「こくばん」に見る編集員 〈第1回〉1946年から70年まで(2015.04.01)

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京大新聞の1面下部を占める「こくばん」は、編集員が思い思いに何かを書き付ける場だ。その始まりは1946年4月1日号までさかのぼる。第一回目の今回は、46年から70年までの「こくばん」をひもときながら、当時の京大生の姿に迫っていく。(奥)

■ 編集員の生活

「こくばん」第一回のテーマは「生活苦・大学の機能停止」だった。物価の上昇によって生活が苦しい、学問をしようにも大学が開いていない、ということであった。これ以外にも、食べるものがないといった食糧難を扱った「こくばん」は多く、当時の苦労が伺える。生活苦を嘆く「こくばん」は今回調べた46年から70年までの間一貫してみられるものの、50年代後半からは少なくなり、食料難から学費の値上げなどへと原因が変化している。また、下宿費も大変な負担だったようで、48年から61年まで一回生が教養課程を受けていた宇治分校は、周辺に下宿が少なく、学生が足下を見られて高い下宿料を払うのを余儀なくさせられていたらしい。

■ 編集員と就職活動

就活をテーマにしたものも多い。中でも重要な関心事とされていたのが法・経済学部生の就活事情であり、京大新聞も主に両者の就活情勢を中心にニュースとして扱っている。57年10月21日号の「こくばん」には「(就職は)医学部はさしあたり関係がない。工学部はじっとしていても売れる。理・農も技術を持つ強み。……落ち着いているのが文・教。……とすると、就職で大騒ぎをするのは、法学部であり、経済学部である」とある。興味深いことに当時はそもそも法・経済学部生しか不安に思っていなかったらしい。履歴書を何枚も書かなければならず、また毛筆で書くのが原則であることへの不満も散見される。これは現在の「履歴書は原則手書き」への不満に通じるものがある。就活になると途端に「良い子」になる京大生をからかう内容のものもあり、就活に臨む学生の姿は昔からそう変わらないようである。

■ 編集員と食堂

京都大学新聞社のボックスは当時から西部構内にあり、そこにある生協の食堂が度々登場する。貼ってあるポスターが変色していて不衛生であるとか、値上げする割に美味しくないなど話題は様々であるが、ライスの値段が13円から15円に上がったことや、昼食を求める学生の長蛇の列は複数回にわたって取り上げられている。ちなみに、食堂でカロリーなどが計算できるようになったのは58年の10月からだが、そのときの基準値を満たすように食堂でご飯を食べようとすると120円程度かかったらしい。当時の消費者物価指数は現在の6分の1程度であることを考えると、少し割高という印象がある。

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「こくばん」はニュースと違って、自分の言葉であれこれ自由に語る場であるから、当時の編集員や学生がどのように生活していたかを垣間見ることができる。それは当時の世相を反映したものであったり、自己の内面から出たものなど様々だ。次回以降はさらにテーマを広げ、色々な観点から京大生の姿を追っていく。

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