赤松明彦 文学研究科教授 「四十五年目の『わが解体』」(2014.12.01)

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京都大学新聞の編集者から依頼を受けたテーマは「理事の四年間を振り返って」であるが、ここでは、困難の連続だった四年間の日々の中で、しきりに思い起こし読みかえすことになった本のことを書いておきたい。高橋和巳の『わが解体』である。京都大学の学生であれば周知の、と言いたいところだが、いまでは紙の本としてはどの版も絶版で、かろうじてキンドル版で読めるだけである。もっとも古本では手に入れやすい本だ。それにこの本の古本には読み手の思いがこもっていることが多く、書き込みがあったり新聞等の切り抜きが挟まっていたりする。それはこの本が世に出てすぐ二ヶ月後に書き手の高橋が他界したことにもよるだろう。本としては、河出書房新社から一九七一年三月に出版されたが、もとは雑誌の『文芸』の一九六九年の六、七、八、十月号に連載されたものである。(当時『文芸』は月刊だった。また、現行の『文藝』という表記は一九七四年以降のこと。)僕が高校二年のときである。確かに僕は、「わが解体」をこの雑誌で読んでいる。ただその頃の記憶としては、後に僕が京都大学文学部に入学してインド哲学を専攻したときに大先生としてお目にかかることになる長尾雅人先生の姿、一九六九年三月十三日のL闘との団交における文学部長としての姿が、鮮明なイメージとして残っているぐらいであるが、それでもこの本から文学者の構え方のようなものは学んだ気がする。ただしいまから引用するような高橋の言葉は、最近の四年間の日々の中で『わが解体』を読みかえしながら僕が見留めたものである。

「そして近くて遠い大学に対する市民の感情には本来アンビバレンツな要素が含まれており、敬意が侮蔑に転ずるためには、ほんの僅かな失態だけでも充分なのである。そこで為される知的営為は確かに総体として社会的需要を満たしてはいるのだが、その役割は教授と学生の双方にあてはまる保護された地位、さらにはエリートによるエリートの再生産という構造の上に立つのであってみれば、愛憎共存する感情の比重に顚倒の起こるのは容易である。自民党の政治家たちが、大学がその許された自治の範囲内で処理能力を持たぬことを見極めるや、力でもって処理すべく中教審答申の法文化を急ぐ背後には、実はそれを心情的に支える広汎な層の苛立ちが存在するということを、大学関係者は知っていなければならない。大学の自治や学問の自由というものが、身銭をきって購われたわけではない一つの特権であることの痛切な自覚を欠いた大学関係者の独善的な言動、つまりは社会を形成する各単位団体の自治と自由の確立運動との連繋志向をもたないひとりよがりな自己主張は、権力者の意向如何よりもさきに、庶民感情のアンビバレンツな構造に頭うちすることも充分考えられるのである。一部の政治家がどう動くかが問題なのではない。むしろ、じっと大学に目を注いでいる市民の目が、かつての過剰な敬意から、いまや侮蔑のそれに変りつつあることが問題であり、それをさせているのが誰かということが問題なのである。」(三三頁)

こういう文章を長々と、よりによってなぜいま抜き出してくるのか。そもそもいまや国立大学も法人化して教育公務員特例法の適用から外され、学問の自由は既得の特権ではもはやなく、それこそ大学が身銭をきって自治と学問の自由を購わなければならない時代なのである。しかし、大学の自治や学問の自由について考えようとしたとき、僕が気になったのは、やはり高橋のこの言葉だった。「高橋は単に学生の眼からではなく、市民の眼からも大学問題を見ようとした」(『人間として』一九七一年六月刊「高橋和巳を弔う特集号」)というのは、当時の真継伸彦のこの文章に対する批評だけれども、こういう複眼的な思考が高橋の特徴でもある。だから板挟みになるのだ。じゃあどうすればよいのか、と僕は考えながら過ごしていた。大学を社会に向けて開くこと。大学にいた高橋が模索したのは、そういうことであって、具体的には「教授会公開」の提唱であった。教授会の公開が難しいなら、「せめて公開的な団交を一方で持ち続けるべきだ」(五九頁)というのが高橋の考え方だった。

当時の運動は、学部対学生という構図だった。だから右の「教授会」は、いまなら全学委員会ということにもなるだろう。僕は、吉田寮自治会とは四〇回ほどの団交・話し合いをもった。そして最後には全学委員会で「公開的な団交」をしたいと思った。それは結局実現しなかったけれど。そうしていま僕は、こう思っているのだ。

「そして私が自己批判せねばならぬことがあるとすれば、その第一は、元々それが解っておりながら、〈浮世の義理〉とでもいうか、それ自体は悪いものではなかろうが、自己の営為の原理とは抵触する別な法則性に従って身を処し、懸命に異質な原理のあいだの調和をはかろうとしていたこれまでの自分の精神のありようであった。」(七四頁)

高橋和巳は、「わが解体」を雑誌に載せる直前の三月に、京都大学文学部を辞職している。僕は、九月末に京都大学をいちど辞職した後、十一月に文学研究科に復職した。

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