文化

新刊紹介『下半身の論理学』(三浦俊彦・著)

2015.01.16

男の本音、知っていますか

著者は言う。「男が女の好みをわかっているほどには、女は男の好みをわかっていない。この男女の認識格差こそが、非婚化・少子化の第一原因だ」。それでは、女の分かっていない男の本音とはいったいなんなのか。著者は言う。男の大多数が決してオープンにしない異性の好みについての本音、それは「恋愛するなら非処女、でも結婚したいのは処女」ということだ……。

と、そんなことを書くと、本書が偏見に満ちた下世話で頓珍漢な本のように思うひともいるかもしれないから、先に言っておこう。本書は間違いなく下世話な本である。本書のテーマは、男は「処女/非処女」のどちらと結婚するのが合理的なのかという論争、著者に言わせれば多くの男女を不快にさせる最強最悪のシモネタなのだから。しかし同時に、分析哲学の論のすすめかたを学べる優れた哲学入門書でもある。スタート地点は居酒屋談義(つまり本書の場合、「男の処女との結婚願望」のような下品なトピック)でこそあれ、それでは語の定義はなにか、事実認識は誤っていないか、それに従うことは合理的なのか、様々な反論に耐えうるのか……というように、本書は一つひとつ仮説をたてながら論理的に検証していく。この分析哲学の手法こそがキモであり、偏見一辺倒の粗悪なシモネタ本とは趣が異なるのである。

「処女/非処女」論争について展開する仮説と検証をいちいち取り上げて、ここで紹介するのは不可能なので、一体どのように論が進んでいくのか軽く触れておこう。まず著者が着目するのは、ネット世界で処女信仰をはばかることなく公言する「処女厨」の存在である。この「処女厨」の言い分、つまり「恋愛するなら非処女、結婚するなら処女」の二重基準が、多数の男の「本音」を反映しているといえるのか(だとすれば、なぜリアル世界では「処女厨」を告白する男が少ないのか)を、著者は検証する(2章)。つぎに、二重基準は男の本音であると仮定したうえで、男が処女厨であるべき理由(至近要因)を提供する理論を探り(3章)、こうした諸理論に内在的な批判(処女厨の世界観そのものの内容に対する批判)・外在的な批判(「処女厨であること」に対する批判)を試みる(4章・5章)。そして最後に処女厨とアンチ処女厨の両者が納得できる社会を提案するという運びになっている(6章)。

さて、著者が処女厨を考察した最後にたどりつく主張は次の通り。「女が処女を簡単に捨てる風潮こそが男にとっては都合がよく〈中略〉女が男に対して対等以上の関係を保とうとしたら「男の性的要求を堂々と受けて立つ」ことによってではなく、「そう簡単にはやらせない」ことだろう(346頁)」。一見して保守的にもみえるが、はたして本書は反動的なのかそうではないのか、その判断は読者各々にお任せしたい。ともかく「処女」に注目して、男と女の恋愛観やセックス観のすれちがいを克明に分析している点で本書は目新しく、キャッチ―なテーマのわりに充分な読み応えのある一冊だ。(羊)