24時間耐久でロードムービーを鑑賞してみた。教習所特集2008(2008.04.01)

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教習所からたくさんの広告をいただく「教習所特集」。

「大学に入ったことだし、免許でも取ろうか」という新入生を主な読者とした毎春恒例の企画である。だがここ数年、編集員の免許取得体験記を掲載するだけにとどまっている(今号の3面にも)。この事態に立ち上がったのが、編集部で最も暇な3人(象・P・コ)。彼らにやれることと言えば、そう、「時間を無駄に使う」こと。そんな彼らが3月某日、やる気と盛り上がりだけでロードムービー24時間耐久鑑賞会を決行した。

映画10本以上に及んだ鑑賞会をもとに、以下の映画評が書かれた。それらは24時間を共に戦い抜いた暇人たちの栄光の軌跡であり、当然のごとく読み飛ばしていただいてかまわない。100%彼らの主観で書かれているし、読者の眼が記事から離れて教習所広告に向けば本望だ。ただ、願わくば感想だけにでも目を通してほしい。そこには貴重な青春を浪費した3人だけが語り得る「ロードムービー」批評がある、と信じたい。(編集部)


ナイト・オン・ザ・プラネット
1991年/アメリカ/129分
監督:ジム・ジャームッシュ
舞台は夜のロサンゼルス・ニューヨーク・パリ・ローマ・ヘルシンキ。タクシーの車中で繰り広げられる客と運転手の遣り取りをコミカルかつシニカルに描いたエピソード集。

(P)5つの都市の夜のタクシー運転手とその乗客が出てくるだけだが、これがそれぞれの都市のイメージにぴったり。実際に行ったことはないけれど。運転手と客の会話が楽しい。冷えたピザを食べながらの屋外鑑賞会は、全身がくがくだったけどなかなかよかった。次は暖かいときにしよう。

(象)監督ジムジャームッシュの作品は、どれも観客に対して無理やり感動や笑いを押し付けないし、無駄に作品へ引き込もうとしていない印象がある。作品と観る側の間に、ちょうど良い距離間が保たれていて、それでいて飽きさせないといった感じだ。この「ナイト・オン・ザ・プラネット」もそうで、個々のキャラクターがとても個性的で笑えるんだけど、爆笑とかそんなんじゃなくて「くすくす」ってつい漏らしてしまう笑い方になる。人物のセリフやその言い方、それから小さい仕種とかの演出にすごく凝っているからだろう。背景として窓の外に見える夜の街も魅力的。黒のなかに建物の明かりやネオンが映えていて、夜なのにむしろ鮮やかな映像になっている。くどいストーリーとかではなくて、設定とセリフと役者の演技力とで映画をつくっている姿勢に好感を持った。

(コ)タクシーの運転手というのは過酷な労働の典型だ。多くの人が働いていない深夜に働かねばならないし給料も客次第で定まらない。1人で働いていられるので気ままだし比較的容易に雇ってもらえるのでそれがいいと言う人もいるかもしれない。タクシーをよく見てみると、生産手段を持たない労働者がタクシーの車内という限定の中で運転という手段によって支配者に転ずる、とか勝手に考えてみるとおもしろい。


トランス・アメリカ
2005年/アメリカ/103分
監督:ダンカン・タッカー
トランスセクシュアルの男と、実の父親を知らないその息子。2人はひょんなことからアメリカ大陸を横断することになり、心を通わすようになる。
 
(コ)性同一性障害の主人公の男は顔に化粧をしているのだが、失礼だがどこか奇妙で醜い。実際にはこういう顔になるのか。それがいちばん印象に残ってほかの設定はたくさん出てきすぎてあまり覚えてはいない。でもそれだけ残ったら十分と思う。

(P)アメリカを走るといえば荒野や草原のイメージだったが、ニューヨークからロサンゼルスまでの道中、前半は山間の道を進んだ。主人公のセックスのバレ方がなかなかしょうもなくて、不意をつかれた。

(象)いろんな「トランス」がかかっていることに観終わってから気づき、2人に「とろい」と突っ込まれた。特にストーリ―が面白くはないけど、女優がトランスセクシャルの男(女)役として、「心と体に違和のある人」を違和感なく演じきった力量はすごい。


