年間ルネベスト 二〇一四 京大生の読書傾向を徹底分析(2015.03.16)

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京大西部構内にショップルネがある。生協割引もあって、京大生はよく利用するに違いない。京大生の読書傾向を探るため、2014年のルネ・ブックセンターでの年間売上データをもとに、100位までのランキングを作成した(=紙面に掲載)。そこから何が見えてくるだろうか。また、ランキングに入った本から編集員が選んだ3冊の書評も掲載した。是非読んでもらいたい。(編集部)

2014年総評

京大関連書籍依然強し

まず、京大関連著作からみてみよう。第1位に『京都大学by AERA』、第3位に前総長松本紘氏が執筆の『京都から大学を変える』がランクインして上位を占めた。後者著作は、総長の任期満了に伴い、改めてあるいは初めて関心を持つ人が多くいたのかもしれない。また、京大教員著作も多く売れた。なかでも瀧本氏の人気は高く、第4位の『僕は君たちに武器を配りたい』を筆頭に合計3冊がランクイン。昨年9月の総長就任を受けて注目を集めたのだろう。山極氏著作『「サル化」する人間社会』が、第15位に入った。他に佐伯氏、上杉氏がランクイン。上杉氏著作の人気は、昨年4月からインターネット上で配信していたedx講義「生命の化学」の試みも一役買っていそうだ。また、京大出身作家については、森見氏著作が第7位『夜は短し歩けよ乙女』を初め5冊ランクインしており、独走状態。他には万城目氏が第69位に入るのみであった。

世間のベストセラーもよく売れた。昨年第2位の『永遠の0』が今年も強く第9位に入った。戦後70年を迎えて当時に思いを馳せる人が多いのだろうか。映画公開終了後も人気は衰えていないようだ。話題の著作『21世紀の資本』は12月に邦訳が出版されたばかりにも関わらず、第25位まで上昇。ピケティ熱に多くの人が魅了された。小説についてみると、他に上位にランクインした三上氏のビブリアシリーズ、岡崎氏のタレーランシリーズ、村上春樹氏や東野圭吾氏などは他書店の定番とそう大差ないだろう。

古典に目を転じれば、6位の『嫌われる勇気』(アドラー心理学を応用)や第18位『ハンナ・アーレント』、第27位『西田幾多郎』など、再読本、紹介本が上位にランクイン。昨年はランキング圏外の『方法序説』は第16位に躍進した。また、丸山真男生誕100周年を迎えたことも手伝ったか、63位に『政治の世界』、77位に『日本の思想』がランクインした。

京大関連著作の間で人気の興隆はあるものの、全体としては強いことには変わりない。他は大方他書店で人気があるものがルネでもよく売れているようだ。ルネでの傾向はざっとこのように総括できるだろう。ただし、一つ気になる点がある。第2位の『大学生が狙われる50の危険』や第34位の『大学4年間で絶対やっておくべきこと』といった大学生を対象にしたHow to本が上位に入っていることだ。前者は、同シリーズ前作の『大学生がダマされる50の危険』が2013年ランキングでも5位に入っており、引き続き上位に入賞。世の中が危険、不安定になっていることを反映しているのか、大学生が慎重になっているのかわからないが、「身近なことは実際に経験して学ぶもの」と考える記者にとって、こうした本が上位に入るのにはいささか違和感を持たざるを得ない。(千)

書評

エゴあふれる世界の兄妹譚

■23位 『フラニーとズーイ』 J・D・サリンジャー著・村上春樹訳

J・D・サリンジャーと村上春樹と言えば、2003年に発表された『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳本があまりにも有名だ。その春樹が満を持して再びサリンジャーの訳に踏み切ったということで話題にのぼったのが本書である。

本書には、神童と持てはやされた過去を持つグラス家の7人兄妹を描いたシリーズのうち末の二人がそれぞれ主人公となる連作二編が収められている。ざっくりとあらすじを説明すると、大学生活に気が滅入って不安定な精神状態に陥ってしまった女優志望の妹・フラニーを、兄であり俳優のズーイがたしなめる、たったそれだけ。

本作がサリンジャーの代表作の一つであり、また青春小説として超名作であることはここで語るに及ばないと思う。とにかく「溢れまくっているエゴにうんざり」してしまうフラニーに共感を覚える学生は少なくないのではないか。「どこかに到達したい、何か立派なことを成し遂げたい、興味深い人間になりたい、そんなことを考えている人々」に辟易し、そんな人々こそかえって画一的だと軽蔑するにもかかわらず、「自分を全くの無名にしてしまえる勇気を持ち合わせていない」ことに苦しむフラニー。インテリぶって自筆の小論文を読ませたがる彼氏も、似たような見かけで似たように喋るその友人達も、自己満足的で高慢な教授も、何もかもが気にくわない……そんなことばかり考えている自分こそが誰より人から認められたがっている。独善からの救済を求める彼女は、とあるお祈りに傾倒してゆく。演劇を辞め、デートをぶち壊し、実家に引きこもってしまった妹に、これまたひねくれ者の兄・ズーイが機知と不器用さと優しさをもって語りかけるのである。

