安部浩 人間・環境学研究科准教授 「『コズミック人格』育成推進事業計画書」(2014.05.16)

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我が慈母アルマ・マーテル酷き継母サエヴァ・ノヴェルカ変じたるかたれか孤児の身嘆かざりける


平成二十四年、晩夏。ドイツより帰国した。彼の地では、学問を行う環境の面で彼我の圧倒的な差を目の当たりにした。この落差を些かなりとも縮めるべく、研究と後進育成にこれ迄以上に専心しよう。青雲の志を抱いて復帰するや否や、折しも本学では珍事中夭が出来し、やがてそれは不条理な迄に急変していった。私もこの騒動に巻き込まれていき、かくて(研究と教育にこそ捧げんとしていた)時間と労力を滑稽な位に奪い取られている中に師走を迎え、劈頭のへなぶりを詠んだ。だが時間や労力は、その四箇月の間に喪失したものの中で最も取るに足らぬ小事でしかない――母校アルマ・マーテルに対して二十有余年、素朴に抱き続けてきた畏敬と誇りの念が(日を追う毎に増す当惑と憤激の果てに)終に失われるに至ったことに比すれば。

平成二年、陽春。満堂の新入生を前に、西島安則総長は木下廣次初代総長や(澤柳事件を機に本学を去られた)谷本富先生の言を引き、建学の精神たる自由の意義を諄々と御説きになった。その学部入学式の祝辞を総長はこう結ばれた。「諸君、自由とは厳しいものです。しかし、自由を何よりも大事にすることが、一人の人間の、そして社会の真の成熟につながるとわれわれは信じます。[…]そのことを、諸君とともにここに誓い合いましょう」。それから二旬を閲した平成二十二年、私は西島先生の御逝去の報に悲嘆した。しかしながらあの時の壇上の先生の御音容は今も眼前に彷彿とし、その隻語は恰も畳句の如く、尚も耳朶に揺曳する。諸君、自由とは厳しいものです…。

そしてこの片言はもう一つの(すなわち政財官界という腹話術師が「継母」人形を操って盛んに喧伝している)リフレイン、「グローバル人材」と干渉し合い、私の胸中で或る人物の像を結ぶ。如何なる辱めや迫害にも屈せず、

に拡張してみたところで、今述べた意味での共同体はどこまでも常に「外部」が残存し続ける排他体に留まる以上、それが最終的に「唯一の真正な」共同体に帰着することなぞ原理的にありえまい。だが我々が一度脚下を照顧し――(慣習や法等の)取り決め”ノモスに基づいて構築されるあらゆる共同体に先立って存在し、従って如何なる人間社会もそこにおいてしか成立しえぬような――人為以前の自然フェシス的な基盤に改めて目を凝らすならば、そこには定めし、個々人がてんでばらばらでありながら、それにも拘らず(否、寧ろその故にこそ)正にそのような単独者として共存している事態が認められることであろう。そして「引き裂かれていながら同時に又結び合わされている、この[孤絶せる]絶対者達の複数」(V・ジャンケレヴィッチ)が集う場には、その範囲を劃定する境界線が元より一切存在せぬ為、それは自ずと無限大の広がりを呈するに相違ない。かくて或る特定の共同体に所属している時、我々各人は我知らず(そもそも当の共同体がそこにおいて生じ来たったところの)如上の広大無辺の場にも初めから身を置いていることになる。ディオゲネースの所謂「唯一の真正なる国体」が見出されうる宇宙大――乃至は無限大――の共同体(コスモポリス)とは、こうした単独者コスモポリテース同士の共存の場の謂であると思しい。

とはいえ厳密に言えば、このコスモポリスはそれ自体、如何なる意味においても共同体ではないし、ましてや国家などではない。故にそれは国策とも、国益に資すべき人材とも無縁である。ディオゲネースによれば、コスモポリテースとしての我々が依拠すべきは独りのみである。そして「人格ペルソーナとは理性的なラチオーナービリス本性を備えた個別的な実体である」(ボエーティウス)。してみればコスモポリスに身を置いている限り、実のところ我々は皆、コズミックな人格であると言わねばなるまい。  

という訳で朝令暮改。「グローバル人材」は古い、「コズミック人格」の時代だ! KKKは廃止、今度はUFO(宇宙不可思議奥の院)の設立だ! 

あれ? 皆さん「笛吹けども踊らず」ですね…。

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