ロード・トゥ・パーディション
2002年/アメリカ/117分
監督:サム・メンデス
禁酒法時代のアメリカにおけるマフィアの話。妻と娘を殺された男とその息子が古巣のマフィアから追われつつも復讐を果たしていく。
(P)母と弟が殺され、復讐の旅に出たマイク。そのマイクに「ここはもうお前のホームじゃない」といわれた息子マイケルの顔に、車窓に映った流れる風景が重なったシーンが印象的(墓の風景だったような気もするが)。

(象)ストーリーはありきたりだけど、役者(トムハンクスとジュードロウ)の演技力で魅せている感じ。トムハンクスのあの広い肩幅が役柄に見事にはまっている。

(コ)主人公が子どもと組み運転をさせて強盗を繰り返すシーンがおもしろい。銀行の前に車で駆けつけるシーンが繰り返されるのだが、慣れずずいぶん前に止まったり通り過ぎてしまったりする。リズムがある。この明るい調子の後は必ず悪いことが起こりそうって思うけど、限定されているから感じる高揚感からか楽しい気持ちになった。


ユリイカ
2000年/日本/217分
監督:青山真治 
福岡県で起こったバスジャック事件。生き残ったのは運転手と地元の兄妹。運転手は放蕩し、兄妹は家族崩壊した家に引きこもる。町に起こる連続通り魔。やがて運転手は兄妹と暮らし始め、そしてバスで旅に出るが…。目の前で人が殺されるというショックを3人はいかにして克服するか。217分と本企画最長。

(象)内容が良いのは確かなんだけど、でも旅に出るまでで映画一本分の尺がある。それほど長い。精神的に余裕のあるときにしか観れないな、と思う。

(コ)ただ長いからではなく時間の長さを押し付けられているようで腹が立った。
 バスを改造してみんなで住むところ作って、というのは楽しそう。私なら何を持っていくだろう。車はいろいろと好きなもの乗せたり音楽をかけたり空間を作ることができるから楽しい。子どものころの秘密基地みたい。

(P)遠くから人を人形のように映しているシーンがときおりある。たとえば川でみつかった死体に警官が駆けつけるところ。カメラは対岸から警官の動きにあわせて左から右に動いていく。途中に手袋をパンパン叩き続けて突っ立っている人、手前の岸から写真を撮る人がいるところを過ぎて、シーツに覆われた現場に入っていく。これだけのシーンだが、先ほどもいったように人が人形のように見えて、人形を見ているときのようにいいなあと思う。箱庭のなかをカメラがすべっていく感じ。
 また別の場面。人の顔がわかるくらいカメラが近い兄夫婦の居間。会話や演技は自然で生き生きしていながら、そこに参加していない人(テレビを見ている姪、奥の年とった父)は置物みたいにじっとして、ひょっとしたときに自然に場面に参加する。話している人以上に話していない人が気になる。ある人の小説について誰かがいったように「端整でありながら異物感を携えた」と、この場面の印象をいってみたい。即興っぽいところも(特に後半に)あって、そういうものも折り込んだなかでよく構成された音楽の部分部分を楽しむようにこの映画を見ていた。
 ただ長すぎるくらい長いシーンがあって、とりあえず人は見えなくなるくらい遠くに行かないと画面が切り替わらないことが多い。見えるか見えないかのところでも、よく見れば確かに動いている、というのはなかなか快感であるし、ばかみたいに緩やかなテンポも、余分なところが出来て個人的に嫌いではない、というかむしろ結構好きだったりするのだが、夜中の耐久上映向きではなかった。段々だらけてくる他の面々がちょっとおもしろかった。



クラッシュ
2004年/アメリカ/112分
監督:サム・メンデス
ロードムービーではない。一つの交通事故と一つの死体をモチーフに、アメリカにおける人種問題の複雑さを描き出す社会派作品。

(P)「英語話せ」「おれはアメリカ人だ」という会話がたしか最初と最後にそれぞれあった。すさんだ言い合いがほとんどのこの映画のなかにある人種をこえたいいシーンは、問題の何の解決にもならないけど、作った人がそうしたものを信頼しているというのは感じた。でも何か変。作った人は真面目な人なんだろうけど。

(象)おもしろい。安易に和解を描くだけでなく最後に絶望も用意しているあたりが問題の根深さを示唆している。

(コ)映画は観客を映画の世界に取り込み何かを考えさせることによって半ば強制的に主体化させる一種の装置だが、映画を見ながら寝るということは、強制から逃れるためのもっとも容易に選びうる1つの手段だ。というか単純に眠かった。
 映画の途中で1回起きたがまた寝た。最後あたりですでに起きていたけど眠っている振りをしていた。終わって起きたら「おもしろかった」といってふたりで話してて加われなかった。なんだか疎外感を味わった。