ストーリーは至ってシンプルだが、全編通して丁寧に対話が描かれる作品だ。訳者からのメッセージによると、凝りに凝った原文の文体を活かして翻訳するのに苦心したという。特にズーイの語り部分では、春樹特有の持ってまわった言い回しがかえってキャラクターのリアリティを生み出している。例えるならば、村上春樹が吹き替え声優を担当しているかのように独特かつ自然な読み口なのだ。

とはいえ初めてページをめくれば、一見とっつきにくい印象を受けるだろう。その大きな理由は、いかにも「宗教臭い」言葉が並んでいることと、「グラス家用語」とでも言うべきワードが次々飛び出すことだとおもう。しかしこの二つが物語の肝心かなめだ。

まず訳者も語る通り、作中で用いられるありとあらゆる宗教用語はあくまで「歴史的引用」にすぎないと思ってよいだろう。サリンジャーが描こうとするのは、行き詰まった時に超越的な、聖なる力を求めてしまうどうしようもなさであって、これは誰しも抱える究極の切望ではなかろうか。

そしてなるほど、家族の間でだけ通じる言葉が遠慮なく飛び交うさまは部外者である読者にはかなり不親切だ。けれど、裏を返せばそこから彼らが共に過ごす日々の積み重ねが伺える。悩める妹に共感するがゆえに、大切なことを見失っている彼女に焦れったさをぶつけてしまうズーイの語りかけからも言葉にならない温かみが伝わってくる。そうして最も神聖なるものはいつでも最も近くにあるのだ、と説く兄の言葉になんと説得力があることか!ぜひこの優しく爽快な読後感を味わってほしい。(易)

大学という「品評会」

■34位 『大学4年間で絶対やっておくべきこと』 森川友義

本書はその題名から、これからの大学生活に目を輝かせている新入生(1回生)を対象としたものだろう。すでに京大の購買や地元の書店で本書を見つけ、衝動買いをした方が少なからずいるかもしれない。私はもうすぐ大学を卒業しようという者だ。お門違いということを覚悟して、そんな私から本書を評するとすれば、本書は大学を企業が審査員で学生が審査物の品評会をする準備の場、また(異性間の)学生同士の品評会の場と言いたいようだ。

本書31頁では次のような問いが私たちに投げかけられる。「※私たちは、何をするために生きているのですか?」 

著者はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という主張を「何の進展性もないし、建設的でもありません」と退けながら、このような主張をする。「私たちの生存理由。一つは『食糧獲得』、もう一つは『異性獲得』です。」

ホモサピエンスが地球上に生まれた20万年前以来の悠久の歴史を取り上げて、著者はこの二つを人間が「しなければならない」義務として提案する。ヒネクレ者の私は「そんなのは『人間先祖返り』じゃないか」と勘ぐってしまうのだが、疑義を呈してはいけないように見える。

「食糧獲得」についての著者の主張はだいたい以下の通りだ。諸君は親からの「投資」を受けて大学に通えるに至った。だから親と同等か、それ以上にまで出世して、自分の子供にも「投資」をしてあげなければならない。むろん、諸君が食糧(お金)を獲得し、将来幸せになって、一生を満足のうちに終えることも必要なことだ。そのためには他の大学生よりも秀でていると企業が評価する「一芸」を、大学生活の間に身につけ、就活の競争に勝たなければならない。その一芸とは「サークル」や「アルバイト」ではなく、「留学」や「インターンシップ」、「TOEIC」「TOEFL」~点といった類のものである。もちろんアルバイトも「お小遣い稼ぎ」、社会経験のためには必要だ……。

いやはや、何とも大変な大学生活である。「親から投資されたものを次世代にも」というコウショウな使命感を持ちながら、留学し、インターンシップもし、バイトで社会経験を積み、TOEIC・TOEFLも受け、企業の望む人間像へと成長する…。就職活動のために大学生活を浪費してしまいかねない勢いだ。大学生活は企業による品評会のためにあるわけではないのに。

また、そんなに忙しい生活をしていたら、心や体が持たない人が結構いるのではないだろうか。卒業のためにはこれに加えて、大学の単位も揃えなければならない。私の場合、親に学費を払ってもらっていたものの生活費・家賃は基本的にバイトで稼いでいたので、著者の薦める学生生活を同時に送ろうとすれば途端に「燃え尽き症候群」になってしまうだろう。まあ著者は、貧乏くさい私のような学生には興味が無いのだろうが。

