教養と国策のはざまで 大学文書館企画展(2015.12.01)

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11月10日から来年1月17日まで時計台記念館歴史展示室において企画展「京都帝国大学文学部の軌跡」が、京都大学大学文書館により開催されている。今回の企画展は、戦前の文学部の歴史を紹介するものだ。1906年、京都帝国大学の4つ目の分科大学として哲・史・文の3学科編成で文科大学が設立され、これが後に京都大学文学部となった。文科大学は広い教養を身につけた上で独自の研究に進むことを理想に掲げたもので、特に東洋学の研究を重視する姿勢が見られたという。1919年、京都帝国大学文科大学は京都帝国大学文学部となった。西田幾多郎をはじめとする個性ゆたかな研究者たちを集め、多種多様な研究成果を世に出していくことになる。また、帝大出身者以外の人材を教授に登用したほか、海外ともさかんに交流した。展示場には、羅振玉(らしんぎょく)来学記念写真や上田敏肖像写真などが展示されている。

1931年の満州事変以降、軍部の独裁に歯止めが利かなくなり、全体主義が日本社会を覆うようになる。全国の帝国大学は、大学の予算を認可してもらうために国策に協力することが必要であった。京都帝国大学文学部も1934年より陸軍の庇護下で満蒙の研究に取り組み、満和辞典を完成させるなどの成果をあげた。

1937年には、学生の左傾化に対して「日本精神史講座」が開かれ、1941年にはイタリア語の講座が初めて開かれるなど、京大も戦争の影響を受けていく。また日本政府は、戦闘人員確保のため学生の卒業を早めるよう大学に通告。当時の京都帝国大学教授たちは「大学の本質が軽んじられている」とひそかに抵抗していたが、1943年からは、文科系学部を中心として徴集延期が停止されて、文学部生も学徒出陣に赴くことになる。戦火に巻き込まれるのを防ぐため、府の斡旋で文学部の所蔵書籍約10万冊を疎開するなど、学問の保護にも取り組んだ。

1945年に日本の降伏で戦争が終結すると、占領下の教育改革によって京都帝国大学文学部は京都大学文学部となった。1946年からは女子学生の受け入れが始まり、1948年から1951年にかけて臨時卒業が行われて京都大学文学部は今日の姿になった。現在も自由の学風を掲げ、数多くのユニークな研究者を輩出する京都大学。文書館助教授の冨永望氏は「人文科学は思想を深め、批判や善悪の判断に重要なことを教えてくれる。お金につながる、実用性の高い学問が重視され人文科学がなおざりにされている今、『学問が役に立つ』とはどういうことかを改めて考える機会にしてほしい」と語った。(杏)

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