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熊野職員宿舎跡に幕末の遺構 地盤改良の希少な痕跡

2015.12.16

左京区東竹屋町にあった熊野職員宿舎の建て替え工事に伴う発掘調査で、幕末頃に埋められたと考えられる遺構が複数発掘された。当時、この地は阿波徳島藩邸の敷地の一部であった可能性が高いため、これらの遺構は本邸の造営に伴うものと考えられる。

調査地東北部で出土した瓦積み遺構は、幅6・5㍍、奥行1㍍ほど、高さ0・5㍍の規模で、北向きに面をそろえて見栄えよく並べられている。京都大学文化財総合研究センターの富井眞氏によれば、この遺構の東西に堀の跡を見ることができるので、藩邸の区画を表していると考えられる。また、この遺構は幕末当時も地中に埋もれていたと考えられるため、上部に門を支持するための地盤改良を目的とするものと解釈できるという。また、この遺構の北面のすぐ西端近くにの壺が埋まっているほか、この遺構の北方の近辺で同様の形状の壺が埋まっており、地鎮の祭祀の一端を垣間見ることができるという。

こうした、地中にありながらも端正に整えられた瓦積み遺構は幕末期の遺構としてはほとんど例がないという。同センターの内記理氏は、「この近辺は平安時代には白河上皇が強かったので、それに関連した遺構が発掘されるかと期待していた。そうした遺構は見つからないが、幕末の希少な遺構を発掘できてよかった」と話している。今後は、これらの遺構類のほか、わずかながら見つかっている室町時代にあったと思われる遺構をさらに調査したいとしている。なお、発掘調査地には京都大学熊野職員宿舎が来年3月以降に建設される予定。