依田高典 経済学研究科助教授「大学生の頃合」(2001.03.16)

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時あたかも新世紀。ドッグ・イヤーだとかIT革命だとか、スピード至上主義の何とも世知辛い世の中である。皆さんは如何お過ごしであろうか。私は今春から母校で教壇に立つ機会に恵まれているが、京大生の変わらない気風に安心する一方で、折しも大学再編のさなか京都大学が時勢の尻尾に巻かれつつある現状に危惧を抱いている。

京都大学の門戸を叩く学生の志望理由の圧倒的な第一位は自由な校風だという。自由ほど眉唾物はない。世に自由を声高に叫ぶ人物をよくよく観察したまえ。見え隠れするのは、既得権益の守旧であったり、放縦の言い訳だったりするものだ。世間では京大の自由放任は、1%の天才と九十九%の落伍者を生むと言われているらしいが、あながち外れてはいない。自由の代償が才能の墓場とすれば、壮絶な無駄とも言えるし、自由の悪用と言えなくもない。教室の先頭に陣取って出席し、優秀な成績を取る学生を優良学生というならば、私自身も全くの不良学生であった。朝起きても足は教室には向かわず、一乗寺の名画座か、BOX長屋へ吸い寄せられた。けれども、自分の学生時代を振り返ると、自由気ままな無駄も貴重な人生の財産となっている事に気づく。

私が京都大学経済学部に入学したのは一九八五年。一九八五年は戦後日本の踊り場、成熟と退廃の端境のような頃合だった。バブル経済の発端となったプラザ合意が結ばれたのも、日本列島を歓喜の渦に巻き込んだ阪神タイガースの日本一も、この年である。京の都の春爛漫、入学式を翌日に控えた日のことだった。経済学部の同好会が主催する新入生歓迎会が催された。招待された山田浩之経済学部長、佐和隆光経済研究所所長、浅田彰人文研究所助手というそうそうたるメンバーを尻目に、「私も皆さんと同じ新入りだから」と一応謙遜しながら、口を開くや閉じるところを知らず、ちゃきちゃきの江戸弁で、経済学がいかに魅力ある実践の学問であり、経済学者は熱き心と冷たい頭脳もて現実に答えなければならないことを滔々とまくしたてる御仁がいた。圧倒された。大学には奇特な人がいる者だと感心した。

さて、その当時の京大生の一般的な考え方でもあると思うのだが、大学にまで入って教室でこれ見よがしにガリ勉するのは気恥ずかしいことだ。だから、早い段階でドロップアウト、私の姿は大学の教室から消えた。分かりもしないのに、春は哲学の道で西田哲学に耽り、秋は修学院で量子力学をかじった。私は経済学部生である。いつ経済学の勉強をしたのだろう。判然としない。単にしなかっただけかもしれない。きっとそうだ。だからこそ、年度末、何やら経済学のレポートが課されたという報せを他学部の友人から聞かされ狼狽えたのだろう。友人はこうも言った。お前の経済学部生なのだから、何とかしてくれと。しかし、経済学は一番疎遠な科目であったので、何ともならなかった。私のプライドは酷く傷ついた。

経済学部生でありながら経済学のレポートに歯が立たないという現実に愕然とした私は、こっそりと大学前の書店の経済学コーナーを物色した。周辺に知人がいないことを確認して、スミス・ミル・マルクス…、私ですら名前を知っている経済学者の評伝を何冊か手に取り、最初の数項だけ見比べてみた。中身の違いは判らない。しかし、一冊だけ異なる本があった。岩波の『ケインズ』である。表紙をめくると不敵な面構えで微笑むケインズその人の肖像がある。辟易する思いで裏を返すと,有名なロシア・バレリーナでもあった妻リディアの肖像も掲載されていた。その可憐さはサイレント時代の女優さながら。映画青年はその理由だけで『ケインズ』を購入した。そして読んだ。ケインズの生涯に主題を託しながら、経済学がいかに社会改革の情熱あふれる実践の学問であるかが滔々と論じられていた。感動した。著者を見ると千葉大学教授とある。世の中には見上げた人がいる者だと感心した。

この奇特かつ見上げた御仁が同一人物で、一九八五年から京大教授に転じていることを知ったのは専門課程へ進学し、ゼミナールを選択するときであった。かくして、私は伊東光晴ゼミの門を叩いたのである。一つの誓いを胸に秘めて。この御仁が○というならば,○と言わずに×と言おう。この御仁に論争を挑み言い負かすことが出来れば、言論界の国士無双だろうと。私にとってゼミナールは絶好の腕磨きの場となった。御仁は挑戦的な若者を煩がりながらも、ひどく可愛がった。学生の自主性を尊重しながらも,職業的研究者になるとひどく喜んだ。今こうして母校の教壇に立つと,若き日の思い出が彷彿としてよみがえる。心から思う。京大生諸君、自由を敬え。同時に蔑みもしろ。自由の帰結として,石となるも玉となるも君次第だ。長きに巻かれることもなく、好きに生き、好きに死ね。己が信じるままに。

(いだたかのり・経済学研究科助教授)

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