文化

学内相談体系の現状と課題を診る 暴行被害の相談放置

2007.10.16

京都大学医学部付属病院に勤務していた元看護士の女性(31歳)が昨秋、「医師から性的暴行を受けた」と相談窓口に訴えていたにもかかわらず、病院側は迅速な対応を怠り、京都労働局から行政指導を受けるまで相談を事実上放置していた。この「事件」を一つの契機として捉えた時、学内の相談体系は一体どのようになっているのか、その問題点は何か、そして再発防止には一体何が必要なのかを検証する必要性が出て来る。ハラスメント専門委員会・委員長の富永茂樹氏(人文科学研究所教授)に話を聞いた。

◇現行制度確立までの経緯

京大にはかつて、「同和・人権問題委員会」と「人権問題対策委員会」という2つの組織があった。前者は主として部落差別に関する研修・啓発活動を担い、差別落書きへの対応も行っていた。後者の担当は種々のハラスメント問題。各部局の窓口相談員を対象とした研修の他、パンフレット・ポスターの制作による啓発活動も行っていた。両者は全くの別組織として運営されていたが、委員を兼任する教員も少なくなく、「類似した組織が2つある」というのが実情だった。与えられた権限も啓発や研修の域に留まり、どちらの組織も事後的な対応に終始せざるを得なかった。「組織を改組してはどうか」--委員たちの間で声が上がったのは2002年のことだった。

それ以降会議を重ねた結果、2004年の3月には報告書が出され、▼両者を統合して新たに「京都大学人権委員会」とする▼同委員会の下に2つの専門委員会を設けるという提案がなされた。提案は了承され、2005年の4月から同委員会が正式に発足。その下に「同和・人権啓発委員会」と「ハラスメント専門委員会」の2つが設置された。ここに一つの組織体系が完成し、2つの委員会の関係が明確になった他、その権限も強化されることとなった。

◇相談窓口―2つある現状

現行のハラスメント専門委員会と、その前身にあたる人権問題対策委員会。専門委になって大きく変わったことの1つに、新たに全学の相談窓口が設けられたことが挙げられる。以前は研究科ごとに設置されていた部局相談窓口しかなく、「相手が身内だと相談しにくい」・「誰が相談したかが皆に知れ渡ってしまうかもしれない」など様々な問題を抱えていた。中には「嫌なことのあった建物にも入りたくない」と言う人さえ居り、相談者が安心して話せる場を設けるべく、カウンセリングセンター内に全学相談窓口が開設された。

ここで一つの疑問が湧く。現状、相談窓口は全学と部局に2つあるが、問題の多い部局の相談窓口を廃止し、全学に一本化すれば良いのではないか。更に言えば、外部の人間も入り独立した窓口に一本化すればより良いのではないか―「全学、もっと言えば外部で一本化した方が合理的は合理的なんですが、そう事は単純ではありません」。ハラスメント専門委員会・委員長の富永茂樹氏は事情をこう説明する。

「相談窓口を全学に一本化すると、全学の組織が教職員に懲戒処分を下すことになります。すると、部局の最高意思決定機関である教授会に全学の組織が干渉することになり、部局自治の伝統、ひいては京大の精神にも反することになってしまいます」。かと言って、部局の相談窓口だけでも問題はある。結果、現在のように2つの窓口が併存することになったという訳だ。「部局自治は尊重すべきものですが、こういう時はどうしてもネックになってしまいますね」。

◇ガイドライン―二者併存の問題点

部局と全学にそれぞれ窓口を作ることで全ての問題が解決された訳ではない。窓口が2つあることによって相談体系が複雑になっていることは事実であり、両者の違いや仕組みが今一つ理解されていない現状を生み出している。その最たる例が「確約書」を巡る規定だ。

ハラスメント専門委員会が調査・調停委員会を設置して事案の解決に乗り出す場合、当該部局の長の確約書が必要になる。全学の組織である専門委が調査の結果、懲戒処分が妥当であると判断した場合でもその決定に従う。そのことをあらかじめ部局の長に了承しておいてもらうことで、「部局自治」の伝統を尊重しようという発想だ。しかし、この確約書が「なかなか出してもらえない」(同氏)。「京都大学ハラスメント防止・対策ガイドライン」(以下、ガイドライン)が部局に十分理解されていないため、同氏が直接説明に出向かざるを得ないケースも少なくないという。

