〈京大雑記〉走ることの意味に迫る ~走る先・走る中にある 喜びとは(2014.05.16)

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長距離を走るとはどのような営みか。走ることに特別な関心を抱かない人にとって、走ることは忍耐しながら身体を鍛えるのを目的とした、単純な営みに思われるかもしれない。しかし真剣に走る人々にとっては、もっと深い営みなのだ。その深さとは、単にアスリートとして速さを求めるといった意味だけでなく、自らの内面に向き合いよりよい生き方を追求するという意味合いである。小説家、囚人、哲学者が語る走りへの想いをたどって、人々は何を求めて走るのかについて迫る。走りをきっかけとした思索の場を読者と共有したい。

現在日本を代表する小説家の一人である村上春樹は、本格的なランナーとして知られている。20年以上にわたって走り続けており、年に1度はフルマラソンに出場しているなど、走りにかける強い想いを感じとれる。そんな彼がフルマラソンの経験を通して走りに抱く想いをつづったのが①『走ることについて語るときに僕の語ること』(2007年・文藝春秋)だ。フルマラソン3時間切りを目標に日々練習に励むランナーでもある私は、このエッセイの多くの記述に共感を抱いた。ここで彼は自身の職業である小説家と関連づけて、走ることを語る。小説家として活躍していくのと同様に、走ることでもっとも重要となるのは「自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか」「走り終えて自分に誇りを持てるかどうか」であって「外部にかたちや基準を求めるべきではない」と語る。それに加えて「(走ることは)一人きりになるなにものにも換えがたい貴重なひとときで」あるとの記述からは、走っている時間を徹底的に自己と向き合い限界を追求するものとしてとらえていることがうかがえる。さらに、走ることを通して、集中力や持続力といった小説家にとって重要な資質も後天的に獲得し、向上させられたとも書いている。走ることによって身体を鍛えられるのはもちろんだが、彼がここで言及しているのはむしろ精神的なそれであり、その鍛錬の手段として走ることを高く評価している。

走ることを個人としての営みと考え、そこに価値を見出すのは村上だけではない。イギリスの作家、アラン・シリトーが書いた②『長距離走者の孤独』(1959年・集英社)に登場する主人公もその一人だ。彼は、感化院(刑務所)という不遇な環境にあってクロスカントリー選手に抜擢され、長距離走に取り組むことになる。彼は必ずしも自主的に走り始めたのではないが、走ることの魅力に気づいてそれを随所で語っている。例えば「走っているあいだはとてもよく考えごとができ」ると述べるように、走ることはランナーに落ち着いた思索の時間を提供してくれる。さらに、彼は感化院という抑圧的な環境に置かれていることも手伝って、走る中で感じる自由を強調する。「(走っている)あの2時間くらい、自由なことはなかった」と喜びをにじませる。走っている間、ランナーは日常から解放されてしばしの自由を得られる。ただし、走ることには身体的・精神的にそれなりの負荷がかかる。自分なりに高みを目指そうとすればますますその傾向は強くなる。取り組みようによっては、自らの向上のために苦しい道をあえて選びとる自由の魅力をも、走ることは教えてくれるはずだ。

走ることはランナーに何をもたらすかという発想から離れて、走ることそのものを享受しようと主張したのは、イギリス生まれの哲学者マーク・ローランズだ。③『哲学者が走る 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと』(2013年・白水社)において、彼は走ることを通して得られた人生について考察を展開する。生きていく上で常にその先を考えざるを得ない私たちは、あらゆる行動に意味や目的を求める傾向にある。読者の方々も経験があるだろう初等教育から就職に至るまでの人生はよい例であろう。そのような傾向にありがちな現代においては、それ自体意味がある行為に意識を向けることが大切であると彼は主張する。彼にとって、走ることはまさにそれ自体に意味をもつ行為であって、そのものの価値に没頭することが最も素晴らしい取り組み方とみる。さらに、走ることを通じて私たちは「人生の中で何が大切で価値があるのかを、理解」できるのだという。つまり、ここで彼が言いたいのは、私たちはそれ自体に意味がある行為に取り組むことを通して、目的論的思考にとらわれない生き方、内在的に価値あることに気づき、そこに喜びを見出す人生をおくることができるということだ。

走ることは、個々人の可能性を追求するにあたって大きな助けとなることが期待される。なぜなら、自分自身と徹底的に向き合い、自由の中で自己の向上のためにより厳しい選択を下すこともできるからだ。さらに、そのような目的をもちながら、走ることそのものを楽しむことも重要だ。目的の追求とそれ自体の追求という、一見矛盾するように思われる両者を思考の上で同時に追求できるのが走ることの持つ本質ともいえよう。走ることを精神的な営みととらえてみることで、走りへ関心のなかった読者は自分の世界を広げることができ、ランナーは走りの営みを深化できるのではないか。走りの先・走りの中にある喜びを是非味わってもらいたい。(千)

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