〈書評〉長崎浩著『乱世の政治論 愚管抄を読む』(2016.7.16)

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歴史の道理を追い求める

「この日本国に政治はあるのか。ここでは政治の結果責任もへったくれもないのであって、あるのは『政治であって同時に政治ではないという政治』ばかりではないか」。本書において、著者は『方丈記私記』(堀田善衛)を参照してこう述べている。慈円の理念に関しての言葉であるが、いま私たちが本書を読むにあたって、この言葉を強く意識せずにはいられないだろう。
 
本書は、平安時代から鎌倉時代までを生きた知識人、慈円の著作「愚管抄」を著者なりに解釈・分析したものである。慈円がこの世に生まれたときには、それまで天皇と摂関家が協調して行ってきた摂関政治が終わりを告げ、代わりに院政という新たな政治体制が生まれて政治のあり方が大きく変わっていた。政治の中心が貴族から武士へ変わっていった激動の時代を、彼は生きたのである。
 
『愚管抄』は、承久の乱の前夜に書かれた後鳥羽上皇に対する諫奏の書である。「日本国」の歴史を追いながら、慈円自身の理念に基づき政治道理について考察したものだ。慈円の政治理念はつまるところ、「血統の定まった国王と藤原摂関家の臣とが「世のため人のため」に「魚水合体」のごとくに国を治める」ことにある。そしてこの政治の形は、遠く神代に神々の間で約諾されたことであるとして、その冥の(目に見えない)原理に顕の(現実世界の)政治がついてくるとした。平安時代に行われた摂関政治は、まさにその理想形というわけであり、慈円の理念もうまく適っていたのである。
 
しかし鎌倉時代になり、武士が力を持ち始め政治の実権を握るほどの強大な勢力となると、君臣合体という慈円の政治理念は大きく揺らぐこととなった。武士の天下となることは、上で述べた冥の原理にそぐわないからである。また天皇家や摂関家の内部分裂も起こり、彼の理念の現実的破綻が明らかになった。やがて『愚管抄』に記述される慈円自身の考察や論評は減り、事実の細やかな描写が増えていく。これが『愚管抄』が歴史理論書と一般的に評されるゆえんであるが、実際は理論書とよべるほど論理立ったものではない、と著者はいう。慈円自身の道理の理念を押し通すために、屁理屈ともいえる論評がところどころなされていたりもする。
 
しかし、ここに『愚管抄』のミソがある。ただ史実を記すだけではない、歴史の中の一存在としての慈円の思想のあとが刻まれているのである。院政の開始、武士の台頭が続く中で、慈円は自身の打ち立ててきた理念の支柱を失った。何とか現実世界に合う道理を見つけようともがいたものの、ロジックのほころびを繕うことが出来ず、乱世の歴史を目の当たりにする中で一門の失墜を自らに納得させるしかなかった。自分が生きている時代の崩壊に恐怖し古代からの規範にしがみつく姿、そして彼自身の理念の崩壊が赤裸々に表れた『愚管抄』は、いわば「敗北の政治論」として当時の政治の有り様を伝えている。
 
『愚管抄』の中では「世」という言葉がきわめてよく使用されている、と著者は指摘する。そしてそれは大体「一般社会」ではなく「朝廷の国政」を意味するという。一方で、国王から民に至るまでの個々人の家政やそれに携わる活動――今で言うところの社会――を「人」と呼び、「世」と「人」のために尽くすことが最善だと考えた。そして慈円の関心はもっぱらこの「世」にあり、「人」に触れることはなかったのである。 しかし家政が国政と矛盾対立し、朝廷内部での対立や連携関係そのものが政治となって「世=政治」、「人=社会」とが混交するようになったとき、果たして彼はどう考えたか。自らの政治理念の崩壊を目の当たりにした時、彼の無意識の言動となって立ち現れた政治の形を読み解くことは、現代日本に生きる私たちにとって価値のある作業なのかもしれない。(杏)

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