〈書評〉二至村菁著 『米軍医が見た 占領下京都の600日』(2016.01.16)

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混沌でありながら最高の赴任地であった京都


舞台は、第二次世界大戦終戦後アメリカ占領下の京都。自国アメリカで病院でのインターン研修を終えたジョン・D・グリスマンは義務兵役によって、軍医としてどこかに派遣されることとなった。極東のひとびとの無知と貧困について聞いたことがあった彼は、軍医として、少しでも現地の人々を救いたいとの思いから極東への派遣を志願した。そして日本に降り立ち、北方に行きたかった軍医にとっては不本意ながら、京都に派遣されたのだった。しかし、当時の日本の「無知と貧困」は彼の想像を絶するものであり、後に彼は軍医として多くの努力と苦難を強いられることとなる。その一方で、京都が「西日本のなかで最高に素晴らしい赴任地」だと言われる所以についても大いに納得することとなる。

彼の両親は敬虔なキリスト教徒で、父は医者、母はソーシャルワーカーであった。そんな両親の教育もあってか、グリスマン軍医は「陽気で、すなおで、おおらか」な人柄だったという。本書では、そんな彼が、占領下の京都を、時には医者としての視点から、時には外国から来た旅行者としての視点から描写している。本文では、グリスマン軍医の体験に、著者である二至村菁氏自身の体験と、彼女の取材によって得た事実がリンクしており、グリスマン軍医が京都で出会った多くの人々の当時の生き方が細やかに書かれている。彼が両親に送った手紙や、自ら撮影した写真も多く載せられている。そのため、より容易かつ鮮明に当時の様子を頭に思い浮かべることができ、当時の軍医の生活もより詳しくわかるようになっている。

この本が他の戦争ノンフィクション本と違うところは、第二次世界大戦後の占領下の日本、そしてアメリカによる日本支配の、良い点と悪い点の両方をとらえているところにある。たとえノンフィクションであっても、こと戦争についてのノンフィクション本は、著者が、どの視点にたって戦争を見るかによって、つい事実の伝え方に偏りが出てしまいがちである。そして、ノンフィクションであるがゆえに、読み手自身も著者の意図が入った主観的事実を、あたかも客観的事実かのようにとらえてしまうことがある。しかし、この本には著者の隠された意図によって与えられる認識のゆがみが、あまりないように思った。それはおそらく、派遣直前まで学生だったために実際に戦地で日本人と殺しあったことのない若い米軍医の体験と、終戦時にまだ幼かった著者の取材で得た事実によってこの本が書かれているからだ。つまり、どちらの書き手も戦争の相手国に強烈で行き過ぎた恨みを持っていなかったということがこの本の語り口の客観性に繋がっているのだろう。

女性についての描写が多いのも特徴だ。戦後まもなく、まだ女性の地位が低かった時代に、有名なわけでもない一般の女性が多く描写されているのは貴重だと思う。そしてそれらの多くは、満州や北方から命からがら日本に引き揚げてくる間での筆舌に尽くしがたい飢えや性暴力や差別の苦しみに耐え抜き、帰国後もその苦しみからなかなか逃れられなかったり、あるいは、本国で貧困のあまり、売春をしないと生きていくことが出来なかった女性たちの話である。戦争を通して、実際に戦地に出兵することはなくても多くの女性が違う形で苦しみを背負うこととなった現実が痛いほどよくわかる。

占領下の京都は、米軍医にとって「無知と貧困」に満ちた混沌とした世界でありながら、「すばらしい」赴任地でもあった。この一見矛盾しているようにも思えるが、表裏一体ともいえる当時の状況をぜひこの本で体感してみてほしい。(寺)

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