パリ,テキサス
1984年/西ドイツ・フランス/103分
監督:ダンカン・タッカー
すべてを捨てて、荒野を彷徨う男。4年ぶりに再会した息子と、妻を捜しにヒューストンへ向かう。
 
(P)この日みたなかでおそらく最も青空が気持ちいい映画。空が広い。岩山。青空。サイコー。ただし、眠たいと面白さは半減する。もったいない。相手の顔を背後にトラヴィスとその元奥さんが告白合戦をしていたのは覚えているが、字幕が追えなかった。

(コ)私はついこのあいだ教習所に通って免許を取った。はじめて運転席に座りハンドルを握るとふと気付いた。運転席は車体の「右」にあるのだ。運転席から臨む風景はいつもと違い(ハンドルを握っているせいからか)偏って見えた。
 『パリ・テキサス』は記憶を失った男が別れた妻を探して、息子と一緒に車に乗って旅をし、記憶を回復するロードムービーの映画だ。土地を追われているロードムービーの主人公にとって車は仮の土地だ。車は移動手段で移動には目的地が必要で、男がつぶやく「パリ」にとりあえず向かう。空港に行き飛行機に乗ろうとすると「土を離れるのが怖い」と言って男は飛行機に乗らない。パリはテキサスにある、と言う。この映画で「パリ」という言葉は漂白され本来あるはずの意味を失ってしまっている。
 途中、子どもが映画を見て母親を思い出すシーン。近くにいるのにガラス越しに電話を通じてしか妻と話せない(話さない)シーン。ほかにたくさんの象徴的なシーンがこの映画には出てくるが、よくある小難しい映画とは違い、台詞にしろ場面にしろどこか親切でわかりやすい、と感じた。意味を失っていることには何か意味があり、伝えたいというヴェンダースの意思は明確だ。しかし最後、決してハッピイに終わるわけではない。ヴェンダースは誠実だ。
 旅をしたり車を運転したりすると普段の生活とは違う景色が見えるのでぜひ教習所に通って免許を取ってみて欲しい。

(象)ヴィムベンダースはやはり安定感がある。あまりに安心しため寝てしまった。だから解説できない。

ブラウン・バニー
2007年/アメリカ/90分
監督:ヴィンセント・ギャロ
死んだ恋人の影を求め、傷心の旅を続けるバイクライダーの話。監督兼主演ヴィンセントギャロのナルシスト映画。

(P)死んだ恋人を呼び起こしておいて、泣かせて、謝らせて、セックスさせるって、どうなんだ? と言いたい。しかも主人公の非を責めさせもする。そのあとは運転する自分の顔を長々と見せてからに、ナルっぽいオナニー映画で他人を頭の中で好き勝手に使っておいて、まじめに感傷的なのが気にくわない。ひとりで泣けよ。せめて主人公をもっとカメラから離せ。もしくはバカになれ。

(コ)映画は観客を映画の世界に取り込み何かを考えさせることによって半ば強制的に主体化させる一種の装置だが、映画を見ながら本を読むということは、強制から逃れるためのもっとも容易に選びうる1つの手段だ。というか単純に本を読みたくもなるよ。
 ついに集中力が切れ始め皆好き勝手にし始める。私は本を読み(P)は新聞のクロスワードを解き始めた。この映画を選んだ(象)の怒りを肌にひしひしと感じ、映画に目をやる。「この映画すんごいおもしろかったよ!!!」

(象)釈明っぽくなるけど、この映画で観るべきはストーリーでもギャロでもない。背景。アメリカの田舎の景色です。それから砂漠。ロードムービーの成立要件といえましょう。


デス・プルーフinグラインドハウス
2007年/アメリカ/113分
監督:クエンティン・タランティーノ
ロードムービーではない。スタントアクション・バイオレンスである。車を使って女の子を殺しまくる元スタントマンと、偶然狙われた現役女スタントマンたちの激突。

(コ)女の子たちが男に残酷に殺されるシーンは最高に胸くそが悪く、ひるがえって女の子たちが男をぼこぼこにやるシーンは爽快だ。カメラの撮り方やら音楽やらいろんな技術を駆使しても飽き足りないタランティーノ監督は80年代に場末の映画館で上映されていたアメリカ映画にならって、映画館で写していて映写機の調子が悪くなる様子まで映画に盛り込んでいる。それだけ手を尽くされていても不快ではない。監督の映画好きが伝わってくる。
 今度(P)が眠った。途中で起きたけどまた眠った(または眠る振りをした)。終わって起きたとき「おもしろかったよ」と(P)に向かって言ってしまった。ほんとうに面白かったのだけれど。

