〈書評〉 村上春樹著『女のいない男たち』(文藝春秋)(2014.05.16)

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春樹が話した関西弁


2005年以来9年ぶりとなる村上春樹の短編集『女のいない男たち』には、彼の作品としては珍しくまえがきが記されている。そこに書かれていることだが、村上はあるモチーフに沿った短編小説群を作ってきた。「『神の子供たちはみな踊る』の場合のモチーフは「一九九五年の神戸の震災」だったし、『東京奇譚集』の場合は「都市生活者を巡る怪異譚」だった。」本書のモチーフはタイトルどおり「女のいない男たち」である。「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」を描いた6つの物語が収められている。

その中で特に興味深く読んだのが、二つ目に収められた『イエスタデイ』である。芦屋の中流家庭の出身で早稲田大学文学部2年生の「僕」は、バイト先の喫茶店でバイト仲間の木樽と仲良くなる。2浪して早大を目指しており、田園調布出身なのに完璧な関西弁を話す一風変わった男だ。木樽には小学生の頃から付き合っている女の子えりかがいるが、彼女が上智大学に現役で入学してからは疎遠になりつつある。木樽の頼みで「僕」とえりかはデートをするが、二人の付き合いはそれきりになってしまう。その後木樽は突然姿を消し、

僕は16年後えりかと偶然再会して物語は終わる。

物語そのものからは離れるが、関西の村上春樹ファンとして特に興味深かったのが、彼の関西弁に対する態度を見ることができることだ。

村上春樹も「僕」と同様に、芦屋の中流家庭出身で、早稲田大学への入学を機に東京に住み始めた。「僕」は春樹自身がモチーフになっていることだろう。

「僕」は大学に入ってひと月で関西弁を捨て、標準語を話すようになる。その大きな理由は、「すべてをちゃらにし、まっさらの人間として、東京で新しい生活を始めたかった。自分であることの新しい可能性をそこで試してみたかった。そして僕にしてみれば、関西弁を捨てて新しい言語を身につけることは、そのための実際的な(同時にまた象徴的な)手段だった」ことだという。

村上春樹の小説はどれも地域性を感じさせない。舞台はたいてい東京のどこかの町で、話される言葉もほとんどが標準語だ。「関西出身なのになぜ?」と思ったことがある読者も多いのではないだろうか? もしかしたら、「僕」のこの意見がその答えになっているかもしれない。村上春樹自身にも興味がある彼の熱心な読者におすすめの一作である。(智)

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