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南総里見八犬伝を読む

2016.05.16

古典文学を日常的に読む人はどのくらいいるだろうか。高校の授業以来ほとんど読んだことがないという人も多いかもしれない。しかし、古典には現在と異なる価値観や独特の雰囲気をもつ表現があり、現代の小説と違った面白さがある。古典作品と一口に言っても時代やジャンルなどにより千差万別だが、ここでは江戸時代に書かれた長編小説『南総里見八犬伝』を取り上げる。普段触れることの少ない古典の世界に興味を持ってもらえれば幸いだ。(雪)

南総里見八犬伝とは 江戸時代後期の読本。滝沢馬琴(曲亭馬琴)の代表作で、9輯98巻106冊に及ぶ長編伝奇小説である。室町時代後期の関東を舞台に、実在の戦国大名里見家を巡って8人の勇士が活躍する。中国の元末・明初の小説『水滸伝』に構想を借りたと言われる。

あらすじ

嘉吉元(1441)年、一族が滅亡し浪人となった里見義実は安房国に渡り、主君を殺して領主となっていた山下定包を滅ぼして里見家を再興する。しかし、義実が定包の妻玉梓を許すと言っておきながら前言撤回して処刑してしまったため、里見家は後々まで玉梓の霊に祟られることになる。

十数年後、隣郡の領主に攻められ滅亡寸前になったとき、義実は飼い犬の八房に、敵の大将の首を取ってきたら褒美に娘の伏姫と結婚させてやると冗談を言う。すると八房が本当に大将の首を取ってきてしまったため、伏姫は八房に伴われて山奥に入っていく。1年後、伏姫を取り戻そうとした家来が、誤って八房もろとも伏姫を鉄砲で撃ってしまう。伏姫は蘇生するが、既に八房の子を身ごもっており、そのことを恥じて割腹。すると腹の中から気が立ち上り、伏姫が身につけていた仁義礼智忠信孝悌の文字のある8つの数珠玉とともに四方に散る。伏姫を誤って撃った家来は出家して丶大と名乗り、飛び去った8つの玉と、伏姫の子の行方を追って旅に出る。

伏姫の胎内にあった気は関東一円に散らばり、伏姫の数珠玉の一つと、牡丹の形の痣を持つ8人の若者、八犬士に生まれ変わる。犬士たちはそれぞれ出会いと別れを繰り返しながら関東を中心に日本中をさすらい、次から次へと襲いかかる困難を乗り越えていく。その中で丶大ら里見家家臣に出会って里見家との宿縁を知り、伏姫の死から25年後、8人揃って安房へ赴き、里見家に仕えることになる。

めでたしめでたし、といいたいところだが話はまだ終わらない。関東管領である扇谷・山内両上杉家と里見家の間で合戦が勃発し、犬士たちはそれぞれ兵を率いて各方面で戦う。八犬士の活躍により里見家は勝利を収め、八犬士は家老となり、朝廷から官位も授かって、里見家の8人の姫とそれぞれ結婚する。さらに色々な後日談が続いたあと、最後に8人は隠居して仙人になる。

八犬士

あらすじで述べたように、八犬伝の主人公は八犬士と呼ばれる8人の若者である。仁義礼智忠信孝悌の文字のある玉を一つずつ持ち、様々な経歴や個性のある八犬士を一人ずつ紹介する。

犬塚信乃戍孝

孝の玉を持つ。11歳まで女の子として育てられたため信乃という女性名を持ち、女の子と間違われるほどの美男子。父から預かった名刀村雨丸を古河公方足利成氏に献上して仕官しようとしたが、刀がすり替えられていたため、敵の間者だと疑われて追われる身になる。

犬川荘助義任

荘介とも。義の玉を持つ。幼いときに父が死んで家が没落し、信乃の伯母夫婦の下男となる。信乃と義兄弟の契りを結ぶが、仲が悪いふりをし続け、信乃の命を狙う伯母夫婦から信乃の暗殺を頼まれたりする。主殺しの罪を着せられ死刑にされかけるが、信乃・現八・小文吾に救われる。

