複眼時評

水野眞理 人間・環境学研究科助教授 「スカーレット・オハラではなかったかもしれない」

2006.07.01

まず、クイズから。次の文章の中の□にふさわしい地名を答えよ。

「[十戸組、百戸組に編成することにより]彼らは族長から引き離されて君主の臣民となるのだ。さらに、□人の最大の防衛線となっているこれらの族長・氏族制を破壊するために、……これまでは皆それぞれの生まれによって自分が属する氏族の名前で呼ばれてきて、特に苗字を持たなかったが、今後は、一人一人が、職業・能力、身体的または精神的特徴、住所などを示す苗字を持つべし、とする。そうすることによって、一人一人が他人から、あるいは氏族の大部分から区別されるようになり、現在のように族長に依存することもなくなり、また短時日の内に□人の生まれであることを忘れるだろう。」

読者の多くは「朝鮮」と答えるのではないだろうか。「創氏改名」という言葉を思い起こすことができる読者ならなおさらであろう。しかし正解は「アイルランド」である。問題の文章は、十六世紀末のイングランド人によって書かれたものなのである。文章はさらに、「これとともに、族長たちが氏族名に冠している「オ」とか「マク」とかを完全に禁止して消滅させたいものだ」と続く。

現在アイルランド、あるいはエールと呼ばれる国がイギリス連邦から独立したのはわずか六十年前のことである。一一七五年にアイルランドの大王ロリー・オコナーがイングランド王に宗主権を認めて以来、この島は八百年近くもイングランド人の支配下にあった。もちろん、人口の大部分をなすゲール系住民が諾々とそれを受け入れるはずもなく、反乱は繰り返され、また移入してきたイングランド人もゲールの風土に同化され、吸収されていった。イングランド側では、そのようなケースをディジェネレイション(堕落)と呼んだ。イングランドの実効支配の及ぶ地域はペイル(柵)と呼ばれたが、そのペイルも次第に縮小し、十六世紀後半において大部分の地域は、ゲール系氏族か、もとイングランド人大領主の領分であった。イングランド政府は新たに「植民」という手法でこの島の支配を徹底することを考え、反乱者の土地を次々に没収しては、かわりに植民請負人を送り込んでいくことになる。

冒頭に引用した文章の書き手は、エドマンド・スペンサーというイングランド人官僚である。彼は筆者の専門である英文学の世界では『妖精の女王』という長大な物語詩の書き手として知られているが、青年期に総督秘書としてアイルランドに渡り、生涯アイルランドでさまざまな役職に就き、また植民者としても三千エーカー(三六七万坪)を保有した。そして、アイルランド支配を徹底するための、法整備、軍制の導入、主産業の牧畜から農業への転換とともに、ゲール社会の解体と再編成を骨子とする植民地経営論『アイルランドの現状管見』(一五九六年)を書いた。氏族制を保つゲール共同体では氏族全体が一つの名-オニール、オコナー、マッカーシー、マクナマラなど独特の接頭辞を持つものが多い-のもとに、強い同族意識でつながっていた。この共同体を解体することが、植民地支配にとって最重要だ、というのが冒頭の文章の主張である。その具体策が、アイルランド人を十戸組、百戸組へと再編して軍制の一端を担わせることと、ゲール的な命名法をイングランド的な命名法に変えさせることなのである。それは鍛冶屋ならスミス、髪が茶色ならブラウン、森に家があればウッドハウスなどと、もとのゲール語名とはほど遠い名前になることを意味している。

この部分を読むと、二〇世紀前半の日本と朝鮮の関係を想起し、植民地支配の精神は古今東西なんと似ていることか、と驚きを覚えずにはいられない。日本人もまた、朝鮮人を「皇国の臣民」として組み込み、徴兵を容易にするために、朝鮮人が伝統的に持ってきた一族の姓に加えて、戸単位で日本式の氏を名乗らせた。氏にもちいる名前は選べたが、有形無形の圧力によって、日本語として発音しやすく、しかし完全には日本人と同じではないものに誘導されるケースが多かった。制度の詳細やその実効性の違いはあるだろうが、人間のアイデンティティに関わる名前をいじることが支配の象徴であり、支配を強化する点は間違いなく共通している。支配としての名づけは、創世記で神が最初の人間アダムを造り、アダムに万物の名をつけさせた、という記述にまでさかのぼることができる。人間が万物に名を与え、地上における万物の支配者となることは神も是認ずみ、というわけである。

『アイルランドの現状管見』は、執筆されてから約四〇年後の一六三三年、スペンサーの死後にようやく出版されたが、(幸いなことに)イングランド政府の中枢に大きなインパクトは与えなかったようであり、実際、スペンサーが提案したような改名は強制されなかった。しかし、アイルランド住民の多数を占めるカトリックに対する差別的な法制度があったために、ゲール名から「オ」や「マク」を取り、イングランド風の発音に改める一族は増えたのである。法律によって直接強制されたのではなくても、結局支配者の文化風に名前を変えることがサヴァイヴァルの道であるような条件下で、アイルランド人も朝鮮人も生きざるを得なかった。アイルランド人が再び「オ」や「マク」を名前に冠することができるようになるのは一八二九年にカトリックが市民権を得てから後のことであるが、全ての名前が復帰したわけではない。いっぽう朝鮮人は日本の敗戦によって日本式の氏名から解放されることになるが、日本に居住し続けた人々の間では名前の問題は長く尾を引いている。

一八世紀のプロテスタント化政策と十九世紀前半の飢饉は多くのアイルランド人をアメリカへ渡らせた。マーガレット・ミッチェル作『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラの父もアイルランドからアメリカへ渡って成功した農場主である。その農場の名前タラは故郷アイルランドのダブリンに近い古代の聖地にちなんでつけられている。もし『アイルランドの現状管見』がイングランド政府を動かしていたとすれば、スカーレット・オハラの苗字は別のものになっていただろう。


みずの・まり 京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。
専門はイギリス近現代文化論。初期近代のイングランドにおける文化テクストを、詩学と政治学の視点から分析している。