インタビュー

吉村萬壱 新著『ボラード病』刊行記念インタビュー 「露出する仮構の世界」

2014.06.01

y_pic01.jpg

人間の「性と暴力」を、その過激な描写を通じて読者に問いかけてきた吉村萬壱氏。あるがままの人間の姿を精緻な筆致で曝け出す作風で、これまで文學界新人賞、芥川賞を受賞してきた。今月発売される新刊『ボラード病』では、そうした過去のスタイルを踏襲しながら、災害後の復興期にある社会を題材に扱い、絶望的な状況を生きる人間の本性、価値、そして世界について描きだしている。震災後の混沌を生きる私たちにとって、それは「私はナニモノなのか」「この世界はナンなのか」という人間に根本的な問いを投げかける。

さて、吉村氏は実際、現在の世界をどのように捉えているのだろうか。そして『ボラード病』の投げかける問いを、私たちはいかに受け止めれば良いのだろうか。新刊『ボラード病』について、そして「世界」「絶望」「性と暴力」というこれまでの作品とも通底するテーマについて、吉村氏に話を伺った。

なおインタビューは2014年5月10日、文学バー「リズール」で行った。(編集部)

「ボラード病」あらすじ

B県海塚市では長い避難生活を終えて帰って来た市民によって、町ぐるみの復興が進められていた。小学五年生の大栗恭子もまた海塚に戻り、母と二人きりの貧しい生活を送っている。恭子は、「結び合い」を謳い「海塚賛歌」を唱和する人々に違和感を抱き、海塚という街に馴染めずにいた。ある日、母の内職先である花田裁縫工房の従業員、川西が恭子の前に現れる。彼女は優しく兄のような川西に惹かれていく一方で、母に対して敵意を抱きはじめ――。


よしむら・まんいち 1961年、愛媛県生まれ。「国営巨大浴場の午後」で復活第1回京都大学新聞社新人文学賞(1997年)、「クチュクチュバーン」で文學界新人賞(2001年)、「ハリガネムシ」で芥川賞(2003年)を受賞。高等学校、支援学校勤務を経て現在に至る。著書に『ハリガネムシ』、『クチュクチュバーン』、『バーストゾーン―爆裂地区』、『独居45』など。6月に新著『ボラード病』を上梓する。

1.「ボラード病」と世界の見え方

普遍的な物語を書きたかった

――今作「ボラード病」は、3・11後の日本社会に渦巻いている「居心地の悪い空気」を暴露した、吉村さんの作品の中では時事性の強いものに思いました。全体を通して「頑張ろう日本」などといったナショナリスティックなものの下で、特定の意見が「非国民的」だと封殺される現状を風刺しているように感じます。なぜこのタイミングで、震災をテーマにした小説を書こうと思われたのですか。

吉村 震災をテーマ、うーん……そこ難しいんですよね。震災をテーマにしているのかって言われると、いや、そうではないですと答えることもできると思うんですよ。そのように書いたんです。僕は、福島に今どれくらい放射性物質の危険性があるのかとかいったことについては全く無知なので、それは直接書かないっていうか、そういうことを書きたかったわけではないんです。ただ、ぶっちゃけて言うと、震災後に出版社の人から「東北に行きませんか」と言われたんですよね。吉村さんは是非行っとくべきであると。何でかわかりませんけど(笑)。それで出版社の人と宮城県に行ってきました。福島ではありませんでした。石巻とか女川町とかを車で回ったんですよ。その時に色々なことを自分では感じて帰ってきたんですけど、それが直接作品には結び付かなかった。ところがまあその後の日本を見ていて、日本の中で暮らしていて、2013年になってなんか言いたいことが出てきた。それを書いてみようと思って作品にしたのがこれだったんです。だから執筆のきっかけが3・11というのは間違いない。間違いないですけれども、どこの国のいつの時代の人が読んでも、ある程度読めるものを目指したつもりです。もっと内幕を言うと、この作品の最終的な形はこうなれば良いなと思っていつも念頭に置いてたのがカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』やったんですけど、全く筆は及びませんでした(笑)。後は『動物農場』かな。まあ寓話というか一定の普遍性を持ったものが書きたかったですね。大体ボラード病の原因がなんなのかっていうのも書いてない。でも、そんなのは多分要らんだろうと。原因を原発に特定する必要は全くなくて、毒ガスでも良いし、ウイルスでも良いわけですわ。何にでもあてはまるのが寓話ですから。