犬飼現八信道

信の玉を持つ。初めは足利成氏の家臣で、主君の命令で信乃を捕らえようとして三重の楼閣「芳流閣」の上で死闘を繰り広げる。一人で化け猫を退治しようとしたり、敵の大軍と一人で対峙したりと豪胆な性格が際立っている。

犬田小文吾悌順

悌の玉を持つ。宿屋の息子で現八の幼馴染み。足利家に追われる信乃を匿い、現八と3人で他の犬士を探す旅に出る。八犬士の中で一番の大男で、素手で猪を打ち殺したり、暴れ牛を止めたりする怪力の持ち主。

犬山道節忠与

忠の玉を持つ。練馬家の家老の息子だったが、主家が扇谷上杉氏に滅ぼされ、父も討ち死にしたため、扇谷定正を君父の仇として付け狙う。成り行きで仇討ちに巻き込んでしまったことから信乃らと知り合った。里見家に仕えた後も仇討ちにこだわり続けるが、ついに果たせずに終わる。

犬阪毛野胤智

智の玉を持つ。無実の罪で殺された父の仇を討つため、最初は女装して登場し、ついでに小文吾に恋心を訴えたりする。その後も姿を消しては乞食や物売りなどに変装して再登場し、他の犬士たちの協力を得て無事仇討ちを果たす。里見家に仕えた後は軍師として、上杉家との戦いで中心的な存在となる。

犬村大角礼儀

礼の玉を持つ。幼い頃父親が山猫の妖怪に食い殺されていたのだが、山猫が化けた姿を父だと思い込んで孝行し続ける。現八が偽の父親の正体を暴き、2人で山猫を退治する。博学で武芸にも優れるが泳ぎは苦手。

犬江親兵衛仁

仁の玉を持つ。小文吾の妹の子で、最年少の犬士。神女となった伏姫によって4歳のとき神隠しに遭い、山奥で育てられた後、9歳で再登場して里見家の危機を救う。9歳なのに106歳に見えるほど大人びていて、とにかく何でもできるし何でも知っている。ただし泳ぎだけが苦手。

八犬伝を読もう

八犬伝の面白さは、第一に緻密な構成に支えられた壮大なストーリーにある。前半部分では犬士たちが悪役に陥れられたり殺されかけたり、犬士同士で戦ったりという波乱万丈の物語が次から次へと展開され、後半は複数の合戦における登場人物の活躍が同時並行で描かれる。驚くのはそれら全ての話が矛盾も破綻もなく組み立てられていることだ。おびただしい数の登場人物(動物も含む)が出てくるが、一人として黙って消えるものはいない。一旦消えても「この下に物語なし」という作者の断りがない限りは必ずどこかで再登場する。すっかり忘れていた人物(動物)がかなり間を置いて登場したり、行方不明になった人物が意外なところで突然出て来て活躍したりして、驚かされることもある。例えば第五十二回で、犬田小文吾に殺された盗人の妻として登場する船虫は、小文吾に復讐しようとして失敗した後、第六十一回から第六十七回にかけて、犬村大角の父に化けた山猫の妻となって大角を苦しめるが、山猫が退治された際に逃亡。第七十五回では眼病を患った小文吾を殺そうとして失敗し捕らえられたものの、事情を知らない犬川荘助を騙して助けてもらう。再び行方をくらまして悪事を働いていたが、第九十回に至って小文吾・大角ら六犬士に見つかり殺される。このように何度も顔を出しては複数の犬士と関わってくる人物はかなりの数おり、八犬士の物語とこれらの人物の話が複雑に絡み合って豊かな物語を形成している。
またキャラクターも魅力的だ。勧善懲悪と言われるこの作品では、登場人物が基本的に善玉と悪玉に分かれるが、一人一人のキャラクターは多彩である。
八犬士は、全員ほぼ非の打ち所のない聖人君子だがそれぞれに個性があるし、ほかにも単なる善良な下男もいれば八犬士級に優れた勇士もおり、鉄砲や長刀を振り回す男勝りのおばあさんまで、色々な「善玉」が登場する。悪役も、乱暴で欲深い盗賊から権力を振りかざす家老、口先と色香で人を丸め込む悪女、化け狸まで実に多種多様だ。あり得ないほど誇張された悪役も多いが、こんな人実際いるよね、と思える人物もしばしば顔を出す。
善と悪の二項対立という面もあるものの、登場人物とストーリーには単純な勧善懲悪では片づけられない厚みがあり、何より八犬士が困難に負けず信念を貫き、悪役に打ち勝っていく姿はかっこいい。
江戸時代の作品であるために、作者や登場人物の考え方は現代の価値観とは相容れないものもある。例えば女性の立場は低く、八犬士も時々女性差別的な発言をしたりする。読んでいて納得いかないと思ったら突っ込みを入れるもよし、今とは違うんだなと軽く流すもよし。それぞれの読み方で楽しめるところを楽しもう。

