〈書評〉全学生必読の書! 『学生に賃金を』(2015.04.16)

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はたらきたくない。はたらかずに生きていけるなら、その方がいいに決まってる。だいたい、週5日、一日8時間もはたらいて、生きるためにはたらいているのか、はたらくために生きているのか、わからなくなりそうだ。そんなはたらき方が、人間の生の論理から帰結するものであるはずがない。

自分の生き方は自分で決めたい。そのために考える時間がほしい。はたらくということは、考える時間がそれだけ奪われるのである。どの職につくかということだけが生き方ではないはずだ。生きるためには金が必要で、金を稼ぐには働かなければならず、職を得るため就活にいそしみ、そもそも卒業しなければならないので単位修得につとめる。そういう意味では学生もすでに時間を奪われている。自分の生き方を考える時間がない。1単位を45時間と交換しているうちに、気づけば就活だ。生き方を考える前に職探しがはじまる。とりあえず職につかないと生活できない。ほかに生き方はないのか。

学生によってはさらに未来の時間も奪われている。「奨学金」、つまり借金だ。借金は人を賃労働に縛り付ける。自分の生きたいように生きる道がますます奪われる。はたらくために大学へ行き、大学へ行くために金を借り、借りた金を返すためにはたらく。そこに人生の主体としての自己は存在しない。何のために生きているのだろう。わからなくなる。

私は今年から「奨学金」の借入を辞めた。いまのために卒業後の人生を借金返済に費やすよりも、いま時間をけずる方がマシだと思うからだ。のんびり生きたい。しかし借金があるとはたらかざるをえない。だから借金したくない。とはいえすでに数百万円の借金を背負ってしまっている。つらい。私の人生なんだから私の思うように生きたい。できることなら好きなことだけやって生きたい。

こんなことばかり書いていると、人間は社会のなかで生きているのだから自分勝手ではいけない、などと言われそうだ。そんな声に応えておこう。その「社会」とは何だ。そこには誰がいる。「自分」はいるのか。誰が「自分」なのか。実は誰もいないのではないか。「社会」という言葉は甚だやっかいである。「自分」を捨象したものとして「社会」を捉えると、結局そこには誰もいないかもしれない。社会を盾にした言説は往々にして個人の生を抑圧する。社会勝手な都合でひとの人生を規定しないでほしい。

ひとにはそれぞれ好きなこと、やりたいことがきっとある。それはごろごろ寝ころんでいることかもしれない。とにかくそのための時間がほしい。学生であれば、単位のために割く時間が惜しくなることがある。つまらない授業は出なくていいとか授業の質を上げてほしいとか、そういう話ではない。単位制度が誰のためにもなっていないということだ。せっかく興味深く聴いている授業でも、単位のことを考えるとおっくうになる。楽に単位をとれるならそれに越したことはない。学生がいわゆる楽勝単位ばかり履修することを非難する声が時々あるが、それは筋違いだ。変わるべきは学生でなく単位制度である。単位制度はたぶん誰も幸せにしない。それなのに現実には、学生を単位制度に縛り付ける方向へと制度改変が進んでいる(単位の実質化・成績評価の厳格化)。たいへん悲しい。単位から解放されたい。

自分の生き方は自分で決めたい。はたらかないでのんびり生きたい。好きなことばかりやって生きたい。単位に縛られるのは嫌だ。借金から解放されたい。

ここまで書きたいことを書きなぐってしまったが、いちおう書評なので少しくらい本の紹介をしておこう。表紙を見てほしい。著者の名前のローマ字表記が「¥asushi」である。「Yasushi」ではない。「カネ」だ。カネがほしい。学生に賃金を。そして誰もが学生である。自分を取り巻く世界が当たり前のものだと思わないために、ぜひ本書を読んでみてほしい。(の)

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