原発事故もいずれは忘れられると思うんですね。今までにも津波が来てさんざんひどい目に遭ってきた日本人も、今回の震災に直面するまで忘れていたわけで。しかし忘れられた時でも読む価値があるというか、何かその先の時代に当てはまるものがあるんじゃないか、ということを考えて書きました。

我々の世界認識はねつ造です

――今作では主人公の大栗恭子が手記を通じて、小学生時代の記憶を語るという形式が取られています。吉村さんはツイッターでマルグリート・セシュエー(1887―1964。スイスの臨床心理学者・精神分析家)の『分裂病の少女の手記』に言及していますが、それがモチーフになっているのですか。

吉村 『分裂病の少女の手記』は、おそらく僕ぐらいの世代より上で文学やってる人にかなりの影響を与えていると思うんですよ。あれはね、面白い。何と言っても、ルネという一人の少女が、認識主体として世界そのものの変容を経験する、その過程を描いた手記の部分が純粋に文学として面白いわけです。ルネは次々と襲いかかってくる異様な世界と格闘するヒロインで、不思議なことに自己客観化もある程度できていて、すぐれた一人称文学になっている。もっともこの出来すぎた手記の内容は断じて分裂病の世界ではなく、単なる神経症に過ぎないと、クラウス・コンラート(1905―1961。ドイツの神経学者・精神科医)などは厳しく批難するわけですが。とにかく精神病は文学の永遠のテーマで、これ以上見事な精神病小説は他に知りません。恭子の語りも非常に大きな影響を受けていたと思いますね。後で気がついたんですけど。やっぱ根底にはこれがあったかと。これは面白いから是非読んでください。

僕はそういう人が見る世界に非常に興味がありますね。この前まで支援学校に勤めていたんですが、そこで自閉症の子と接していました。面と向かうと自閉症の子ってすごく嫌がるんですよ。だから向き合わずに並んで同じ物を見る。例えば、蛇口から流れる水であったり。そういう子は一日中でも、流れ出る水を触って遊んでる。水に一体何を見てるんやろうと思って僕も一緒に遊ぶんです。すると、上手く言語化は出来ないけど、何かが分かってくるような気がするんですよ。そんな世界が非常に新鮮で毎日刺激的でしたね。

自閉症については本も色々出ています。ドナ・ウィリアムズの『自閉症だったわたしへ』は、高機能自閉症である著者が、自閉症の世界はどんなのかを詳細に書いた本です。例えば家の中は「色彩の洪水のように」見えたとか、物も人も「すごいスピードで流れるように動」くなどと書かれている。他にも、自閉症の大学教員テンプル・グランディンが書いた『動物感覚』があります。その人には動物感覚があって、動物の気持ちが分かるんです。動物っておしなべて「自閉症」なんですよ。僕もうさぎ飼ってて分かるけど、彼らはちょっとした刺激もダメなんです。じいっと目を合わすと何となくそわそわするし、嫌な物は絶対に食べない。ある時彼女は、屠畜場で送られる牛が、入り口で歩みを止めてしまうのを何とかしてくれと相談されるんです。彼女は、牛が立ち止まるのは明るい日なたに比べて通路が暗すぎるからだと気づく。戸を開けて明暗差を取りのぞいた途端、牛はすっと歩いた。

人間が世界を見ているこの見方は全然一種類じゃないと思うんですよ。精神が壊れたり、心的に大きな変化があったりすると世界は別様に見えるし、恋をしても失恋しても、幻覚作用とか変性意識とかでも世界の見方は全然変わるわけでしょ。恭子が雨に濡れて帰ってきてシャワーを浴びる時に、窓の網にいるバッタに視点が移って恭子を見返すという場面がありますが、あそこは変性意識的なものをちょっと入れています。

――あの場面は読んでいて立ち止まりました。

吉村 それはね、編集者にも言われたんですよ。何ですかこれみたいな(笑)。まあ、それくらいのことは恭子に十分起こっているやろということで入れました。あれがない方がすっといったと思うんですけど、なんとなく残しておきたかったんですよ。大栗恭子の頭の中で起こっていることが若干普通ではないですよっていう印のようなものです。あ、この子まともじゃないのかな、という感じをちょっと持ってもらえたら。

――世界の見え方が一つではないというのは、海塚で共有されている安全神話に対して「同調する人」と大栗恭子のように「同調しない人」とで世界の見方が異なる、という設定の着想にもつながっているのでしょうか。