(象)眠気が吹き飛ぶ過激な暴力。やりすぎていて大笑いだ。

(P)眠気の限界で映画の始まる前に寝た。で起きたら、女の人3人が男の人1人をボコボコにしていて、隣で映画を見ている2人が爆笑していた。そしてすぐ終わった。


気狂いピエロ
1965年/フランス/110分
監督:ジャン・リュック・ゴダール
とりあえず男女がパリから南仏へ向かってめちゃくちゃする。これ以上はストーリーを説明できないしする必要もない。

(象)観ていて楽しい退屈さ。南仏の海岸はきれいだなあ。

(P)見ながら、筒井康隆だったり、ボリス・ヴィアンだったりを思い浮かべた。そういった小説とパロディ、メタフィクションっぽいアイデアはそう変わらないんだと思ったけど、映画的教養があればもっと楽しめるのかな。原色にはくらくらするし、B級っぽさも魅力的だった。最後の島に行く前のおじさんには握手を求めたい。

(コ)ゴダールの映画を見ていると女性が活き活きとしているように思える。車を盗むシーンを見てるとこっちもあせってくる。時間が長く感じる。場面が変わり時間が飛ぶのとは、別に時間のことを気にした。

モーターサイクル・ダイアリーズ
2003年/イギリス・アメリカ/127分
監督:ウォルター・サレス
若きエルネストゲバラと親友フェルナンドのバイク南米縦断の旅を追った旅の話。バイクは結構早い段階で壊れて払い下げられる。

(コ)この作品は今までと違い車というかバイクだ。
バイクだと会話は前後に一方向に。車だと左右やらななめやらにも会話がなされる。
この映画はバイクの車体と同じような一直線のストーリーだ。バイクに乗るのも面白そうだ。バイクの免許も教習所に取りに行こう。

(象)いくつかクサ過ぎるシーンはあるけど、コミカルなシーンを織り込んであって、単なるゲバラ録でなく、十分エンターテインメント性を備えていると思う。

(P)バイクひとつで大陸を行く。夫のいる女に手を出したり、市場で「これ何」「これ何」と聞き続けたり、旅する主人公の方にネガティブなものがないものは意外にもこの日初めて。勝手ながらもっとも学生に似合う旅と感じた。

すべてを終えて 感想
(P)ロード・ムービーには風景が必要だと思う。だだっ広い道を車で行くときの、心地よさと心細さが同居するような浮遊感。それがあるからこそ自分のことを考え、見知らぬ隣の人のことが知りたくなる。または癒しかもしれないし、見ているものを突き放すような何かを感じることもある。その気持ちがないのなら、旅なんて適当に観光地をまわっていればいい。風景はただの背景かもしれないが、少なくとも見ている側にとっては、かえがたい何かがある、というのを10本見て思った。

(象)家族とか恋人とかあるいは自分の心とか、そういったものが失われたり欠けていたり壊れていたりする人たち。そういう人たちが旅に出て、出会いがあって、すったもんだをして、回復なり和解なり救済を遂げる。ロードムービーにはそんな「破壊→旅→修復」という流れの典型がある。だからこそ破滅にしか向かわない「気狂いピエロ」がいつみても新鮮に感じるのだろう。まあしかし一般の作品の場合には、この典型に収まりつつも、どれだけ安易な解決を拒んでいるか、観る側の満足度につながってくると思われる。青山真治監督のユリイカは初めて観たけど、「時間の長さ」というものを武器にして「安上がりな救済」を回避していた。その点で満足でした。眠たかったけど。

(コ)何かの博物館みたいなところに行ったときに映画の歴史を見たことがある。最初の映画は写真や絵を連続して写し出すとひとりでに動き出すというところから、はじまったらしい。途中にまったくちがうカットが差し込まれたり、ユーモア味みたいなものがあって、映画のひとつの特徴らしい。
 映画を見て楽しいことのひとつはいっしょに映画を見た人と映画について好き勝手に話せることだ。映画をとる人も撮りながら様々に感じながら、しかも全ては把握できないところで、映画をとる。それについて見たほうも好き勝手に感じしゃべる。
映画を見ると楽しいことが多い。車にのってみんなで旅するのもどこか似たような感じがあって楽しいように思う。

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