書評 デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』(水声社)(2013.12.16)

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世界はトリビアでできている

多くの〈作者〉を悩ませ、そして創作に駆り立ててきた問いの一つに、「小説とは何か」というものがある。それを問いとして意識しようがしまいが、〈作者〉は誰しもこの問いと格闘しなければならない。そして、そのような問いに対する究極的な答えとして提出されたのが、デイヴィッド・マークソン(1927―2010)による『これは小説ではない』である。

この250ページ程度の「小説ではない何か」には、芸術家をはじめとする歴史的人物にまつわる無数のトリビアや、彼らの著作・発言の引用から成る断章が、それこそ無数に散りばめられている。つまり、

バイロン卿は、リウマチ熱か、発疹チフスか、尿毒症か、マラリアで死んだ。
あるいは、頻繁に彼に瀉血療法を施していた医者たちの不注意で殺された。(p11)

という断章に始まり、最初から最後までこれが延々と続いてゆくのだ(とはいえ、こうした断章と断章が相互に呼応しあうケースもあり、本書の全容をとらえるのはきわめて難しい)。したがって、トリビアや他人の詩句をひたすらに並べたコラージュにすぎない、という見方も当然成り立つ。しかし〈世界〉や〈現実〉と呼ばれるものの方こそ、こうした一見脈絡のないトリビアの集積にすぎない、と言い切ってしまうことも可能である。じっさい、これらのトリビアはどれをとっても面白く、時に〈世界〉や〈人間〉の背後に潜む真実を垣間見せてくれることもある。ほんの数例を挙げるとすれば――

ホルヘ・ルイス・ボルヘスは八十六歳で再婚した。
ジョン・デューイは八十八歳で再婚した。(p56)

ゾラがドレフュスと顔を合わせることはなかった。(p137)

フィヒテはどうしてもカントから金を借りる必要に迫られたことがある。
カントは断った。(p201)

このように、本書はいかなる従来的な意味においても「小説」とは呼び得ない代物である。だが、ルネ・マグリットの永遠の問題作「これはパイプではない」を思わせる自己否定的なタイトルは、翻って「では、何が小説なのか」という問いを〈読者〉に投げ返す。そしてそうした問題意識は、例えば以下のような一連の断章を通じて、〈作者〉によって繰り返し形を与えられる。

究極的には、主題さえ持たない芸術作品。それが〈作者〉の望みだ。

主題を持たない芸術作品は存在しないとオルテガは言った。

小説は物語を作るとE・M・フォースターは言った。

できることをできるって言うのはほら吹きとは違うねとディジー・ディーンは言った。(p22)

果たして〈作者〉デイヴィッド・マークソンは、偉人たちに仮託して大言壮語を述べるだけの「ほら吹き」にすぎなかったのだろうか。それを決めるのは、〈読者〉であるあなたにほかならない。

訳者による注釈も充実しており、この「小説ではない何か」が、新しい読書の愉しみを教えてくれることは請け合いである。本書を手にとったら最後、無我夢中でページを繰る自分を発見するはずだ。 (薮)

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