吉村 そうですね。それとチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』っていうSF小説があって、それは一つの町に住んでいる2種類の人間が互いを見えないことにしているという設定なんです。『都市と都市』を読んで「あっ、人間っていうのは見えなくすることが出来るんだ」と思いました。

ある本を読むと、コップっていうものを我々は認識しているけれども、コップが持つ視覚情報が頭の中に100パーセント入ってきてコップに見えているのかっていうと、全然そんなことなくて、直接の視覚情報は3パーセントくらいらしいんですよ。あとの97パーセントはコップをねつ造している。そうでないと一々受け取っていたらちょっと角度が変わっただけで別の情報として入ってくるわけで、コップの恒常性すら脳内で保てないということになる。我々の世界認識の方法っていうのは、もう完全にねつ造、バーチャル空間みたいなものです。ということは、見ようと思わないものは見ない、というのは十分可能なんです。これも「ボラード病」の着想につながっています。自分たちに都合の悪いものがあると、人間はそれを見ないことも出来るっていう発想ですよね。

――「ボラード病」では安全神話に「同調する人」が「同調しない」人を海塚の町から排除して、監視対象として施設に隔離しています。最終章で大栗恭子は、排除する人間の世界の見方を異常なものだと糾弾します。吉村さんは、この排除する側の見方を否定的なものとして提示しているのでしょうか。

吉村 そう読むこともできるとは思うんです。ただ、排除という行動を取ることが完全にネガティブかっていうとね、ちょっと違うような気がするんですよ。海塚のような状況下でみんなが生きていくしかないとなると、それをなかったことにしようという暗黙の規範みたいなんが出来る。つまり普通に振る舞うという事です。特別な事は何もない。これが普通なのだと見なして、現状を受け入れる。それしかないわけです。戦時下でも、ペストでも、収容所群島でも皆そうだと思います。状況を受け入れて、その場所で生きていくしかない。当たり前のことだと思わなければ、余りにも辛いから、異常な状況になじむことによって乗り超えようとするわけです。それを悪いとは言い切れないと思うんですよね。

今村仁司さんの第三項排除効果論によると、3人からなる集団がある時、これが一番安定するのは2人がくっついて1人を若干のけ者にする時らしいんですよ。だから集団生活してる限り排除はつきものなんです。異物を排除することによってしか安定できないという力動性が人間にはあるんじゃないんかな。アンチがいなかったら自分が確認できないっていうかね。「ボラード病」の場合も体制に同調しない個体っていうのは排除する、そのことによって海塚の町そのものが安定するという力学でしょう。

海塚の人々は悪いのかというのはなかなか難しいですよね。その規範を守るために排除された大栗恭子の立場ならば、ああいうぶちまけ方をしたくなるだろうということで書きました。彼女に対して僕は非常にシンパシーを感じます。ただ、だからといって大栗恭子が善であり、海塚の人たちが悪なのかということになると、これは別問題。

2. 絶望・意志・残酷衝動

絶望を極めると聖性を帯びてくる

――「ボラード病」をはじめ吉村さんの書く物語の多くは絶望的な結末を迎えます。なぜハッピーエンドではなく、救いのない絶望をあえて書くのでしょうか。

吉村 絶望的なものを極めると、絶対にどこか一か所光るものがあるっていうのが僕のセオリーなんですよ。今必要があって島尾敏雄の『死の棘』を再読してるんですが、本当にどうしようもないなこれって思いました。主人公、トシオの奥さんであるミホは気が狂っているんですが、彼女の描写が延々続くだけの小説なんです。それでもミホはね、最終的には聖性を帯びてるんですよ。別に美しく書いた箇所なんてほとんど一か所も無いんです。無いけれども聖性を帯びるというのは、希望がないほどにリアルな筆で人間を徹底して描写するからこそ出来ることだと思います。神戸の知り合いが、阪神大震災で被災した時に唯一『死の棘』だけは読めた、と言っていました。本当に絶望した時、人は小説など読めませんが、もし読めるとすれば、それは絶望にそっと寄り添ってくれる小説でしょう。『死の棘』ではトシオが、ミホとの狂態の中で「ふと私は幸福なのだと感じ」るシーンがあります。最も深い絶望の底にも、何かがあるのです。それはまだ希望にもなり切っていない、生命の芽みたいなものかもしれませんが、だからこそ絶望した人間にも受け入れ可能な、ごく微量の、しかし永遠性に繋がる光を帯びています。私はこれを聖性と呼びたいのです。それは落ち切ったところにしかない特別の光です。これを描きたい。