「異性獲得」というのも引っかかる物言いである。レズやゲイの人の存在はどこに行ったのだろうか。ホームページを見ただけだが、著者が教授職を務める早稲田大学にも学生が組織するLGBTサークルがある。著者は知らないのだろうか。またAセクシュアルという、他者に恋愛感情や性的感情を抱かない人もいる。こういう人たちを無視して「異性獲得」が人間の義務のように言ってるのではないか。もし私がこんなことを卒業論文に書いていたら、査読教官から「調査が足りない」どころか「差別的だ」とまで言われる行為に違いない。研究者として大丈夫なのか?とはなはだ心配に思う。

またその「異性獲得」の中身にも突っ込みどころが多い。著者は「女子学生の歴史的変遷を知っておく」という項目の中で、戦後、女性が大学に進学可能になり進学率が上昇していることについて、男女平等社会が到来したと言いつつも「男女平等をはき違えないでもらいたい」という。いわく、女性には「女子としての品格を持ってもらいたい」のだとか。具体的には化粧をしたり、お肌対策をしたり、お上品な言葉づかいをしたり。そういうのが「恋愛の場で遺伝子的に男性が女性に求めていること」なのだそうだ。居酒屋のオッサンが同席した女の子に言いそうなことである。さらに著者は持論を展開する。もちろん現代は男女平等社会なので、女性は男性と同様、一芸を身につけて社会に出て、さらに子供を作り、子育てもする、『キャリアも子どもも取る、欲張り21世紀型女子』になるべきだ。「どんなに仕事が好きだろうと、どんなに忙しかろうが、仕事と結婚とは両立する」。著者はこんな精神論を振りかざしながら、少子高齢化と経済問題を一挙両得に解決できる方法として女性がキャリアを持ち、さらに子供を育てれば良いのだと提案する。著者は、子供を持つ家族に対する社会福祉制度の不備や子育て中の親が育児休暇が取りにくい日本の状況を知ったうえで、こういうことを言っているのだろうか。はなはだ疑問である。以上は著者から女性に宛てられたメッセージだが、男性にとっても、身体を清潔にしたり社会的地位を身につけたりすることが、女性に遺伝子的に求められていることらしい。「子育て」がない分、女性に比べて簡単だなあ、と思ってしまう。

とにもかくにも、著者が言うには男女とも大学生活では、パートナーを見つけるために「自分磨き」をしなければいけないようである。男は社会的地位とそれなりの清潔さ、女は女らしさ、そして欲張って子どもと社会的地位を両得しないといけない。そして、相手が遺伝子的に相応しい男性(女性)かどうか、お互いを見極めなければいけないようである。つまりは著者にとって大学は、男性と女性の品評会の場、といったところなのだろう。何とも息苦しい大学である。私の性自認は男性だが、女性に女らしさを求め、結婚できる(子どもが作れる)かどうかのまなざしで彼女たちを常に見続けるような場、もちろん私にも社会的地位や清潔さが求められる場、そんな場所はゴメンだ。

大学は著者の言うような窮屈な品評会の場ではなくて、学生たちにとってもっとのびのびとした、お互いがお互いの「ありのまま」を尊重する、可能性にあふれる場所であってほしい。新入生の皆さん、大学ではそんな場所を作っていってください。それが去りゆく私からの、歓迎の言葉です。(穣)

民主主義の自律化へ

■63位 『政治の世界』 丸山眞男

私たちの日常に対する政治の影響力がますます強くなる一方で、私たちの政治に対する関心はますます離れていく。


右の言葉は、丸山が本書で吐露する現代社会の傾向を私なりの言葉で言い換えたものである。私たちはそれが現代にも十分当てはまるのを自覚できるだろう。まさか60年前に叫ばれた悲痛だと思わないはずだ。これは丸山の洞察力の鋭さ、あるいは日本の変わらぬ現状を示すものかはわからない。しかし、丸山の指摘に一理あるのは確かだろう。

丸山は、彼に特徴的なわかりやすい図式を用いて、政治の世界を権力の再生産という観点からたどっていく。この過程は、支配関係の樹立、権力の正統化、権力の組織化、権力及び社会的価値の配分として示される。ここにおいても現代に通じる当時の問題が指摘される。いくつか挙げてみると、権力の正統化に関しては、「人民は単に政治的指導者を選択するだけで政策に就てはその指導者に白紙委任状を与えるという傾向が強くなって」いる。また、権力の組織化については、マンハイムの「機能的合理性」を引いて、合理性の追求を目的として政策や方針の決定あるいは実施は上層部に委ねられる傾向が強くなると指摘。そのうえで、それに従って、組織構成員は組織の運営に関して無関心になり、組織の一員としての自覚や責任感が失われる、と危惧する。

政治に関心を持とう、民主主義を機能させよう。これが本書を通じての丸山の大きな主張であろう。しかし、ここでは政治の世界と現代の傾向を示すだけで処方箋はほとんど与えない。問題意識の共有が主眼なのであろう。ささやかな力添えと力強い喚起。そこから何を感じ、どう行動するか。それらは私たち読者に委ねられている。(千)

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