〈映画評〉 『アナと雪の女王』(2014.05.16)

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「魔女」と「プリンセス」の物語


アレンデール王国の王女、エルサとアナは、とても仲良しの姉妹だった。しかし、幼少期のある事件以来、エルサは氷の魔力を隠して部屋に閉じこもり、アナはエルサの能力についての記憶を失う。そんな中、二人の両親である国王夫妻がこの世を去ってしまった。

エルサの戴冠式の日、アナとの口論をきっかけに氷の魔法が暴走する。傷心のエルサは一人山上へと逃げ込んで力を解放する。アナは雪に覆われた国を元に戻してもらうため、姉の許に向かう……。

ディズニーの最新作である本作品は、アカデミー賞をはじめとする数々の賞を受賞した後、3月14日に満を持しての日本公開となった。そして、公開日からかなり経った今もなお動員記録を更新し続けている。果たして『アナ雪』の魅力はどこにあるのか。

何はともあれ、観客はまずCGアニメーションの高度な技術と、壮大なミュージカルの迫力に圧倒されるだろう。映像と音楽だけで一見の価値はあると言っても過言ではない。その上で、それらに支えられた丁寧なキャラクター描写に引き込まれてゆく。

エルサにとって、魔法は最大のコンプレックスであると同時に、最大のアイデンティティであろう。しかし、「恐れが敵となる」というゴーレムの忠告どおり、両親を始めとする周囲の人々は彼女の力を恐れて封じ込めようとする。いや、むしろ妹を傷つけたその力に誰よりおびえたのは自分自身で、エルサは「Don’t let them in. Don’t let them see.」と自縄自縛し続けて戴冠式の日を迎える。だが皮肉なことに、抑えようとすればするほどにコンプレックスは肥大し、制御できなくなるものである。結局、彼女は周りのために自分を取り繕うことも、ありのままの自分を誰かに受け入れてもらうことも諦めて、再び愛する妹を自らの手で危機に晒してしまう。

一方、閉ざされた城で孤独に育つ妹のアナは、姉と何ら共有できていないことを寂しがっている。大好きな姉の部屋の扉が開かず、「出口の無い生活」に辟易してゆく。共有させて貰えないことは、愛されていない、認められていないという不安に繋がる。その先に何があるのか、なぜ扉は開かないのかは考えられず、ただ一心に扉を叩き続ける生活のすえ、彼女はその寂しさを埋めてくれる「運命の人」との出会いを夢見るようになる。

例えば姉妹のキャラクターデザインに注目したい。弱点をさらけ出さない矜持と自意識、そして女王という社会的地位を持ったエルサは、きりっとした寒色のアイシャドウに整えられた細眉、アイラインでお化粧ばっちり。優雅で自立した女性のお手本だ。一方で自己開示に対して屈託を持たないアナはそばかすが目立つすっぴん姿で、無邪気で頼りない少女性を思わせる。私は双方に対して激しい既視感とショックを覚えた。対照的な方向で、この二人は共に「女の子が憧れる女の子」を、強さも弱さも含めて究極に体現しているのだ。

また、兄に軽んじられて育ったゆえ、誰かに必要とされることを渇望するハンス王子。家族の愛情に包まれて育ち、照れ屋で不器用ながらも優しいクリストフ。彼らもまた正反対の「王子様」像である。生々しいまでに作りこまれたこれらのキャラクター達が化学反応を起こし、ストーリーは自然と展開されてゆく。 (但しエルサが魔法で作った雪だるま・オラフも重要なスパイスとして働いている。姉が妹を思う気持ちの産物である彼は完全にファンタジーの存在で、少々異質。)

さて、本作は、2人のプリンセスというより魔女とプリンセスの物話と捉えた方が正確なのではないだろうか。特殊な強い力と王位を持ち、責任感が強い魔女である姉。甘え上手だが軽率で、誰より愛らしいプリンセスの妹。魔女―プリンセス間の齟齬はこれまで中々解消されず、嫉妬や軽蔑へと陥った結果多くの悲劇(主に王子様の登場による姫の救済と魔女への制裁)を生んできた。さて、アナとエルサの関係が従来と大きく異なる点といえば、やはり強い姉妹愛の存在だ。しかし、決して相容れず理解し合えないお互いの想いはどこまでも裏目に出てしまう。

アナは、かつてのプリンセスたちと同様に、運命の人のキスで目覚めることもできたのかもしれないと思う。実際それが一つの「真実の愛」だとディズニーは今まで散々説いてきたのだし。しかし今回、誰よりも強い力で誰よりも早く彼女の開け放された扉に飛び込んだのは、なんとエルサだった。「誰もが完璧じゃない、愛さえあれば」「愛っていうのは自分より相手を大切に思うこと」という論理が、初めてプリンセスと王子様以外に適用されたのだ。当事者による問題の自己解決を前に、王子様たちは何もできなかったわけである。

あくまで姉妹愛という理由づけがなされているとはいえ、異なる価値観の女の子達が互いに羨望し、憧れ、そのうえで(軽蔑や嫉妬のみならず)慈しみ合う強い力を持ち得る点に、他でもないディズニーが焦点を当てたことには驚きを感じずにはいられなかった。

王国に再びエルサを受け容れる体勢があったのかなど、魔力というアイデンティティの社会的肯定に関して最終的にうやむやにされたのはご都合主義だという他ない。とはいえ、本作は女性のアイコンとしての魔女とプリンセスの在り方に新しい道を見出した作品であると言えるだろう。(易)

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