反対に、「明日に向かって」とか「願いは絶対叶うから」とか安っぽいでしょ。5歳くらいの女の子が七夕の短冊に「奇跡は絶対起こるから」って書いて結んでるわけですよ。そんな言葉を5歳の女の子が平気で結ぶ方が気持ち悪いし、それを書かせた母親に腹だたしいものを感じましたね。だいたい絶対起こることは奇跡じゃないやろ、みたいな(笑)。震災後は、そういう言説が満ち溢れてましたでしょ。あれに対する違和感っていうのはもうすごくありました。希望なんていうのを軽々しく、絶対に言わんぞっていう。

最初は「頑張ろう」とか「絆」という言葉は被災者にとって大切やったと思うんですよ。やっぱり頑張るしかないね、と本当の意味で言われてたと思うんです。それがスローガン化した途端にダメになりました。圧力として感じるようになっちゃいましたね。例えばボランティアに行くっていうのは、自分がしたいと思ってすることなんですよ。したくなっちゃったんだから行く、で良いと思うんです。しかしそれを「できること」っていう客観性を帯びたものにすり替えて、出来ることだから仕事を休んで行きましたみたいな、そんなことは言わんでええ。

人間の黒い衝動を露わにする

――「ボラード病」は、これまでの吉村作品の多くに登場する過激な性描写や暴力描写がありません。それは意識して書かれたんですか。

吉村 意識しましたね。なんでかっていうと、まあ出版不況で、あんたのような作品を書いてたら全く売れへんし、読者を限定しすぎるし、もう本にせえへんでみたいなものを何となく感じました。そんなことを言った出版社ないですけど。それとは別に、もっと一般の読者にもアピールしたいって思ったんですよね。そういう描写がなくて、中学校の図書室に置いてもらえるようなものでも、ずっとインパクトのある作品が書けるんじゃないかと。だから今回「エロなし、バイオレンスなし」っていうのを自分に課しました。暴力とか性描写とかグロテスクなものといったのは排除したんですよ。それで何か強烈なインパクトみたいなものを出したかった。出版不況がきっかけではありますけど、もっと皆さんに読んでほしいというのがありました。

――「クチュクチュバーン」に登場する変形した人間だったり、「ハリガネムシ」での残酷な暴力描写や生々しい性描写に、どうしようもなく惹かれてしまう自分がいます。

吉村 黒い衝動は誰でも持ってるんじゃないですかね。子供のころって意味なく虫殺したりしませんでしたか。以前、家にクマネズミが出たことがあってね。チュウチュウホイホイで捕まえたんです。ほんでそいつを助けようと思ったら、もがけばもがくほどくっついちゃって。もう助けられないから安楽死させようということで、水の入った桶につけたんですよ。最期に大きな泡をぼこっと吹き出して死にました。生物が溺死するのを、その時初めて見たんです。考えてみると、その時の自分っていうのは、否応無く、必然的にそういう行動をとっていたと思います。人間が残酷になる時っていうのは、本人の判断とは別のものが働いているような気がしますね。もう一人の自分はただそれを見ているだけ。宮崎勤(1962―2008。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決が確定、刑死した)の手記読んだら、そんな感じですね。

コップを取って何か飲む時、われわれはコップを取ろうと思って、その後で取る動作をする。これが普通やと思われてますやん。ところがコップを取るという命令を発する脳内の電位は、取ろうと思う直前に発生しているというんです。すると、自由意志っていうのは後からの理屈付けに過ぎないんじゃないか。そう考えると、人間の行動っていうのは一筋縄ではいかない。その辺に筆が届けば面白いかなあって。

例えば戦争でわれわれが小部隊で戦地に派遣されたとする。民間人の中にスパイが混じってるということになって尋問する。後は好きにしていいぞという時に、民家に押し入って、まず食うでしょ。腹が満ちたら、次することは何やって話ですよ。まあ、女の子をみんなで犯す。そして犯した後、証拠残ったらあかんからいうんで、銃剣で刺すと。そこでやらないっていう選択肢もあるけれども、あまりに疲れてたり、周りがみんなやってるという時、そういうことをやってしまっている自分が容易に想像出来る。やるか、やらないかは状況が決めるんですよ。そうすると、それを忌避しているつもりになっている自分は嘘やろっていうね。だから僕の小説を読んで、自分の中にそういう残酷な衝動があるって感じたんやとすれば、それはこちらの狙い通りです。ただ、それで何やのんって言われたらちょっとアレですけど(笑)。

