〈書評〉究極の「反貞女」であれ 三島由紀夫著『反貞女大学』(2017.08.01)

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現代において、「性」はひとつのキーワードである。「男尊女卑」と言われた古来の日本社会のかたちは徐々に影を薄くし、しきりに「男女平等」が謳われ、いたる所で男女共同参画の場が実現した。一方で、セクシュアル・ハラスメントのような性の別に根ざした問題が従来に比べて顕在化し、そのまた一方では今日では広く受け入れられている「LGBT」ということばが示すように、男と女という二元的な枠組みを超えた性への理解も進んでいる。『反貞女大学』は、まさにそうした「性」観の転換の時期に書かれた、三島教授による「性別学の講義録」である。

本作は前半の「反貞女大学」、後半の「第一の性」の2篇から成る、三島自身の女性論・男性論を解説したエッセイである。従来の「貞女」という婦徳に縛られ苦しむ女性に対し「反貞女」として自由に生きることを説いたり、フィデル・カストロやアラン・ドロン、はては親鸞といった時の(?)有名人を「男」という観点から分析することを通して男性心理を解説したりといった点は、もはや思考停止で受け入れられてきた「男」「女」についての既成概念に向かい直したという意味できわめて前衛的だと言って良いだろう。彼は「反貞女大学」の最後でこう述べる。「私はこの講義の中で、人間生きていれば絶対の誠実などというものはありえないし、それだからこそ、人間は気楽に人生を生きていけるのだ、という哲学を、いろんな形で展開したつもりでした。……」彼の考えの新しさは、この相対性によく表れている。

特に注目すべきは、前半で「反貞女大学」と銘打ってさまざまに説かれる「反貞女」が、突き詰めると究極の「貞女」であるという、三島独特のレトリックだ。三島の著書『不道徳教育講座』も「不道徳」を突き詰めることによって「道徳」を語るという、同じような論理展開が用いられている。逆説的な論理を用いることで敵の背後に回り、反論を巧みにかわしつつ、彼の主張は結局、受け入れられている「常識」の範疇を超えない。三島は本来生真面目なのだ。しかし主張の内容がどうであれ、意表を突かれるそのロジックを楽しむのが三島のエッセイの読み方だろう。

また「第一の性」の最終章で自身「三島由紀夫」の男性的側面について分析を加えた後、三島はこう述べる。「この男は、……一等下らない人物のように思えますが、しかし彼も亦、一個の男子である。何かそのうち、どえらいことを仕出来すこともあるでしょう。……」彼は『反貞女大学』の中で、「男の世界の英雄的闘争」の存在を説いた。男性は常に英雄であるために競い合っている。三島も例に漏れず、英雄になることを夢見ていたのだろう。そして彼の割腹自殺は、自衛隊を救う英雄としての、確固たる意志を持った行動だった。そう考えると、本作で説かれる男性論は、三島自身の自己分析、そして一種の諦観の表れであったのかもしれない。(杏)

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