ただ、その背景には、ガイドラインがあまり読まれていないということはもちろん、そもそもガイドライン自体が分かりにくいという問題もある。部局の人権委員会が設置する調査・調停委員会と専門委が設置するそれとの関係が不明確であるため、両者が同じものだと混同されているのだ。これが、確約書が必要であるとの認識が広まらない一因ともなっている。

そのため専門委では現在、ガイドラインの改定作業が進められている。例えば部局の対応に不満があって全学に相談をする場合など、様々な事例を挙げて両者の関係を説明。より分かり易い記述へと変更を進めている。早ければ、来年の新学期に合わせて発表になる見通しだ。

◇京大病院の事例 窓口職員、わずか3名

「この2年間、どこの部局にも私が説明することで確約書を出してもらっていました。頂けなかったのは病院だけですね」。ガイドラインが読まれていない、そしてそもそも分かりにくい現状、「対応の仕方がまずかった」と専門委に相談に来る部局は多い。その度にガイドラインについて説明し、助言をする同氏は「アドバイスに従ってくれる部局は増えてきています。相談もせずに放置していたのは今回の件が初めてですね。確約書を出さなければそれで終わりと思っていたのでしょう」。

部局長の確約書がなければ、ハラスメント専門委員会が調査・調停委員会を立ち上げられないことは既に述べた。しかし、確約書を出さないということは、「部局で責任を持って調査・調停に全力を尽くす」ことであって、何もしないで済まされる訳では決してない。また、「部局人権委員会は、調査・調停が3ヶ月以内に終了しない場合、その理由と進行状況を両当事者に通知し、ハラスメント専門委員会にも報告」する義務があるとガイドラインは定めている。確約書を出さなければ、それですぐさま専門委と縁が切れるという訳でもないのだ。

今回、京都労働局から行政指導が入るまで、病院側は元看護士の相談を放置していた。その間、専門委が手をこまねいていただけなのかと言うとそうではなく、専門委の上部組織である京都大学人権委員会・委員長の中森喜彦理事(法務・安全管理担当)が病院側に働きかけていた。しかし、現在も専門委には病院側からの報告書が提出されていない現状を見ると、その実効力には疑問符が付く。

確約書も報告書も出さない組織を前に専門委は無力なのではないか。筆者の問いに富永氏はこう答えた。「私達の仕事は、あくまで真剣に相談者に対応することで、摘発とか捜査とかいった警察活動ではありません。そういったものは、大学という場に最もふさわしくない行為ですからね。今回は労働局から指導が入りましたが、ずっと病院から報告が来ないようなら、『その後どうなりましたか』と訊ねることもできた」。

また、同氏はこうも付け加えた。「病院の場合、加害者の処罰どうこう以前の問題でしょうね。看護師だけでも数百人、他の様々な技師なども合わせれば千数百人という規模の職員を抱える巨大組織でありながら、病院の相談窓口に配置された職員の数はたったの3人。これはどう考えても少ないでしょう。看護師の場合、勤務時間が不規則なため、なかなか相談をしにくいという事情も確かにあります。しかし最低限、窓口相談員の数を増やしていく事は必要不可欠なはずです」。

◇今後の展望

今回のような刑事事件の場合、専門委が暴行自体をどうにもできないのは致し方のないことである。警察の調査や司法の判断を仰ぐより他ないからだ。しかし、「暴行の被害を受けた」という相談が出るに至った職場の人権意識についてはできることがある。高い人権意識を持った就労環境へと改善して行く努力だ。「精神的に傷ついた人が居て、何もせずにその人を放置していては、傷は一向に癒えないでしょう。警察が担当するのは事実関係の調査であって、学内の環境云々は全くの管轄外。その意味で、たとえ刑事事件であったとしても、部局の人権委にできること、やるべきことはあるはずです」とは同氏の言葉だ。

ハラスメント専門委員会が設置され、ガイドラインが策定されて以降、相談件数は着実に増えて来ている。「泣き寝入りしないで済む」ということが認知されてきた結果であろう。同氏は今後の展望をこう語った。「2・3年前に比べると、ガイドラインができたことで、前からあった事案が次第に表に出て来るようになってきています。氷山の一角に過ぎないかも知れないですが、それでも前進は前進です。当面の目標はガイドラインの認知度を上げること。パンフレットは作りっぱなしでなく、流通にまで責任を持つ必要があるでしょう」。

《本紙に写真・図掲載》