文化

受験生への応援メッセージ1 しまっていこー!!

2008.02.16

浪人時代のことを思い出すのは苦痛だ。といっても別に精神的に苦しい生活を強いられていたわけではない、むしろ今より間違いなく楽な生活だったとさえいえる。私がいやなのは、人との交わりのない異常な状態に慣れてしまって妙に落ち着き払っていた当時の自分を思い出すことだ。大学に入ってからいろんなことがありすぎて、昨年の受験時のことなんてほとんど覚えていないけど、妙に落ち着いていたことだけはおぼえている。浪人がきまった18歳の3月から、翌年の入試がおわった19歳の2月まで、勉強しなかった日は、兄が買ってきた小説を1日中読みふけってしまった8月31日ぐらいのもので、現役時の合格発表の次の日も、センター試験の翌日も、ひたすら黙々と勉強していた。夏あたりからはとにかく、大失敗しても合格圏内にいることのできる成績を、と思っていた。

高校時代同じ部活だった友達はなぜか全員図ったように他の予備校へ行き、仙台という土地柄、京大をうけようという人もほぼいなく、さらに授業のほとんどが衛星中継だったため、教師との触れあいもなく、いわゆるチューターというやつもなかったので、まさに孤独な戦いであった。おそらく浪人の一年間、家族以外の人間と言葉を交わした日など数えるほどであろう。

こう書くとよく精神を病まなかったものだと思う人もあろうが、もともと学校の勉強をするのはそれほど嫌いではなかったし(といいつつ高2まではまったくといっていいほど勉強してなかったけど)、高校野球で培った根気強さもあって、精神的にやられてしまうことはなかった。10月ごろちょっと成績がおちたときなども、あぁ本当にスランプってあるんだな、とやたら自分を客観的にみて、全然焦らなかったぐらいである。むしろ今の生活の方がきついといえばきつい。当時はともかく一人で黙々と勉強していればよかった。だれも文句もいわず、だれから批判をうけることもなかった。しかし、大学に入ってから様々な面で他者との交流をもつようになると、自分のだめさを思い知らされたり、種々の批判にさらされたり、なにを悩んでいるのかもよく分からないくらいに悩んだりするようになった。そんな1年を経て、私は随分と図太くなったように思う。

はっきりいう、浪人時代成長したことなんて、1つもない。思考の時間が増えたのはよかったかもしれないけど、ただただ一人で考えるだけで、独善的になっていたり思い上がっていたりした自分に、大学生になってから気づいただけだ。今の生活の方がずっと自分を成長させてくれている、と切に思う。受験をおえた君をむかえてくれる人たちは口をそろえて、「お疲れ様」「ゆっくり休みな」などといってくるかもしれないが、頑張らねばならない時はこれからなのである、今まで休みすぎていただけなのだ。

受験生時代が価値あるものであったかどうかは大学入学後の君にかかっていると思う。

試験には受かる人がいれば落ちる人もいる、当たり前。これを読んでいる受験生の9割以上は私のことなどまったく知らない方々ですね。そんな人達に、みんな入試頑張れ、というのもどこか白々しいので、人生ガンガンいこうぜ、というメッセージを送ってみた次第です。 (義)