〈映画評〉ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』 人間、知、小さき者への愛(2017.10.1)

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9月、京都大学の教員の研究グループがダウン症の出生前治療を可能にする化合物を発見し、altered generation of neuron のイニシャルをとり「アルジャーノン」と名付けたという。このニュースから有名な小説『アルジャーノンに花束を』を想起した人は多かっただろう。京大の発表を機に、本作を読み直してみることにした。

『アルジャーノンに花束を』は32歳の知的障がい者、チャーリイ・ゴードンの手記(経過報告)の形をとる。チャーリイは高い学習意欲と素直で温厚な性格を買われ、知能を人工的に向上させる手術の被験者に選ばれた。手術の結果、彼は次第に天才へと変貌してゆき、初めは幼児の文章のように拙かった経過報告は含蓄に富んだ小説になってゆく。「アルジャーノン」とは彼と同様の手術を受けたマウスの名前で、手術の前後に迷路を解く速度を競争しあい、時にともにじゃれあい、チャーリイはアルジャーノンに自己を投影して親しみを覚えるようになる。最後には、手術は失敗だということをチャーリイ自身が発見し、アルジャーノンは退行を始め死んでしまい、チャーリイも知能を失ってしまう。

この作品には三つのテーマがこめられていると私は考える。

一つは、知的障がい者に対する差別への痛烈な批判である。チャーリイの母親は息子が知的障がいを持つことを受け入れられず、チャーリイに虐待を加え、その記憶は知能を高めたチャーリイにとって女性への恐怖となる。その描写は生々しく、心が痛む。母親だけでなく、みんなに好かれようと努力する知的障がい者をバカにする人々、知らず知らず軽蔑している科学者が描かれる。手術により障がいを除かれたチャーリイも、知的障がいの少年を軽くあしらった自分に気づく。読者は、自分は無意識に差別をしていないか、と自身を問い直さざるを得なくなる。

チャーリイは高い知能を得た後、尊敬していた教授らや好意を寄せる女性が凡庸であったことを知ってショックを受け厭世的になる。知性によって時に見たくないものまで見えてしまうのだ。しかし、しばらくの逃避行の後、チャーリイは知的障がい者のための研究に没頭するようになり、知能を失った後も、一日中本が読みたいと語り、一時でも「りこう」になれて世界や自分自身のことを知れたことに感謝する。二つ目のテーマとして、知は諸刃の剣でありながらも、知への愛を持つ希望がこの作品から伝わってきた。

三つ目に、性も大きなテーマだ。チャーリイは手術による情緒の成熟によって強い性衝動を覚える。しかし、子どもの時に母親に性への罪悪感を植え付けられており(例えば勃起することへの激しい叱咤)、それによって性行為に及ぼうとすると手術前の自分に見られているかのような幻覚に苛まれる。しだいに、愛情をお互い持っていない気楽な関係の女性とは、手術前の自分の幻を無理やり抑圧することで性的な関係を結ぶことができるようになる。知能を失い始めると、手術前の自分に戻り始めたからか、ようやく本当に愛する人と関係を持つことができるようになる。そこで感じた神秘は、「人間は嵐のさなか、船外へほうりだされないようにするために、おたがいの手を握り合って、引き離そうとする力に抵抗する、そうするときわれわれの体は、無へ押し流されないようにしてくれる人間鎖のひとつの輪となって抵抗する」と表現される。愛のある性行為は分離への抵抗、肉体以上の根源的な結合として表現されるのだ。チャーリイは知能の急変により、以前の自分から分離させられていた。女性やセックスへの恐怖から、女性とも分離させられていた。また知能が低すぎたり高すぎたりすることによる孤独から、世界からも、分離させられていた。そんなチャーリイは肉体の結合を通してそれらと繋がることができるようになったのではないだろうか。

いずれのテーマにも通じるものは何か。それは愛ではないだろうか。チャーリイの母親に愛情があればチャーリイは苦しまずに済んだ。また、チャーリイの美点として語られるのは知への愛である。そして、世界との分離に悩んだチャーリイが世界との結合を果たしたのは性愛によってだった。タイトルを飾る、知能を失ったチャーリイからの、死んでしまったマウスの友人・アルジャーノンへの花束は、愛の象徴なのである。(竹)

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