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上映会報告 歴史を見つめる2つの映画

2008.04.01

「実録・連合赤軍」

3月20日、京大・西部講堂で「実録・連合赤軍―あさま山荘への道程」が上映された。関西での先行上映会である今回は、上映後に若松孝二監督の挨拶とティーチインが行われた。ティーチインでは、永田洋子役の並木愛枝さんと、森恒夫役の地曵豪さん、ゲストとして寺脇研・京都造形大学教授らも参加し、会場からの質問を受けていた。若松孝二監督は挨拶で、「エリートだった若者が、私利私欲を捨て革命に賭けた、その生きざまを見てほしい」と話した。

本作では、1960年の日米安全保障条約締結から1972年のあさま山荘立てこもり事件までの連合赤軍に焦点を合わせて撮られている。「連合赤軍」をテーマにした作品はいくつか撮られているが、「連合赤軍」側から撮った映画はこれが初めてだ。若松監督は「突入せよ!「あさま山荘」」が警察側から描いたものであることに憤慨して、撮る決意を固めたという。私財を投じて制作費を工面し、自らの別荘を「浅間山荘」として映画の中で破壊した。若松監督の「俺が撮る」という覚悟が、「連合赤軍」の前に「実録」をつけさせた。

連合赤軍のメンバーの多くが20歳前半であった。現在21歳の私にとっての1972年とは、彼らにとっての1937年―ちょうど日中戦争が始まる年―であったろう。2002年にテレビでは連合赤軍の特集が組まれ、「突入せよ!「あさま山荘」」が制作されたように、あの事件を私たちが歴史にしようとしているなら、あの時代の彼らもまた、あの戦争を歴史にしようとしていた、そうは読めないだろうか。自分が生まれる10年ほど前のできごと、親は知っているが自分は知らないできごと。スクリーンの中では、「総括要求」という名の粛清の下、彼らが一人また一人と死んで行く。そのたびに、スクリーンから目をそらしたくなる。私たちが見つめるべきは、そういう歴史だ。「総括要求」という生身に振られた生身の暴力は、彼らが革命の方法論とした銃弾よりも重い。

あさま山荘の中で、加藤3兄弟の末弟は叫ぶ、「俺たちは勇気がなかったんだよ」と。この言葉は、粛清を止められなかったメンバーたちに突きつけられる。と同時に私たちの「歴史を見つめつづける勇気」に向けられている。

※関西では、テアトル梅田・第七藝術劇場(大阪)・京都シネマ(京都)で公開中。(ち)



「水になった村」

3月23日、中京区ひと・まち交流館で「水になった村」が上映された。京都市ユースサービス協会の主催。監督の大西暢夫さんもゲストとして参加した。

岐阜県揖斐郡徳山村。今はもう、地図上にその名はない。

1957年、この村にダム建設計画が持ち上がる。総貯水量において日本一を誇るダムができると聞いた幼いころの大西さんは、自分の近所の村が有名になる、と無邪気に喜んだという。しかし、中部地方に電力を供給し、洪水を防ぐその巨大多目的ダムは、500世帯1500人が暮らす村の消滅という犠牲の上に成り立つものだった。

1992年、20代前半だった大西さんは初めて村を訪ねる。すでに村民は移転のための補償金を受け取り、岐阜県の各地に引っ越しているはずだった。だが、誰もいないはずの村には変わらぬ日常を生き、死のうとしている元気なジジババたちがいたのである。映画は大西監督が彼らに対して行ったインタビュー、そしてまた共に暮らした日常をまとめたドキュメンタリーである。

全編通して聞こえる水の流れの音が印象的だ。揖斐川水系の上流に位置する徳山村にはきれいな小川が流れる。さらさらと流れる川の音に、ジジババたちの笑い声が共鳴する。彼らは本当に楽しそうだった。毎日畑を耕し、魚をとり、白菜を漬け、キノコを干す。その顔に村がなくなることの悲しみや怒りは見いだせなかった。

後半、ひとりのジジが死ぬ。そのこと自体は村の水没とは何の関係もないのだが物語はそれを境に暗転していく。村には家を取り壊すショベルカーの音。注水が始まり、ジジババたちも移転を余儀なくされる。笑い声が減り、水の音もどこか村を呑みこもうとする恐ろしげなものに変わる。壊される家を前に「情けない…」と涙をこぼすババの顔が網膜に焼き付いて消えない。

大西さんは、「村民の怒りや悲しみがテーマではなく、ただ自身がカメラ越しに見た村の風景、ジジババたちの笑顔を伝えたかっただけ」と話す。現在、週一回のペースで全国を回って上映会を開いている。「映画を伝えていくことで、これからも村の記憶をつなげていきたい」すすり泣く音が響く会場で大西さんはそう結んだ。(秀)