ネットをぷちぷちやっている時に、半中毒的な状態に陥りませんか。そういう時の自分っていうのは、もう意志で行動しているのではなく、デカルトのいう人間機械みたいな状態になっていると思います。いちいちこうしようと思ってぷちぷちやっているんじゃなくて、ほとんど反射。僕が飼っているうさぎも、その状態で生きてますね。とにかく刺激があったら、ぱっと反射して。動物ってこんなんかと思って。電車でスマホやってる人も、みんな動物ですよ(笑)。

y_pic02.jpg

3. 紙に傷をつけるということ

“芥川賞作家”のリアルとは

――吉村さんは2003年に芥川賞を受賞しています。芥川賞作家というと、素人目には華々しく映りますが、ご自身はどういう印象を持っていますか。

吉村 芥川賞をとると寝てても10年はオファーがある。ただ10年過ぎると、無い。僕なんか11年目でしょう。だからもう、すれすれ(笑)。 でも、日本の中ではその後どんなに華々しい活躍をしてても、なぜかプロフィールの中には「芥川賞」と必ず入る。単なる新人賞に過ぎないのに、ものすごく不思議。そういうふうに一生ついてまわるというのは非常に有り難い。芥川賞なんて入り口の新人賞なんだから、こんな扱いを受けているのは、おかしいと言えばおかしいです。芥川賞の受賞作が全て優れてるかというと、全然そんなことないですから。

まあ、とるに越したことないと思いますよ。とるととらんとでは大違い。僕もあそこでとれてなかったら、もう無理やったでしょうね。まあ今のところ仕事は途切れてないですが、これからはサボっていると消えていきますね。

――専業作家に転向したきっかけは何だったんですか。

吉村 50歳を過ぎて、体力的にも教員と作家の両方はやれないなあと。教員の代わりはなんぼでもおるけど、吉村萬壱は代わりがいないと無理矢理考えて。作家には定年がないのもあって、こっちとりました。瀬戸内寂聴さんを越えて超高齢現役作家を目指そうと。

大学生は日記をつけよう

――大学生にむけてメッセージはありますか。ちなみに以前のインタビュー(2005年10月16日号)では「日記をつけよう」と答えていますが。

吉村 それは今でも変わっていませんね。普段読書とかすると思うんですけど、それはインプットですよ。どっかでアウトプットした方がいい。それには日記が最適です。

ドストエスフキーを集中して読んでる時っていうのは、日記の文体がドストエスフキーっぽくなってるんですよ。それはね、どうしようもないんですよ。まあそういう文体で書いていきますやんか。次、サルトル読みましょうかと。今度はサルトル文体が入ってくるわけです。すると自分の中で、ドストエスフキー文体とサルトル文体がブレンドされて、必要なものが残っていくんです。それは自分がええと思っている語り口なんですよ。自分の語り口をもつための入れ物として日記は最良ですね。誰に見せる訳でもなく、失敗しても全然かまへんというか失敗も成功も無い世界ですやん。書きながら考えるってことが出来る自由な媒体として、文体のブレンドの場として、日記は本当にいいですね。

もちろん「今日は京大新聞の取材を受けた」みたいなことも書くんですけど、それとは別に、その場で考えたことか夢の内容を書いたりもします。なによりも面白いのは、その時の自分をある意味リアルタイムで読める。書いてることは本当にしょうもないですよ。「そうだ、少し早く出てウンコしよう」とか。だから死ぬ時は一緒に焼いてくれって言ってます(笑)。基本、文字を書くのが好きなんですよ。

――書くことが好きだというのは分かります。特に内容は無くても、紙に傷をつけることそれ自体が気持ちよく感じるんですよね。

吉村 書くことなかったら、そこらの窓から見える看板写したり、店のメニューを写したりとかしてます。

紙に傷をつけるっていうのはまさにその通りでね。原稿用紙なんかに何か文字を書いたらそれは普通ゴミですよ。それが金になるというのは堪えられませんわ。ある意味、すごい自己実現。ただ、小説を書くのが好きかと言われるとちょっとクエスチョンですね、しんどいし。日記書いてるほうがよっぽど楽しいです(笑)。

――ありがとうございました。

『ボラード病』は文藝春秋社より6月11日発売。