原文を味わおう

八犬伝の魅力は、原文を読まなければ分からないところも多い。古文の雰囲気を味わってもらうため、長い原文の中から一部を紹介する。犬江親兵衛の父で、犬塚信乃にそっくりな男・山林房八の最期の場面だ。
足利成氏に間者の疑いをかけられた信乃は、芳流閣の上で犬飼現八と戦い、屋根から落ちて川に流される。川下で宿屋の主人に助けられた二人は、宿の息子・犬田小文吾も含めて同じ玉と痣を持つことが分かり、義兄弟の契りを交わすが、足利家の家来が信乃を捕らえようと追って来る。更にそのことを知った小文吾の妹婿・山林房八が信乃を差し出せと小文吾に迫り、信乃を守ろうとした小文吾と斬り合いになる。小文吾が房八に斬りつけ、とどめを刺そうとしたとき、房八は信乃と瓜二つの自分の首を信乃の身代わりに差し出せと言い出す。信乃を出せと迫ったのは、わざと斬られて小文吾の窮地を救うためだった。房八の本心を知った小文吾は、心を痛めながらも感謝し、その日宿に泊まっていた丶大法師や信乃、房八の母が見守る中、自ら房八を介錯する。

……信乃も有繫に哀戚の、胸を痛めてうちまもれば丶大法師は房八が、ほとり近く対い立て、経誦被つゝ偈を示し、しづかに授る念仏の、数は十声と八声の鶏の音、雌は鳴ねども母は哭く、まだほのくらき心の暗を、照らすともなく振揚る、刃の晃も東天紅、鶏塒ながらの羽搏きと、共に閃く大刀音は、無常迅速、夢かとばかり、覚なば死天の山林惜や杪の独花の、際清き最期なり。
(『南総里見八犬伝(三)』(小池藤五郎訂、岩波文庫、199 0年)より引用)

まず、この文章を声に出して読んでみてほしい。現代文学にはまず見られない、七五調のリズムが感じられるだろう。このリズムにのって読むと、格調のある古語の文体と相まって、意味を深く考えなくても何となく雰囲気がつかめてくる。
内容を詳しく見ると、訳すのは難しいが、胸を痛めつつ見守る信乃と母親、読経する丶大などの人々の様子やその心情を背景に、小文吾が刀を振り上げて房八の首を落とす一連の流れが、夜明けに向かう外の情景、鶏が「東天紅(コケコッコー)」と鳴いて羽ばたく音などを交えて描かれている。どれが情景描写で、どれが心情表現でどれが比喩なのか、はっきり分けられず溶け合っているこの曖昧さは、近現代の小説ではあまり見られない表現ではないだろうか。しかも、今なら「一文が長すぎる」と文句を言われそうな切れ目のないひとつながりの文で、流れるように表現されている。明快な現代語の文章では表わしきれない古文独特の雰囲気をじっくりと味わってみてほしい。
八犬伝については、現代語訳のほか、原作を元にした小説や映画、漫画やアニメなどが数多く出ているが、原作が長すぎるためか古いせいか、原作のあらすじや設定をそのまま残しているものはあまりない。その壮大な世界を味わうためには、是非原文に挑戦してみてほしい。全部を読もうとすると時間はかかるが、文章自体はそれほど難しくないので少しずつでも読んでみよう。原作を知っておけば、それを元にした現代作品もより一層楽しめるだろう。