手に取ってほしい)。だからいま求められているのは、問いが噴出する状況を各所に生み出し、結びつけ、そうして抗いの空間を形成することだ。二〇二〇年五輪の不吉な足音が近づきつつある現在、それはいっそう重大な課題としてある。この状況下において、「立て看」をめぐる問いが、空間の自律を求める声があがったことは、ひとつの希望だと思う。「立て看問題」を「景観問題」と捉える向きもあるようだが、それだけで終わらせてほしくはない。いっそのこと、ジェントリフィケーションという巨大な力に脅かされながら孤立と苦戦を強いられている各地の経験を、呼び集めてはどうだろうか。もしかしたらそれは、ジェントリフィケーションに抗う道筋を見出すための、転機となりうるかもしれない。

* * *
原口 剛(はらぐち・たけし)
神戸大学大学院人文学研究科准教授。専門は、社会地理学・都市論。著作に、『叫びの都市―寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者』(単著、洛北出版、二〇一六年)、『反東京オリンピック宣言』(共著、航思社、二〇一六年)、『釜ヶ崎のススメ』(共編著、洛北出版、二〇一一年)、『ホームレス・スタディーズ―排除と包摂のリアリティ』(共著、ミネルヴァ書房、二〇一一年)など。訳書に、ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市―新たなる都市のフロンティア』(ミネルヴァ書房、二〇一四年)。

【解説:編集部】

立て看板規制問題とは 京都大学では、昨年12月、「京都大学立看板規程」が制定され、立て看板の設置が、従来より大きく制限されるようになった。具体的には、看板の大きさが高さ・幅それぞれ2㍍までに、設置箇所が学内の指定箇所のみに制限されたほか、設置者や設置枚数にも制約がなされた。
参照:京都大学新聞 第2603号2018年5月16日
「立て看板規制を問う 第1回」https://www.kyoto-up.org/archives/2716

学内からは、学生団体が大幅な規制の一方的な決定に異議を唱え、話し合いを求める要求書を出した。しかし、京大当局はこの要求を拒んだ。
参照:京都大学新聞 第2606号2018年6月16日
「立て看板規制を問う 第2回」https://www.kyoto-up.org/archives/2774

京大が看板規制に踏み切った背景には、京都市から、立て看板が「京都市屋外広告物等に関する条例」に違反する、歩行者から苦情を受けていることなどから、行政指導を受けたことがある。山極総長は7月の定例会見で、「法令に違反するわけにはいかない」と規制を説明している。
ただし、条例を適用して立て看板を規制することは、憲法の保障する「表現の自由」や行政手続きの観点から、議論の余地はあり、京大の対応は「形式的なコンプライアンスの要請を重視した」だけだとの指摘もある。
参照:京都大学新聞 第2607号2018年7月1日
「立て看板規制を問う 第3回https://www.kyoto-up.org/archives/2743

【年表】

2007 京都市の新景観政策の一環で、「京都市屋外広告物等に関する条例」が制定される
2017.10.05 京都市から京大周辺の立て看板に対して行政指導がある。「立て看板などの設置について」という文書が京大に出される
2017.12.19 「京都大学立看板規程」が制定2018.02.08
学内諸団体が「『京都大学立看板規程』に関する話し合いを求める要求書」を京大当局に出す。公開の場での話し合いないし説明会の開催を要求
2018.02.19 京都大学職員組合が中央執行委員会名義で「立て看板規制に対する声明」を出す。「約1ヵ月という短い期間で、従前より大幅な制約を強いる『京大立て看板規程』を制定したことは拙速であり、立て看板を設置する学内の構成員・構成団体等との周到な協議の上で制定すべきものであったと考える。今からでも、そうした議論を経て規程を改正していくプロセスを開始すべき」と主張
2018.02.20 京大当局が川添理事名義で、学生諸団体の要求書に対して、「『京都大学立看板規程』は既に大学として決定されたものであり、話し合いの場は設定しない。また、説明会も開催しない」と回答
2018.03.08 話し合いの場や説明会の拒否を受けて、学内諸団体が、「『京都大学立看板規程』に関しての対話拒否に対する抗議声明」を京大当局に提出。改めて、公開の場での話し合いないし説明会の開催を求める
2018.05.01 「京都大学立看板規程」が施行
2018.05.13 職員が立て看板を強制撤去。以後、強制撤去が繰り返される

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